『
鳥類や
魚類は、
卵生動物として
知られて
居るが、それには
例外がある。
例へばあの――
金魚屋に
賣つて
居るメダカといふ
小魚――
一口にメダカと
云つても、その
種類は六百
種からあつて、
地球上到る
處に
分布して
居るが――あの
小魚には
卵生のみならず、
胎生のものもある。
胎生のメダカは、
或る
特殊の
交尾をした
場合に
限つて
出來る。この
事實は
今から六七十
年も
前から、その
研究者に
依て
認められて
居たのである。
醫學史の
研究者で、
文學博士であり、
又醫學博士であるA
博士は、
興味のある、
而して
奇怪な
講演を
續ける。
『
既に
卵生動物にして
同時に
胎生のものがある
以上、
胎生の
動物にも
亦、一
定の
方法に
依て
卵生せしめ
得ない
筈はないといふのが、
本研究の
動機であつた。それが
單に
學問上の
興味だけでは
無く、
卵生も
出來るとなれば
人間に
非常に
便利なことが
多い。
例へば
早産兒は
中々うまく
育てにくいが、
卵生となれば
月足らずで
生れても、
後から
鷄の
樣にゆる/\と
温めて、
慈愛のこもつた
母の
懷でよく
育てることが
出來るし、
胎生となれば一
般に
分娩の
苦痛が
大きいのに
反して、
卵生となれば
難産の
如きは
跡を
絶つてしまふであらう。』
一九九九
年の
初夏の
空は、
心地よく
晴れて、
紺碧の
空には、
眞つ
白な
入道雲がむく/\と
出て
來ては、
時々奇拔にその
形をかへて
居た。カーテンを
洩れる
光線で
明るい
室内には、
溢れんばかり
多數の
聽衆が、
熱心な
顏を
輝かしながら
靜肅に
聞いて
居る。A
博士の
話はだん/\
進んで
行く。
『メダカの一
種でマウス・ブリーデイング・フヰツシユといふのがあつて、それは
卵を
生むとすぐそれを
自分の
口の
中に
入れて、
口の
中で
孵化させる。
口の
中で
孵つた
魚の
赤ん
坊は、
母親の
口の
中で
生活して
居て、
恰度カンガールの
仔が、
母親の
腹のポケツトから
出入して
居るのと
同じ
樣に、
澤山の
赤ん
坊が
母の
口から
遊びに
出て、
恐ろしいものにでも
逢へば
大いそぎで、
母の
口に
逃げ
込む。
又それと
同一の
趣向で、ねばねばした
液で
泡をこしらへて、その
泡の
球の
中に
卵を
入れる一
種もある。その
卵も
孵化後暫くの
間は、
前者の
母の
口と
同樣に、
泡の
球の
中に
住み、
球から
出入して
遊んで
暮すさうである。こんな
事實――それはメダカのみに
例を
取つたのであるが――も、
非常に
此の
研究を
促す
動機となつたのであつた。
その
研究の
經路は
之を
省かなければならないが、
特殊の
注射を
若干回施すことに
依つて、
姙娠後約二百五十
日目に
卵――
人間の
卵――として、
人の
子を
生むことに
海下博士が
成功した。その
卵は
母の
懷中なり、
攝氏三十七
度の
孵卵器の
中なりで、一
定時間後にはじめて
呱々の
聲を
上げる
次第で、
母をして
毎回約三十
日間宛、しかし
腹の
最も
大きい、
最も
苦痛の
多い、
而して
外見上風姿の
美しくない
時日から、
解放した
事丈からでもこの
研究は
人類に
非常の
幸福を
齎したものである。
況んや、
難産に
依る
兒童の
死亡を
防いだり、
殊に二た
子や三つ
子等の
複姙の
場合の
子供に
及ぼした
重大な
利益等、その
結果のよい
事は
中々數へ
切れない
程であつた。その
研究が
發表されたのは
恰度一九――
年の四
月であつたから――
本當ならば、
今日に
於てはそれが一
層研究され、一
層普及され、
且つ
利用されて
居らなければならない
筈なのである。
然るにそれから
僅に○十
年後の
今日に
生を
享けた
諸君が、
少しもその
事實を
知らないといふのは
