人間の卵

高田義一郎





鳥類てうるゐ魚類ぎよるゐは、卵生動物らんせいどうぶつとしてられてるが、それには例外れいぐわいがある。たとへばあの――金魚屋きんぎよやつてるメダカといふ小魚こうを――一口ひとくちにメダカとつても、その種類しゆるゐは六百しゆからあつて、地球上ちきうじやういたところ分布ぶんぷしてるが――あの小魚こうをには卵生らんせいのみならず、胎生たいせいのものもある。胎生たいせいのメダカは、特殊とくしゆ交尾かうびをした場合ばあひかぎつて出來できる。この事實じじついまから六七十ねんまへから、その研究者けんきうしやよつみとめられてたのである。
 醫學史いがくし研究者けんきうしやで、文學博士ぶんがくはかせであり、また醫學博士いがくはかせであるA博士はかせは、興味きようみのある、して奇怪きくわい講演かうえんつゞける。
すで卵生動物らんせいどうぶつにして同時どうじ胎生たいせいのものがある以上いじやう胎生たいせい動物どうぶつにもまた、一てい方法はうはふよつ卵生らんせいせしめないはずはないといふのが、本研究ほんけんきう動機どうきであつた。それがたん學問上がくもんじやう興味きようみだけではく、卵生らんせい出來できるとなれば人間にんげん非常ひじやう便利べんりなことがおほい。たとへば早産兒さうさんじ中々なか/\うまくそだてにくいが、卵生らんせいとなれば月足つきたらずでうまれても、あとからにはとりやうにゆる/\とあたゝめて、慈愛じあいのこもつたはゝふところでよくそだてることが出來できるし、胎生たいせいとなれば一ぱん分娩ぶんべん苦痛くつうおほきいのにはんして、卵生らんせいとなれば難産なんざんごときはあとつてしまふであらう。』
 一九九九ねん初夏しよかそらは、心地こゝちよくれて、紺碧こんぺきそらには、しろ入道雲にふだうぐもがむく/\とては、時々とき/″\奇拔きばつにそのかたちをかへてた。カーテンをれる光線くわうせんあかるい室内しつないには、あふれんばかり多數たすう聽衆ちやうしうが、熱心ねつしんかほかゞやかしながら靜肅せいしゆくいてる。A博士はかせはなしはだん/\すゝんでく。
『メダカの一しゆでマウス・ブリーデイング・フヰツシユといふのがあつて、それはたまごむとすぐそれを自分じぶんくちなかれて、くちなか孵化ふくわさせる。くちなかかへつたさかなあかばうは、母親はゝおやくちなか生活せいくわつしてて、恰度ちやうどカンガールのが、母親はゝおやはらのポケツトから出入でいりしてるのとおなやうに、澤山たくさんあかばうはゝくちからあそびにて、おそろしいものにでもへばおほいそぎで、はゝくちむ。またそれとどう一の趣向しゆかうで、ねばねばしたえきあわをこしらへて、そのあわたまなかたまごれる一しゆもある。そのたまご孵化後ふくわごしばらくのあひだは、前者ぜんしやはゝくち同樣どうやうに、あわたまなかみ、たまから出入でいりしてあそんでくらすさうである。こんな事實じじつ――それはメダカのみにれいつたのであるが――も、非常ひじやう研究けんきううなが動機どうきとなつたのであつた。
 その研究けんきう經路けいろこれはぶかなければならないが、特殊とくしゆ注射ちうしや若干回じやくかんくわいほどこすことにつて、姙娠後にんしんごやく二百五十日目にちめたまご――人間にんげんたまご――として、ひとむことに海下博士うみしたはかせ成功せいこうした。そのたまごはゝ懷中ふところなり、攝氏せつし三十七孵卵器ふらんきなかなりで、一定時間後ていじかんごにはじめて呱々こゝこゑげる次第しだいで、はゝをして毎回まいくわいやく三十日間宛にちかんづつ、しかしはらもつとおほきい、もつと苦痛くつうおほい、しかして外見上ぐわいけんじやう風姿ふうしうつくしくない時日じじつから、解放かいはうしたことだけからでもこの研究けんきう人類じんるゐ非常ひじやう幸福かうふくもたらしたものである。