ライブージ村の教会の真向うに、石を土台にした鉄板葺きの二階家がある。
ーノフ・カーシンが家族と一緒に住んでいる。二階は、夏はひどく暑くて冬はひどく寒いが、旅の官吏や商人や地主達が来て泊る。ヂューヂャは土地を貸したり、街道の小料理屋を経営したり、タールや蜂蜜から、家畜、長男のフョードルは工場の技師長をしている。百姓たちの言草によると、えらく出世をしたもので、今じゃ手も届かない。フョードルの妻のソフィヤは、器量のわるい病身な女で、
ル
ーラという嫁を貰った。これは若い器量好しで、健康でお
ルを出したり
ル
ーラである。ある六月の夕方、日が沈みかけて、空気には乾草や、まだ湯気の立つ家畜の糞や、搾り立ての牛乳の匂いがする頃、ヂューヂャの家の庭先に質素な馬車がはいって来た。三人の男がそれに乗っている。ズックの服を着た三十がらみの男。それと並んで、大きな骨ボタンの附いた黒い長上衣を着た十七ほどの少年。馭者台には、赤シャツを着た若者が坐っている。
若者は馬をはずすと、往還へ連れ出して運動をさせた。旅人は手を洗って、教会の方を向いて祈祷を上げてから、馬車の傍に膝掛を拡げて、少年と一緒に夕食をはじめた。落着いた、物静かな食べぶりである。一生のあいだに沢山の旅人を見て来たヂューヂャには、その道の人間らしい流儀で、これは真面目な、そして己れの値打をよく知っている人だなと頷かれた。
ヂューヂャは帽子も被らぬチョッキ一枚の姿で、昇り段に腰を下ろして、旅人が話しかけるのを待っていた。彼は、睡気のさすまでの宵のつれづれに、旅人が色々な話しをするのに慣れていたし、またそれを楽しみにしていた。婆さんのアファナーシエヴナと嫁のソフィヤは、牛部屋で乳を搾っていた。もう一人の嫁の
ル
ーラは、開けはなした二階の窓際で、「その子供さんは、つまりあんたの息子さんですね?」と、ヂューヂャが旅人にきいた。
「いいや、養子です。みなし児でして。
話がはじまった。旅人は話好きで、なかなかの能弁だった。話して行くうちにヂューヂャは、これは町から来た町人階級の男で、家作持でマトヴェイ・サヴィチという名だということを知った。また、これからドイツ移住民の或る男に貸してある庭を見に行くところで、少年の名はクージカだということも分った。蒸し暑い晩で、誰も寝に行く気がしなかった。暗くなって青ざめた星がちらほら瞬きだすと、マトヴェイ・サヴィチはクージカを引取った次第を物語りはじめた。アファナーシエヴナとソフィヤは少し離れた所に立って耳を澄した。クージカは門の方へ出て行った。
「これにはね、爺さん、長い話があるんでさ」と、マトヴェイ・サヴィチは口を切った、「あったままを残らず話すとなったら、夜通しかかっても足りません。もう十年になりますが、私の住んでいる街の、それもちょうど隣合せの小さな家に、マルファ・シモーノヴナ・カプルンツェ
という年寄りの後家が住んでいました。この家は今じゃ蝋燭工場と製油所になっていますがね。この婆さんに息子が二人あって、一人は鉄道の車掌でした。もう一人の
ーシャは私と同い年で、母親と一緒に暮らしていました。亡くなったカプルンツェフ老人は「さてそのうちに、婆さんは足が利かなくなって、床に就いてしまいました。そんなことで、家を取締る女手が無くなったのですが、これは人間が片眼になったも同じ事です。婆さんは急に慌てて、
ーシャに嫁を貰おうと思い立ちました。そこで直ぐさま
ーシャが見合いをして廻る。とどのつまりは或る後家さんの娘のマーシェンカを探し当てました。手っ取り早くそれに極めて、双方の承諾も済み、一週間のうちに万事片が附きました。十七と言ってもまだほんの子供で、小柄でつんつるてんな娘さんですが、色の白い愛くるしい顔立で、それに年頃のお嬢さんとしての資格はちゃんと具わっています。嫁入の財産にしても、悪いことはありません。お金で五百ルーブル、痩せたりとても牝牛が一匹、それに寝台。……ところで婆さんは、やっぱり虫が知らせたのか、婚礼が済んで三日目に、そこには病気も歎きもない
