(一)
○日毎に集つて來る投書の歌を讀んでゐて、ひよいと妙な事を考へさせられることがある。――此處に作者その人に差障りを及ぼさない範圍に於て一二の例を擧げて見るならば、此頃になつて漸く手を着けた十月中到着の分の中に、神田の某君といふ人の半紙二つ折へ横に二十首の歌を書いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。
○讀んでゐて私は不思議に思つた。それは歌の上手な爲ではない。歌は字と共に寧ろ

○歌つてある歌には、母が病氣になつて秋風が吹いて來たといふのがあつた。
○某君は一體に
事を問うてみるからが既に勝手な、作者に對して失禮な○某君のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脱字が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此處に私の勝手に想像したやうな人があつて、某君の歌つたやうな事を誰かの前に訴へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。
○私は色々の場合、色々の人のそれに對する答へを想像して見た。それは皆如何にも尤もな事ばかりであつた。然しそれらの

(二)
○大分前の事である。茨城だつたか千葉だつたか乃至は又群馬の方だつたか何しろ東京から餘り遠くない縣の何とか郡何とか村小學校内某といふ人から歌が來た。何日か經つて其の歌の中の何首かが新聞に載つた。すると間もなく私は同じ人からの長い手紙を添へた二度目の投書を受け取つた。
○其の手紙は候文と普通文とを
○此の手紙が宛名人たる私の心に惹起した結果は、蓋し某君の夢にも想はなかつた所であらうと思ふ。何故なれば、私はこれを讀んでしまつた時、私の心に明かに一種の反感の起つてゐる事を發見したからである。詩や歌や乃至は其の外の文學にたづさはる事を、人間の他の諸々の活動よりも何か格段に貴い事のやうに思ふ迷信――それは何時如何なる人の口から出るにしても私の心に或反感を呼び起さずに濟んだことはない。「歌を作ることを何か偉い事でもするやうに思つてる、
○然しその反感も直ぐと引込まねばならなかつた。「羨ましい人だ。」といふやうな感じが輕く横合から流れて來た爲めである。此の人は自分で自分を「憐れなる」と呼んでゐるが、如何に憐れで、如何にして憐れであるかに就いて眞面目に考へたことのない人、寧ろさういふ考へ方をしない質の人であることは、自分が不滿足なる
○私はとある田舍の小學校の宿直室にごろ/\してゐる一人の年若き准訓導を想像して見た。その人は眞の人を怒らせるやうな惡口を一つも胸に蓄へてゐない人である。漫然として教科書にある丈の字句を生徒に教へ、漫然として自分の境遇の憐れな事を是認し、漫然として今後大に歌を作らうと思つてる人である。未だ嘗て自分の心内乃至身邊に起る事物に對して、その根ざす處如何に深く、その及ぼす所如何に遠きかを考へて見たことのない人である。日毎に新聞を讀みながらも、我々の心を後から/\と急がせて、日毎に新しく展開して來る時代の眞相に對して何の切實な興味をも有つてゐない人である。私はこの人の一生に快よく口を開いて笑ふ機會が、私のそれよりも屹度多いだらうと思つた。
○翌日出社した時は私の頭にもう某君の事は無かつた。さうして前の日と同じ色の封筒に同じ名を書いた一封を他の投書の間に見付けた時、私はこの人が本當に毎日投書する積なのかと心持眼を大きくして見た。其翌日も來た。其翌日も來た。ある時は
○それが確七日か八日の間續いた。或日私は、「とう/\飽きたな。」と思つた。その次の日も來なかつた。さうして其後既に二箇月、私は再び某君の墨の薄い肩上りの字を見る機會を得ない。來ただけの歌は隨分夥しい數に上つたが、ただ所謂歌になりそうな景物を漫然と三十一字の形に表しただけで、新聞に載せる程のものは殆どなかつた。
○私はこの事を書いて來て、其後某君は何うしてゐるだらうと思つた。矢張新聞が着けばただ文藝欄や歌壇や小説許りに興味を有つて讀んでゐるだらうか。漫然と歌を作り出して漫然と罷めてしまつた如く、更に又漫然と何事かを始めてゐるだらうか。私は思ふ。若し某君にして唯一つの事、例へば自分で自分を憐れだといつた事に就いてゞも、その如何に又如何にして然るかを正面に立向つて考へて、さうして其處に或動かすべからざる隱れたる事實を
(三)
○うつかりしながら家の前まで歩いて來た時、出し拔けに飼ひ犬に飛着かれて、「あゝ喫驚した。こん畜生!」と思はず知らず口に出す――といふやうな例はよく有ることだ。下らない
○土岐哀果君が十一月の「創作」に發表した三十何首の歌は、この人がこれまで人の褒貶を度外に置いて一人で開拓して來た新しい畑に、漸く樂しい秋の近づいて來てゐることを思はせるものであつた。その中に、
燒あとの煉瓦の上に
syoben をすればしみじみ
秋の氣がする
といふ一首があつた。好い歌だと私は思つた。(小便といふ言葉だけを態々羅馬字で書いたのは、作者の意味では多分この言葉を在來の漢字で書いた時に伴つて來る惡いsyoben をすればしみじみ
秋の氣がする
○さうすると今月になつてから、私は友人の一人から、或雜誌が特にこの歌を引いて土岐君の歌風を罵つてゐるといふ事を聞いた。私は意外に思つた。勿論この歌が同じ作者の歌の中で最も優れた歌といふのではないが、然し何度讀み返しても惡い歌にはならない。評者は何故この鋭い實感を承認することが出來なかつたであらうか。さう考へた時、私は前に言つた「こん畜生」の場合を思ひ合せぬ譯に行かなかつた。評者は屹度歌といふものに就いて或狹い
○私の「やとばかり桂首相に手とられし夢みて覺めぬ秋の夜の二時」といふ歌も或雜誌で土岐君の小便の歌と同じ運命に會つた。尤もこの歌は、同じく實感の基礎を有しながら桂首相を夢に見るといふ極稀れなる事實を内容に取入れてあるだけに、言換へれば萬人の同感を引くべく餘りに限定された内容を歌つてあるだけに、小便の歌ほど歌として存在の權利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。
○故獨歩は嘗てその著名なる小説の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくない事はない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今(驚きたくない)と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない。又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歴史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出來事に對して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百囘「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。
○歴史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に將來に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋をする時、其保守的な概念を嚴密に究明して來たならば、日本が嘗て議會を開いた事からが先ず國體に牴觸する譯になりはしないだらうか。我々の歌の形式は萬葉以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何處までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何處までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。
(四)
○机の上に
○こんな事を考へて、恰度秒針が一囘轉する程の間、私は
○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。(四十三年十二月)
(明43・12・10―20「東京朝日新聞」)