いはんや、難産なんざん兒童じどう死亡しばうふせいだり、ことに二たや三つなど複姙ふくにん場合ばあひ子供こどもおよぼした重大ぢうだい利益りえきなど、その結果けつくわのよいこと中々なか/\かぞれないほどであつた。その研究けんきう發表はつぺうされたのは恰度ちやうど一九――ねんの四ぐわつであつたから――本當ほんたうならば、今日こんにちおいてはそれが一そう研究けんきうされ、一そう普及ふきふされ、利用りようされてらなければならないはずなのである。しかるにそれからわづかに○十年後ねんご今日こんにちせいけた諸君しよくんが、すこしもその事實じじつらないといふのは何故なにゆゑであらうか。それがすなはち、わたし今日こんにち諸君しよくんかたらうとする主題しゆだいなのであります。』
 A博士はかせ一寸ちよつと言葉ことばつて、卓上たくじやうのコツプで咽喉のどをうるほした。


諸君しよくんが、比較的ひかくてき近年きんねん事實じじつらないのは、つまりその研究けんきうのみならず、一ぱん人々ひと/″\が、子供こどもたまごとしてむことを嚴禁げんきんし、たまご卵生らんせいしたならば、それは極刑きよくけい――死刑しけい――にしよして、殺人さつじん同樣どうやう取扱とりあつかふといふことになつたためであつて、さうされたのは卵生らんせいため非常ひじやう弊害へいがいおほ出來できたからであつた。
 諸君しよくん諸君しよくん奇怪きくわいかんがへるでせう。まへにいふごとく、非常ひじやう世間せけんに、人類じんるゐに、おほくの利益りえきあたへたといふ研究けんきう禁止きんしして、その違反者ゐはんしや極刑きよくけいにしなければならないといふことを、はなはだしい不合理ふがふりかんがへるでせう。それはたしか矛盾むじゆんであつたが、しかし禁止きんしまたたしかむをなかつたので、人類じんるゐ卵生らんせいおこなはれてたのはホンの二、三ねん短期間たんきかんぎなかつた。これすなは諸君しよくんがその事實じじつらない所以ゆゑんであると同時どうじに、わたし專攻せんこうして醫史學上いしがくじやう非常ひじやう興味きようみのある時代じだいであるのであります。
 わたしはこれから如何いかなる弊害へいがいが、人間にんげんたまごめぐつておこつたかをかたらなければならない。一たい劃時代的くわくじだいてき研究けんきう發表はつぺうには、往々わう/\にして反對運動はんたいうんどうや、禁止運動きんしうんどうともなふもので、たとへば一九一一ねんに、エールリヒおよはた兩氏りやうし黴毒ばいどく全治ぜんちするサルブアルサン、すなは所謂いはゆる六百六がうしようする藥品やくひん發見はつけんして、その效果かうくわ適確てきかくであることが世間せけんわたると同時どうじに、宗教團體しうけうだんたいの一から、突如とつじよとしてこんな反對運動はんたいうんどうおこつたことがある。
黴毒ばいどくなる病氣びやうきは、放蕩はうたうをしたものたいするてん制裁せいさいであります。これあるがために、放蕩はうたうほつしながらもその病氣びやうきにかゝることおそれて放蕩はうたうしなかつたもの隨分ずゐぶんおほい。しかるに今日こんにち以後いご、いくら放蕩はうたうをして黴毒ばいどくかゝつても、サルブアルサンの注射ちうしやさへすれば、たゞちもとごとなほるといふことになれば、世間せけんものこと/″\つて放蕩はうたうもんはしるにきまつてる。耽溺たんできしないもの馬鹿ばかだといふかんがへをつにきまつてる。すなはのサルブアルサンといふくすりは、黴毒ばいどくなほすと同時どうじに、社會しやくわい墮落だらくさせるくすりであります。だから折角せつかく大發見だいはつけん全然ぜんぜん禁止きんししてしまへとははないまでも、是非共ぜひとも生涯しやうがいに一より、注射ちうしやけることが出來できないといふ禁止令きんしれいしてもらひたいと切望せつばうしてみません。」