何故であらうか。それが
即ち、
私の
今日諸君に
語らうとする
主題なのであります。』
A
博士は
一寸言葉を
切つて、
卓上のコツプで
咽喉をうるほした。
『
諸君が、
比較的近年の
此の
事實を
知らないのは、つまりその
研究のみならず、一
般の
人々が、
子供を
卵として
生むことを
嚴禁し、
若し
卵を
卵生したならば、それは
極刑――
死刑――に
處して、
殺人同樣に
取扱ふといふことになつた
爲であつて、さうされたのは
此の
卵生の
爲に
非常に
弊害が
多く
出來たからであつた。
諸君、
諸君は
奇怪に
考へるでせう。
前にいふ
如く、
非常に
世間に、
人類に、
多くの
利益を
與へたといふ
研究を
禁止して、その
違反者を
極刑にしなければならないといふ
事を、
甚しい
不合理と
考へるでせう。それは
確に
矛盾であつたが、しかし
禁止は
又確に
止むを
得なかつたので、
人類の
卵生が
行はれて
居たのはホンの二、三
年の
短期間に
過ぎなかつた。
之が
即ち
諸君がその
事實を
知らない
所以であると
同時に、
私の
專攻して
居る
醫史學上、
非常に
興味のある
時代であるのであります。
私はこれから
如何なる
弊害が、
人間の
卵を
繞つて
起つたかを
語らなければならない。一
體劃時代的研究の
發表には、
往々にして
反對運動や、
禁止運動が
伴ふもので、
例へば一九一一
年に、エールリヒ
及び
秦の
兩氏が
黴毒を
全治するサルブアルサン、
即ち
所謂六百六
號と
稱する
藥品を
發見して、その
效果が
適確であることが
世間に
知れ
渡ると
同時に、
宗教團體の一
部から、
突如としてこんな
反對運動が
起つた
事がある。
「
黴毒なる
病氣は、
放蕩をした
者に
對する
天の
制裁であります。
之あるが
爲に、
放蕩を
欲しながらもその
病氣にかゝる
事を
恐れて
放蕩しなかつた
者は
隨分多い。
然るに
今日以後、いくら
放蕩をして
黴毒に
罹つても、サルブアルサンの
注射さへすれば、
直に
舊の
如く
治るといふ
事になれば、
世間の
者は
悉く
立つて
放蕩の
門に
走るに
定つて
居る。
耽溺しない
者は
馬鹿だといふ
考へを
持つに
定つて
居る。
即ち
此のサルブアルサンといふ
藥は、
黴毒を
治すと
同時に、
社會を
墮落させる
藥であります。だから
折角の
大發見を
全然禁止してしまへとは
云はないまでも、
是非共一
生涯に一
度より、
此の
注射を
受けることが
出來ないといふ
禁止令を
出して
貰ひたいと
切望して
止みません。」
右のやうな
請願の
運動が
起つた
事がある。
幸か
不幸か、その
運動は
效を
奏せずに
終つた。つまりそれでは
折角良藥を
發見したのが、
何にもならない
事になるのと、サルブアルサンも
最初に
豫想された
程にはきかなかつたからであつた。しかしこの
人間の
卵生術の
發見に
對する
反對運動は、
完全にその
效を
奏したので、それは
つまり卵生に
伴ふ
弊害が
顯著であると
認められたからでありませう。その
弊害と
認められた
若干の
例を
之から
語らうとするのであります。』
A
博士の
話は、そのまゝ、
以下人間の
卵を
繞つて
起つた
事實を
掲げようとするのであるが、
談話のまゝではあまり
冗長に
失しる
嫌ひがあるから、
便宜上、
書下すに
止めることを
承知して
戴きたいのである。
東京××
新聞の
夕刊を
見て
居た
川子夫人は、
手にして
居た
夕刊を
取落す
程に
驚いて、
顏色をかへながら、
傍の
机で
何か
書いて
居た
夫の
山雄に
話しかけた。
『まあ、あなた。
家へ
出入して
居る
青華堂の
鷄卵の
中に、
澤山人間の
卵がまぜてあつたんですつて、
家で
食べたのゝ
中にも、もしかすると
有りはしなかつたでせうか?