ーシャが募兵所へ「最初のうちは淋しくないようにと、マーシェンカは母親に来て貰いました。母親は、あのクージカが生れるまでは一緒にいましたが、出産が済むと、オボヤーニに嫁に行っていた他の娘の所へ行ってしまい、マーシェンカは赤ん坊と二人ぎりになりました。馭者に傭ってある百姓たちは、五人とも酒飲みで図々しい野郎ですし、馬もいれば荷馬車もある。やれ垣根が崩れた、煙突の煤が燃えついた――とても女の手には負えません。そこは隣同士の
ーシャの丹精した鳩が、もしやいなくなっては大変ですから数えて置きましょう』――まあそんな工合です。「いつも彼女とは垣根ごしに話しができるのですが、仕舞いにはぐるりと大廻りをしないで済むように、垣根に
傴僂のアリョーシカが、往来から中庭へはいって来て、誰の顔も見ずに息せき切って家へ駈け込んだ。一分もすると風琴を抱えて、ポケットの銅銭をじゃらつかせて駈け出て来た。向日葵の種子の音をさせながら、門の外へ小走りに消えた。
「あれは
「息子のアレクセイでさ」とヂューヂャは答えた、「また夜遊びに行きおった、仕様のない奴だ。ああした片輪に生まれついたもんで、まあ大抵のことは大目にみてやりますだが。」
「二六時ちゅう遊び仲間と飲み歩いとりますだよ、もうしょっちゅう」アファナーシエヴナが溜息をついた、「大斎前の週間〔(「復活祭に先立つ六週間の精進を大斎といい、その前週をマースリヤナヤ」(牛酪週間)と称する)〕に嫁を貰ってやりましたが、それで少しは収まるかと思いや、それどころか却って悪くなりおって。」
「無駄骨ださ。よその娘を、ただ喜ばしてやったようなものさ」と、ヂューヂャが言った。
教会の裏の方から、物悲しい
ル
ーラが家から出て来て、日の光を避けでもするように手を眼に当てて、教会の方を見た。「あれは、司祭の息子さんたちと学校の先生だわ」と彼女は言った。
また三つの声が合わさって歌いはじめた。マトヴェイ・サヴィチは溜息をつくと、再び話をつづけた。……
「さてそれからね、二年ほどすると、
ルシャ
にいる
ーシャから手紙が来ました。養生に家へ送り還されることになったというのです。病気なのです。尤もその頃は、私も馬鹿な考えはふっつり思い切って、いい嫁さんもちゃんと極っていたのですが、ただ可愛い女とどうして手を切ったものかしらと途方に暮れていました。今日こそはマーシェンカに言ってしまおうと、毎日そう思い立ちはするのですが、さてどう切り出したら女にきいきい声を立てさせずに済むものやら、見当がつきません。そこへその手紙なので、実はほっとしたのです。マーシェンカと一緒に読んだのですが、彼女は雪のように真蒼になりました。そこで私はこう言いました、『まあよかったね、これでつまりお前も、また御亭主のある女になれるというものだ。』すると彼女は、『私、もうあの人とは一緒になりませんわ』と言うのです。『だってお前の御亭主じゃないか』と私。『少しは察して頂戴……。私、あの人なんか好きじゃなかったのですわ。お母さんの言附けで、いやいやお嫁に来たのですわ。』――『そんな逃げ口上を言ったって駄目さ。馬鹿な女だ。ちゃんと教会で婚礼をしたんじゃないか。それとも、違うとでも言うのかい?』――『そりゃ婚礼はしましたわ。でも私はあなたが好きなの。死ぬ迄あなたと暮らしたいの。人は何と笑おうと構わないわ……。』――『お前はキリスト教徒だろう。聖典も読んだことがあるはずじゃないか。あれには何て書いてある?』」「一たび嫁ぎては、夫と
んだ。「夫婦は一身同体です。『ね、二人は罪を犯したのだ』と私は言いました、『お前も私も。だがもうこれ以上はいけない。悔い改めて、神様を畏れなければならん。
ーシャにはすっかり打明けてしまおう。あれは穏やかな内気な男だ。まさかお前を殺すとは言うまい。』また、こうも言いました、『それに、怖ろしい神の法廷で歯がみをして
「