 みぎのやうな請願せいぐわん運動うんどうおこつたことがある。かう不幸ふかうか、その運動うんどうかうそうせずにしまつた。つまりそれでは折角せつかく良藥りやうやく發見はつけんしたのが、なんにもならないことになるのと、サルブアルサンも最初さいしよ豫想よさうされたほどにはきかなかつたからであつた。しかしこの人間にんげん卵生術らんせいじゆつ發見はつけんたいする反對運動はんたいうんどうは、完全くわんぜんにそのかうそうしたので、それはつまり卵生らんせいともな弊害へいがい顯著けんちよであるとみとめられたからでありませう。その弊害へいがいみとめられた若干じやくかんれいこれからかたらうとするのであります。』
 A博士はかせはなしは、そのまゝ、以下いか人間にんげんたまごめぐつておこつた事實じじつかゝげようとするのであるが、談話だんわのまゝではあまり冗長じようちやうしつしるきらひがあるから、便宜上べんぎじやう書下かきくだすにとゞめることを承知しようちしていたゞきたいのである。


 東京とうきやう××新聞しんぶん夕刊ゆふかん川子夫人かはこふじんは、にして夕刊ゆふかん取落とりおとほどおどろいて、顏色かほいろをかへながら、かたはらつくゑなにいてをつと山雄やまをはなしかけた。
『まあ、あなた。うち出入でいりして青華堂せいくわだう鷄卵けいらんなかに、澤山たくさん人間にんげんたまごがまぜてあつたんですつて、うちべたのゝなかにも、もしかするとりはしなかつたでせうか? あたしなんだか氣味きみわるくなつて、むねがむか/\するやう仕方しかた御座ございません!』
一寸ちよつとその夕刊ゆふかんせて御覽ごらん!』山雄やまをは、つまから受取うけとつた紙面しめんながら、『はゝあ、主人しゆじん拘引こういんされたといふ青華堂せいくわだうか、いつでもうち出入でいりしてるんだね。まあさうすぐ神經しんけいとがらさなくつてもいゝさ、しかし人卵じんらんはなしは、昨日きのふ友人同志いうじんどうし會合くわいがふ席上せきじやうでもてね、人間にんげんたまご鷄卵けいらんとまぎれるほどちひさいか如何どうかつていふ議論ぎろんがあつたんだよ。ところがそのはうことつてるものはなしによると、完全くわんぜん出來上できあがつた人間にんげんたまごは、無論むろんおほきくつて、鷄卵けいらんの四五ばいもあるが、早産さうざんをすればいくらでもちひさいのが出來できるから、鷄卵けいらんぜて胡麻化ごまくわすことも出來できるつていふわけになるんださうだ。あんまり氣味きみのいゝはなしぢやあないがね。』
『そんなことだといやですわね。――なんとかぜてあるのを、區別くべつする方法はうはふいもので御座ございませうか。』川子夫人かはこふじんも、あたかあはれみをときやう態度たいどで、をつとこたへつのだつた。
『さうだ、その問題もんだい昨日きのふもすぐにたんだよ。なんでもあぢにはとりのよりもすこしいゝといふが、それだけではわからない。黄味きみいろ心持こゝろもちうすいといふけれども、これにはとり食料しよくれうよつて、鷄卵けいらん黄味きみいろ濃淡のうたんがあるから、一がいなんともいふこと出來できないし、おほきさの關係くわんけいいまつたとほりさ。それでどうしてもむかしから蛋白たんぱく種類しゆるゐ鑑別試驗かんべつしけんをするより仕方しかたいさうだよ。確實かくじつなことをふにはね!』
『その鑑別試驗かんべつしけんは、家庭かていでも出來できるので御座ございませうか。』これ出來できればよい、いよいよ出來できないとなれば、鷄卵けいらん絶對ぜつたいにもう臺所だいどころれまいといふ決心けつしんをしながら、川子夫人かはこふじんおそる/\をつとたづねたのであつた。
一寸ちよつと免倒めんだうださうだ。しかし手數てすうさへいとはなければ、いくらでも出來できるつていふはなしだつたよ。』山雄やまを友人いうじんからいたとほりを、率直そつちよくこたへた。
いくつも試驗しけん方法はうはふがあるさうだ。すなは補體結合反應ほたいけつがふはんのうといふのもあり、沈降素反應ちんかうそはんのうといふのも過敏性反應くわびんせいはんのうといふのもあるといふこといたよ。』
