其後ハ益御勇壮可レ被レ成二御座一奉二大賀一候。然ニ彼紀州の船の
申上り、明日か今日か戦争とヒシメキ候中、後藤庄次郎も大憤発ニてともに骨折居申候。此頃長崎中の商人小どもニ至るまで、唯紀州をうての紀州の船をとれのと、のゝしり候よふ相成、知らぬ人まで戦をすゝめに参り申候。紀州とハ日
談論とふ/\やりつけ今朝より薩州へたのみてわびを申出候得ども、是迄段々無礼致候事故、私もゆるし不レ申、薩州よりハイロハ丸の船代又中荷物代を立替候て、其上紀州の奉行が御宿へまで出し、御あいさつ致候得バよかろふなど申候ニ付、私しハそふすれバ
申上候。頓首。
廿八日
九三先生龍
御直披
才谷