ーシャは、明日が五旬節という土曜日の朝早く帰って来ました。垣根ごしに何もかも聞えました。彼はわが家へ駈け込むと、一分ほど後にはクージカを抱いて出て来て、泣き笑いをしています。クージカにキスをしながら、眼は乾草棚へ行っています。クージカを下へ卸すのも可哀そうだし、鳩の方へは行って見たいしという訳です。気の優しい情に脆い男でした。その日は無事に、至極穏やかに暮れました。やがて晩祷の鐘が鳴りはじめたとき、私ははっとしました。――明日は五旬節だ、だのになぜ彼らの家では、門や垣根を緑葉で飾らないのだろう? こりゃ「私は
ーシャの前に
シーリイ・マクシームィチ、われわれ二人は君に悪いことをしたのだ。どうか宥してくれたまえ。』それから起ち上って、マーシェンカにこう言ってやりました、『マリヤ・セミョーノヴナ、貴女もこれからは
シーリイ・マクシームィチの足を洗い、その水でも飲む覚悟でなくてはなりません。この人の従順な妻になって、慈悲深い神様が私の罪を宥して下さるよう、私のために祈って下さい。』まるで天使が一々耳に吹き込んで下さりでもするように、彼女にこんな説教をしてやったのですが、話している内に胸がこみ上げて、涙が出てしまいました。まあそんな訳で、二日ほどすると
ーシャが訪ねて来ました。そして、『マチューシャ、僕は君も妻も宥すことにしたよ』と、そう言います、『あれは唯の兵隊の女房だ。何しろまだ年端も行かぬ女のことだ、身が持てなかったのも無理はない。こういうことは何も
ーシャが庭先を出て行くと、入れ違いにマーシェンカがやって来たのです。ああ、何という責苦でしょう。頸っ玉に抱きついて、泣きながら、『ねえお願いだから棄てないで。あんたと別れたら生きちゃ行けないわ』とせがむのです。」「飛んだひきずり女めが」と、ヂューヂャが歎息した。
「私は足踏みしながら呶鳴りつけて、玄関へ引きずり出して戸の掛金を卸してしまいました。そして、『亭主の所へ帰るんだ。俺の顔へ泥を塗って呉れるな。恥を知れ』ってどなりました。こんな騒ぎが、それから毎日つづいたのです。
「或る朝庭先へ出て、
ーシャが、懸命な大声を上げながら駈け込んで来ました、『ぶっちゃいけない。ぶっちゃいけない!』そして駈け寄りざま、気違いのように拳を振り上げて、力任せに彼女をどやしつけたのです。それから地面に引きずり倒して、踏む蹴る、いや大変な騒ぎです。私がとめようとすると、今度は手綱を引掴んでぴしぴし「どうせ手綱でやるんなら、お前さんをやればよかったよ……」と、
ル
ーラが座を離れながら呟いた、「弱い女をひどい目に逢わせたりして、極道者……」「ええ黙っとれ」とヂューヂャが呶鳴りつけた、「このあばずれめが!」
「ひんひん言ってるんです」マトヴェイ・サヴィチは続けた、「隣からは馭者が駈けつけて来ました。私は私で自分の所の下男を呼んで、三人がかりで彼の手からマーシェンカを離して、抱えるようにして家へ運んでやりました。飛んだ恥曝しです。その晩、私は様子を見に行きました。彼女は身体じゅう
ーシャはというと、隣の部屋に坐って、頭を抱えて泣いています。――『俺は悪党だ。自分の一生を台無しにしてしまった。ああ死にたい、死なせてくれ!』私は半時間ほどマーシェンカの傍についていて、お説教をしてやりました。少々「その翌る日、
ーシャが何かコレラのような病気になって、日暮れには死んだという知らせがありました。葬式を出しました。マーシェンカはさすがに、恥知らずな顔や
ーシャの死は当り前の死に様ではない、あれはマーシェンカが
ーシャを掘り起して解剖して見ると、胃に砒素が残っていました。もう疑う余地はありません。警官が来て、罪もないクージカもろともマーシェンカを引張って行きました。牢屋へ入れられたのです。「そういう判決が下りてからも、マーシェンカは町の監獄に三ヵ月ほどおりました。私はよく茶や砂糖などを持っては、見舞いに行ってやりました。これも人情です。ですがあの女は、私の姿を見るが早いか身体じゅうを顫わせて、両手を振りながら呟きます――『行って、あっちへ行って。』そして、まるで私が