『どれか一つで結構けつこう御座ございますが、そのなかで一ばん便利べんり方法はうはふをしへていたゞきたいとおもひますが……』
『どの方法はうはふみな動物どうぶつ使つかはなければならないが、沈降素反應ちんかうそはんのう方法はうはふだとうさぎだといふし、過敏性反應くわびんせいはんのうはモルモツトのはうがいゝさうだから、やつてるつもりなら、モルモツトをつとくはうが、場所ばしよふさぎにならないでいゝだらうぢやないか。』
動物どうぶつだけでなしに、やりかたはむづかしくは御座ございませんの。』
なんでも鷄卵けいらん白味しろみをモルモツトのはらなか注射ちうしやしていて、幾日目いくにちめかに檢査けんさしようと思ふたまごすなはにはとりたまごか、人間にんげんたまごかわからないたまご白味しろみを、その用意よういをしてあるモルモツトと、たゞのモルモツトとの兩方りやうはうはらなか注射ちうしやするだけでいいのだ、するとしそのたまご鷄卵けいらんならば用意よういしてあつたモルモツトはスグにぬし、たゞのモルモツトには、すこしの變兆へんてうおこらないはずだから、そのとき兩方共りやうはうとものモルモツトが平氣へいきならば、鷄卵けいらんぢやなかつたわけだね。そこで人間にんげんたまごだといふことを積極的せききよくてきたしかめるためには、まへべつひと血清けつせいなり人間にんげんたまご白味しろみなりを注射ちうしやしたモルモツトを用意よういしていて、それが檢査けんさをすべき疑問ぎもんたまご注射後ちうしやごに、ぬかなないかをればいゝんだから、簡單かんたんぢやないか。くはしいことらないけれども、熱心ねつしんがあるならおまへ一つ野原醫學士のはらいがくし訪問はうもんして御覽ごらん。あのひとがいつでも一とほりの講習かうしふをしてもいゝつてつてたから。』
            ×     ×     ×     ×
 こゝで重大ぢうだい問題もんだいおこつた。といふのは人間にんげんたまごを、鷄卵けいらんどうぐらゐおほきさのあひだらうといふかんがへから、人工早産じんこうさうざん非常ひじやう増加ぞうかして、これめに非常ひじやう不都合ふつがふ結果けつくわしやうじたといふことであつた。
 その不都合ふつがふ結果けつくわ見逃みのがすべからざる重大事實ぢうだいじじつとは、一たいどんなことであつたらうか。


きみどうもこまつたね! 人卵じんらん事件じけんには、まつたのつけやうがいんだからね!』
 警視廳けいしちやう鑑識課かんしきくわ主任技師しゆにんぎし丸野角平まるのかくへいは、連日れんじつ苦心くしんむくいられないので、失望しつばう疲勞ひらうとのため意氣銷沈いきせうちんしたばかりでく、かつ自分じぶん腦漿なうしやうをしぼつた以上いじやう問題もんだい核心かくしんをつかみなかつたことは一つもいといふ、おほきな自信じしんきずつけられて、かれ平生へいぜいつてものには、一けん別人べつじんかともおもはれるほど態度たいどで、卓上たくじやう頬杖ほゝづゑをつきながら、相手あひてかほをジツとつめてる。
まつたくだねえ。ぼくはうでもいてるんだ。なにしろ事件じけん無數むせうに、つぎからつぎといひたいが、事實じじつはそれ以上いじやうで一にちなんけんなんけんと、東京市とうきやうしだけでもおこるんだもの。いくら活動くわつどうしたつてツつきつこはいし、たまごからばかりあさつてあるいて、きみはう矢鱈やたら持込もちこんだところ仕方しかたい。とつてはふつてけば、被告人ひこくにんくちから自白じはくしてるのに、おまへはうは一たいなにをしてるんだとつて、いやつていふほどあぶらしぼられるんだから、今度位こんどぐらゐよわつたこといとおもふよ。』
 さうこたへたのは、智能犯ちのうはんにかけてはもつと腕利うでききで、かみぽんかみきれ一つからでも、有力いうりよくがかりを引出ひきだして、たくみにたくんだ至難しなん事件じけんを、いつでも無事ぶじにかたづけてしまふので、鬼刑事おにけいじ綽名あだなさへある浦山うらやま太郎たらうであつた。
 實際じつさい人間にんげんたまごには當局者たうきよくしやは、閉口へいこうしてしまつてた。
 をつける家庭かていで、少數せうすうたまごついて、しかも新鮮しんせん材料ざいれうもちひてならば、人間にんげんたまご如何どうかを識別しきべつすることも出來できるが、無數むすうたまごついて一々實驗じつけんするだけ人手ひとでもなければ、經費けいひかつたのみならず、墮胎だたいうたがひのあるやう場合ばあひにはまをあはせたやう腐敗ふはいつてて、良好りやうかう成績せいせきあたへないし、卵殼らんかくだけのこつてるのなどは、ほとん如何いかんともすること出來できなかつた。
 それは愈々いよ/\人間にんげんたまご決定けつていされた場合ばあひにも、一たい何處どこたれたまごかといふだんになると、事件じけんこと/″\迷宮めいきうつてしまふのだつた。さうだらう、むかしやう人間にんげんかたちをしたおほきな子供こどもを、人工的じんこうてき墮胎だたいすれば、いくらかくしても近所きんじよくちのぼるし、姙婦にんぷよわり、分娩後ぶんべんごにも立派りつぱ姙娠にんしんなり、分娩ぶんべんなりの痕跡こんせきがあつたから、假令たとひ確定かくてい出來できないまでも、推定すゐていくだして逮捕たいほするのに、なん骨折ほねをりいのであつて、一墮胎だたい犯人はんにん監獄かんごく大半たいはんをもふさがれてしまひはしないかといふ懸念けねんおこつて、墮胎だたいはなるべく監獄かんごくれないやうに、といふ手心てごころまでおこなはれた時代じだいさへあつたくらゐである。
 しかるに海下博士うみしたはかせ人間胎生法にんげんたいせいはふ發見はつけんがあつて、開業醫かいげふい注射ちうしやひとつて容易よういたまごとしてむことが出來できやうになつてからは、おさんらくだし、はらたいしてふくれないので、くるしくもなければ、近所きんじよから姙娠にんしん如何どうかをられるおそれはまつたくなくなつてしまつたのであつた。とく早期さうき人工流産じんこうりうざんをして、鷄卵けいらんだいあひだむとなると、とこほどことまるいから、それを玉子屋たまごやへブローカーからわたされては、流石さすが鬼刑事おにけいじ見當けんたうのつけやうかつたのであつた。
 たゞしそれも少數せうすうならば、なんとか出來できたであらうが、『子供こどもては交際場裏かうさいぢやうり活動くわつどう出來できない。』『子供こどもてはきな芝居しばゐ一つ、ちついてけない。』とか『子供こどもんで、はやけるのはおろかだ。をんな若返わかがへはふは、子供こどもまないのにる。』といふやう思想しさうが、社會しやくわい風靡ふうびして、軒並のきなみ鷄卵けいらんだい人間にんげんたまご出來上できあがり、出來できるとすぐてられては、假令たとひ、百千の警視廳けいしちやうがあつても、幾萬人いくまんにん鬼刑事おにけいじても、到底たうていひつくものではないのであつた。
 人卵じんらん販賣はんばい嚴禁げんきんし、これりながら食用しよくようきようしたものは、殺人さつじんじゆんじて所刑しよけいするといふ法律はふりつされた。
 しかし、玉子屋たまごやらずにりつけられて、らずに小賣こうりするのは、如何どうすることも出來できなかつた。またらずにつて、らずにべたものは、勿論もちろんこれつみするわけにもかないので、『わからないからかまふものか。』といふ享樂主義きやうらくしゆぎ男女達だんぢよたちは、相變あひかはらず無數むすう跳躍てうやくしては、鷄卵けいらんまがひのたまごおとして、當局者たうきよくしやくるしめるばかりであつて、丸野技師まるのぎしと、浦山刑事うらやまけいじとが、ひたひあつめて相談さうだんしたくらゐでは、これ如何どうする智慧ちゑてはないのであつた。