「犬にゃ
「クージカは送り還されて来ました。……私はさんざ考えて見た挙句に、引取ってやることにしました。だって、何ぼ懲役人の子にしろ、やっぱり息の通った人間だし、洗礼も受けていますからね。……思えば可哀そうな奴です。まあ番頭代りに使って、万一私に子供が出来なかったら、商人に仕立ててやってもいいと思っています。今じゃ何処へ出掛けるにも、一緒に連れて歩きます。見習わせて置かなければね。」
マトヴェイ・サヴィチが話しているあいだ、クージカは門口の石の上に坐り通していた。両手を後頭に当てがって天を見つめている姿は、暗がりの中の遠目には木の根っこのように見えた。
「クージカ、もうこっちへ来て寝ろ」と、マトヴェイ・サヴィチが呼んだ。
「そうさ、大分更けましただ」ヂューヂャは起ち上りながら相槌を打った。そして大きな声で
月はもう中天に漂っていた。非常な早さで走っている。下の雲はそれと反対の方角に走っている。雲の方はずんずん行ってしまうが、月はいつまでも中庭の上に見えていた。マトヴェイ・サヴィチは教会の方を向いて祈祷をしてから、お寝みを言って馬車の傍の地面に横たわった。クージカもお祈りを上げて、これは馬車の中に、長上衣にくるまって横になった。楽に寝られるように、彼は乾草の真中に穴を拵えて、膝頭に肘が届くほどまん円くなっている。ヂューヂャが
お客は寝入った。アファナーシエヴナとソフィヤとは馬車の傍へ寄って行って、クージカを眺めはじめた。
「みなし子はよう寝とる」と老婆が言った、「痩せこけて、骨と皮ばかりだ。生みの母親がなけりゃ、
「
一分ほど沈黙のうちに過ぎた。
「母親のことは憶えちゃいまいの」と老婆が言う。
「何で憶えてるもんかね。」
そう言ったソフィヤの眼から、大粒の涙が落ちた。
「猫のようにまんまるになってさ……」と、彼女はこみ上げて来る情愛と不憫さに、
クージカはぶるっと身顫いして、眼をあけた。するとすぐ眼の前に、みっともない皺くちゃの泣き腫らした顔が見え、その隣には
夜が更けて、ヂューヂャも婆さんも隣の番人も寝てしまった頃、ソフィヤは門の外へ出てベンチに腰を掛けた。寝苦しかったし、それに泣いたので頭が痛かった。往還はひろくて、どこまでもつづいていた。右の方に半里、左の方にもそれくらいつづいて、その先は見えなかった。月はもう庭先をはずれて、今では教会の
教会の囲いのあたりに、誰かが歩いていた。人間なのか牛なのか、見わけはつかなかった。それとも誰もいるのではなくて、ただ大きな鳥が樹の枝を騒がせただけかも知れない。すると暗い蔭から人が出て来て、立ちどまって何やら男の声で言うと、教会について横町に姿を消した。暫くすると門から二間あまりの所に、別の人影が浮び出た。教会から門の方へ、真直ぐに歩いて来たが、ベンチにいるソフィヤに気がつくと立ち停った。
「
ル
ーラじゃないかね?」と、ソフィヤがきいた。「私だったらどうしたのさ。」
それは
ル
ーラだった。彼女はちょっと立ちすくんでいたが、やがてベンチに寄って来て腰を下ろした。「何処へ行ってたのかね?」とソフィヤがきく。
ル
ーラは何も返事をしない。「ふしだらな真似をして、後で後悔しないがいいよ」とソフィヤが言った、「聞いたろう、マーシェンカの話を。
「構うもんか。」
ル
ーラは頭布のなかでくすっと笑って、小声で囁いた。「坊さんの息子と一緒にいたのさ。」
「なにを馬鹿なことを。」
「本当だとも。」
「罰当りな。」
「構わないさ……。困りゃしないさ。罰当りなら罰当りでいいさ。こんな暮らしよりゃ雷様にでも打たれた方がましだもの。私は若いし身体も丈夫なのに、亭主は傴僂で厭らしい

「罰当りな」とソフィヤがまた囁いた。
「構うもんか。」
教会の裏の方で、また例の三つの声が悲しげな歌を歌いはじめた。二つはテノールで、一つはバスである。やはり歌詞は聞き取れない。
「宵っ張りな人たちだ……」と
ル