 人卵じんらんブローカーの暴利ばうり不正鷄卵業者ふせいけいらんげふしや跋扈ばつこ惡徳醫師あくとくいし暗中飛躍あんちうひやく、デカタン・ガールや不良老年ふりやうらうねん耽溺たんできが、風儀ふうぎみだしたことは、非常ひじやうなものであつた。けれどもそれについおほくをかた必要ひつえうはあるまい。たゞ八十年前ねんまへにサルブアルサンの六百六がうたいする、反對運動はんたいうんどうは、ほんの一ぢやう杞憂きいうぎなかつたけれども、この場合ばあひには取越苦勞とりこしくらうでない、現實げんじつ問題もんだいとなつたので、このまゝにしていたならば、淫風いんぷうため滅亡めつばうしたローマの失敗しつぱい繰返くりかへさなければなるまいといふことが、先覺者達せんかくしやたち憂慮いうりよたねとなつたといふおほきな相違さうゐしやうしたことへばりると、A博士はかせかたつた。
 それと同時どうじ憂國いうこくこゑげさせたものは、人口じんこう激減げきげんであつた。十九世紀せいきから二十世紀せいきにかけて、明治天皇めいぢてんのう御代みよに二十ねん内外ないぐわいうちに、三千まんから七千まんえて二倍以上ばいいじやうになつたために、隣國りんこくから非常ひじやう恐怖きようふせられたといふ歴史れきし日本にほんが、今度こんど反對はんたいに八千まんから七千まん、六千まんと、順次じゆんじ人口じんこう遞減ていげんしてて、たちまちのうちに○十年前ねんぜんすう復歸ふくきするやうえた。
 ものこれて、食料問題しよくれうもんだいこれよつ解決かいけつせられた。日本人にほんじん海下博士うみしたはかせ發見はつけんよつて、外國ぐわいこくから色眼鏡いろめがねられるといふ不快ふくわいまぬかれることが出來でき移民いみんくはだてゝ排斥はいせきけることもくなつたとろんじて、よろこんだけれども、多數たすう人々ひと/″\なかにも軍國主義者ぐんこくしゆぎしやは、こゑらして街頭がいとうち、人間にんげん卵生らんせいゆるしてかぎり、くに他國たこく侵略しんりやくかうむつて滅亡めつばうするよりほかみちい。海下うみしたといふ學者がくしやこそ、くに死地しちおとしいるゝ、にくんでもにくれない大惡魔だいあくまである。と絶叫ぜつけうして、聽衆ちやうしう大喝采だいかつさいはくした。
 聽衆ちやうしうのくづれは、日比谷ひびやをはじめ方々はう/″\公園こうゑんあつまつて氣勢きせいげ、だん/\そのすうくはへて宮城前きうじやうまへ大日本帝國萬歳だいにほんていこくばんざいを三しやうしてから、なだれをつて京橋區きやうばしく木挽町こびきちやうにある海下博士うみしたはかせ私宅したく亂入らんにふした。
 群集ぐんしふ家屋かをく破壞はくわいしたばかりでなく、
わたし國賊こくぞくでもなんでもありません。學者がくしやとして研究けんきうしたことが、偶然ぐうぜん不祥ふしやう結果けつくわまねいたとしても、それがため國賊こくぞくばはりをして、私刑しけいくはへるのは、無暴むばうであります。』
 と陳辯ちんべんしかゝつた海下博士うみしたはかせ[#ルビの「うみしたはかせ」は底本では「うみのはかせ」]袋叩ふくろだたきにして人事不省じんじふせいおちいらしたうへ家屋かをくはなつたのであつたのみならず、警官けいくわん暴行ばうかう阻止そしされたのをいかつて、一だんまたさらてんじて近所きんじよ巡査派出所じゆんさはしゆつじよ通行中つうかうちう電車でんしやにまで投石とうせきをはじめたのである。
これおなやうさわぎは、明治天皇めいぢてんのう御代みよにあつた日露戰爭にちろせんさう直後ちよくごにもおこなはれたのでありまして、歴史れきし繰返くりかへすといふことわざごと人間にんげん知識ちしきには存外ぞんぐわい諳合あんがふおほいものであります。』
 とA博士はかせはつけくはへたのであつた。


 騷擾さうぜうがあつてからく、政府せいふつひ人間卵生にんげんらんせい注射ちうしや嚴禁げんきんして注射藥ちうしややく在庫品ざいこひんこと/″\沒收ぼつしうすると同時どうじに、海下博士うみしたはかせ論文ろんぶん燒却せうきやくしてふたゝこれ稿下かうかすることをめてしまつた。ところが、その方法はうはふはやくから專賣特許せんばいとくきよになつてて、たれもがらなかつた關係くわんけいから、禁止令きんしれいきはめて確實かくじつ效果かうくわをあげることが出來できたのであつた。
『そこで母親はゝおやが一生懸命しやうけんめいになつて、愛兒あいじたまご孵化ふくわさすためあたゝめてると、一寸ちよつと用事ようじつたすきうかゞつて、いたづら小僧こぞうとりたまご取替とりかへていたために、幾日いくにちかかゝつてやうやくかへつたのをると、愛兒あいじではないにはとりなので、ては畸形兒きけいじんだのかと、悲觀ひくわんきよく精神せいしん異常いじやうていした悲喜劇ひきげきもなくなつてしまひ、また産科病院さんくわびやうゐん不注意ふちういからおなうまれた貴族きぞく平民へいみんとの子供こどもたまごれかはつたために、引續ひきつゞいておこつたお家騷動的いへさうどうてき財産爭ざいさんあらそひや、容貌ようばうまる父親ちゝおやないとふので、惹起ひきおこされた離婚りこんのローマンスとうも、それ以來いらいこと/″\くそのかげをさめてしまふことになつた。さうしてそれからいまやうやく○十ねんよりたないところ今日こんにちおいて、諸君しよくんがこの顯著けんちよで、劃時代的くわくじだいてきである大發見だいはつけん事實じじつを、すこしもらないといふ、ほかにはほとんべからざる奇現象きげんしやうが、おこつたのであります。これたん醫學史いがくしといふ一ぱん人々ひと/″\注意ちういをしないばかりでなく、その存在そんざい有無うむをさへられてない、特殊とくしゆ學科がくくわ專攻者せんこうしやたる、わたしごと學究がくきうのみにられてるといふめづらしい結果けつくわしやうじたのであります。』

 司會者しくわいしや挨拶あいさつがあつて、くわいをはつた。
ぼくももう○十ねんはやうまれゝば、うんと人間にんげんたまごべられたのだなあ。』
鷄卵けいらんよりもすこしうまいつてはなしだつたが、一つつてたいな。』
 と、意地いぢつた談話だんわふけりながら、歸路きろいそ無邪氣むじやきさうな中學生ちうがくせいもあれば、
わたし、もう○十ねんはやうまれたかつたわ。ごろみたいにコセ/\した時代じだいつちやありやしない――つておもはない。』
『いゝわねえ、とても。だい一、たまごうまれるなんて詩的してきだと思ふわ。』
詩的してきよりか、わたしたまごいまのおはなしやう婦人ふじんくるしみから解放かいはうされるといゝとおもふわ。姙娠にんしんしたみにくいスタイルをかんがへると、折角せつかく結婚けつこんのろひたくなつてよ。』
 と、としよりもませたことつてる、モダン・ガールの一ぐんもあつた。
 かと思ふと、また唯一人たゞひとりなにかんがへながら、氣味きみわる微笑びせううかべて、心持こゝろもまへこゞみになつてかへつて壯年者さうねんしやもある。
 一九九九ねん初夏しよかは、たかところつて、『いそいであるけばあついぞ』と威嚇ゐかくして、みな無駄話むだばなしをさせるやう仕向しむけるかのごとく、カン/\と力強ちからづよかゞやいてた。





底本:「現代ユウモア全集 第十一卷 高田義一郎集 らく我記」現代ユウモア全集刊行會
   1928(昭和3)年11月20日発行
初出:「科学画報」
   1927(昭和2)年7月号〜8月号
※この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫)
入力:宮城高志
校正:御巫呈一
2025年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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