ーラが笑う。そして彼女はひそひそ声で、坊さんの息子と毎晩逢引をしていることや、彼がして聴かせる話や、その遊び仲間や、家に泊る役人や商人たちとも面白可笑しく遊んだことなどを話した。物悲しい歌声は、自由な生活への憧れをそそり立てた。ソフィヤは笑いはじめた。そんな話を耳にするのが罪のような気もし、空恐ろしくもあり、またうっとりと快くもあった。なぜ自分も、若くて綺麗なうちに罪作りをして置かなかったのかと、口惜しいような羨ましいような気がした。……
古びた教会の境内で、夜番が十二時を打ち鳴らした。
「もう寝る時だ」起ち上りながらソフィヤが言った、「ヂューヂャに見附かるといけないよ。」
二人はそっと庭先へはいった。
「私出てったので、マーシェンカがどうなったのか聞かなかったわ」と、窓の下に寝る支度をしながら
ル
ーラが言った。「牢屋で死んだとさ。亭主に毒を盛ってね。」
ル
ーラはソフィヤと並んで横になって、ちょっと考えてから小声で言った。「私なら、アリョーシカを盛り殺しても後悔はしないね。」
「またそんなことを……。」
ソフィヤがうとうとしたとき、
ル
ーラは身をすり寄せて耳に囁き込んだ。「ヂューヂャとアリョーシカをやっちまおうか、姉さん。」
ソフィヤはぶるっとしたが、何も言わなかった。やがて眼をあいて、身動きもせずにいつまでもじっと空を見ていた。
「人に知れるよ」と彼女は言った。
「知れるもんか。ヂューヂャは年寄りでもう死んでもいい頃だし、アリョーシカの方なら、飲み過ぎで死んだことになるさ。」
「
「構うもんか。……」
二人とも眠らずに、黙って考えていた。
「おお寒む」ソフィヤは身体じゅうがくがく顫えながら、そう言った、「もうじきに朝だ。……寝たかね。」
「いいや。……姉さん、私の言ったことなんぞ気に掛けなさるな」と
ル
ーラは囁いた、「つい業つく張り共に腹が立って、口から出まかせを言ったんだから。おやすみよ、もう明るくなるわ。……おやすみよ……。」二人は黙って静かになった。そして間もなく寝入った。
一番先に眼を醒ましたのは婆さんだった。彼女はソフィヤを起して、二人で乳を搾りに牛部屋へ行った。傴僂のアリョーシカがひどく酔っ払って、風琴を失くして帰って来た。道傍へ転げ落ちたと見え、胸も膝も埃と藁で汚れている。よろよろしながら牛部屋へはいって来て、そこにある
「クージカ、起きろ」と彼は叫んだ、「馬を附けるんだ。しゃんしゃんしな。」
朝の忙しさが始まった。若いユダヤ女が、裾飾りのついた褐色の着物を着て、水飼いをしに馬を庭先に引いて来た。井戸の滑車が悲しげに
「小母さん」とマトヴェイ・サヴィチがソフィヤを呼ぶ、「あの若僧に、早く馬を附けろと言って来て下さらんか。」
ヂューヂャがそのとき窓から叫ぶ。――
「ソフィヤ、あのユダヤ女から水飼い料に一銭取って置け。しょっちゅう這入って来くさる、疥癬やみめが。」
往還では羊が走り廻って、メエメエ啼いている。女房どもが牧飼いにやいやい言うが、こちらは平気だ。蘆笛を吹きながら鞭を鳴らしたり、
ル
ーラも眼を醒まして、寝床をぐるぐる巻きに抱えて、家へはいって行く。「羊ぐらい追い出したってよかろ、ここな嬢ちゃんや」と婆さんが喚く。
「ふん、ヘロデの奴隷じゃあるまいし」――
ル
ーラが家にはいりながら呟く。馬車に油を差して馬を附けた。ヂューヂャが
「高いよ、爺さん、その燕麦の代は」とマトヴェイ・サヴィチが言う。
「高けりゃ持って行きなさんな。
さていよいよ馬車に乗り込む段になって、ちょっとしたごたごたが出発を引き留めた。クージカの帽子が見えなくなったのだ。
「ええこの餓鬼め、一体どこへ置き忘れたんだ!」とマトヴェイ・サヴィチが声を荒らげる、「何処だと言うに。」
クージカの顔は恐怖で歪んだ。馬車のまわりを走り廻って見たが無いので、門口へ駈けて行き、それから牛部屋へ駈けて行った。婆さんとソフィヤも一緒になって探した。
「耳っ
帽子は馬車の底に落ちていた。クージカは袖で藁を払ってそれを被り、