妾、
何だか
氣味が
惡くなつて、
胸がむか/\する
樣で
仕方が
御座いません!』
『
一寸その
夕刊を
見せて
御覽!』
山雄は、
妻の
手から
受取つた
紙面を
見ながら、『はゝあ、
此の
主人が
拘引されたといふ
青華堂か、いつでも
家へ
出入して
居るんだね。まあさう
すぐに
神經を
尖らさなくつてもいゝさ、しかし
此の
人卵の
話は、
昨日も
友人同志の
會合の
席上でも
出てね、
人間の
卵が
鷄卵とまぎれる
程小さいか
如何かつていふ
議論があつたんだよ。
所がその
方の
事を
知つてる
者の
話によると、
完全に
出來上つた
人間の
卵は、
無論大きくつて、
鷄卵の四五
倍もあるが、
早産をすればいくらでも
小さいのが
出來るから、
鷄卵と
混ぜて
胡麻化すことも
出來るつていふ
譯になるんださうだ。あんまり
氣味のいゝ
話ぢやあないがね。』
『そんなことだといやですわね。――
何とか
混ぜてあるのを、
區別する
方法は
無いもので
御座いませうか。』
川子夫人も、
恰も
憐れみを
乞ふ
時の
樣な
態度で、
夫の
答を
待つのだつた。
『さうだ、その
問題は
昨日もすぐに
出たんだよ。
何でも
味が
鷄のよりも
少しいゝといふが、それ
丈ではわからない。
黄味の
色が
心持薄いといふけれども、
之も
鷄の
食料に
依て、
鷄卵の
黄味の
色に
濃淡があるから、一
概に
何ともいふ
事は
出來ないし、
大さの
關係は
今云つた
通りさ。それでどうしても
昔から
有る
蛋白の
種類の
鑑別試驗をするより
仕方が
無いさうだよ。
確實なことを
云ふにはね!』
『その
鑑別試驗は、
家庭でも
出來るので
御座いませうか。』
之が
出來ればよい、いよいよ
出來ないとなれば、
鷄卵は
絶對にもう
臺所へ
入れまいといふ
決心をしながら、
川子夫人は
恐る/\
夫に
尋ねたのであつた。
『
一寸免倒ださうだ。しかし
手數さへ
厭はなければ、いくらでも
出來るつていふ
話だつたよ。』
山雄は
友人から
聞いた
通りを、
率直に
答へた。
『
幾つも
試驗の
方法があるさうだ。
即ち
補體結合反應といふのもあり、
沈降素反應といふのも
過敏性反應といふのもあるといふ
事を
聞いたよ。』
『どれか一つで
結構で
御座いますが、その
中で一
番便利な
方法を
教へて
戴きたいと
思ひますが……』
『どの
方法も
皆、
動物を
使はなければならないが、
沈降素反應の
方法だと
兎だといふし、
過敏性反應はモルモツトの
方がいゝさうだから、やつて
見るつもりなら、モルモツトを
飼つとく
方が、
場所ふさぎにならないでいゝだらうぢやないか。』
『
動物丈でなしに、やり
方はむづかしくは
御座いませんの。』
『
何でも
鷄卵の
白味をモルモツトの
腹の
中に
注射して
置いて、
幾日目かに
檢査しようと思ふ
卵、
即ち
鷄の
卵か、
人間の
卵かわからない
卵の
白味を、その
用意をしてあるモルモツトと、
唯のモルモツトとの
兩方の
腹の
中に
注射する
丈でいいのだ、すると
若しその
卵が
鷄卵ならば
用意してあつたモルモツトはスグに
死ぬし、
唯のモルモツトには、
少しの
變兆が
起らない
筈だから、その
時に
若し
兩方共のモルモツトが
平氣ならば、
鷄卵ぢやなかつた
譯だね。そこで
若し
人間の
卵だといふことを
積極的に
確める
爲には、
前に
別に
人の
血清なり
人間の
卵の
白味なりを
注射したモルモツトを
用意して
置いて、それが
檢査をすべき
疑問の
卵の
注射後に、
死ぬか
死なないかを
見ればいゝんだから、
簡單ぢやないか。
精しい
事は
知らないけれども、
若し
熱心があるならお
前一つ
野原醫學士を
訪問して
御覽。あの
人がいつでも一
通りの
講習をしてもいゝつて
云つて
居たから。』
× × × ×
こゝで
重大な
問題が
起つた。といふのは
人間の
卵を、
鷄卵と
同一
位の
大さの
間に
取らうといふ
考へから、
人工早産が
非常に
増加して、
之が
爲めに
非常に
不都合な
結果を
生じたといふ
事であつた。
その
不都合な
結果、
見逃すべからざる
重大事實とは、一
體どんな
事であつたらうか。
『
君どうも
困つたね!
人卵の
事件には、
全く
手のつけやうが
無いんだからね!』
警視廳の
鑑識課の
主任技師、
丸野角平は、
連日の
苦心も
報いられないので、
失望と
疲勞との
爲に
意氣銷沈したばかりで
無く、
嘗て
自分が
腦漿をしぼつた
以上、
問題の
核心をつかみ
得なかつた
事は一つも
無いといふ、
大きな
自信を
傷けられて、
彼の
平生を
知つて
居る
者には、一
見別人かとも
思はれる
程の
態度で、
卓上に
頬杖をつきながら、
相手の
顏をジツと
見つめて
居る。
『
全くだねえ。
僕の
方でも
手を
燒いて
居るんだ。
何しろ
事件は
無數に、
次から
次といひたいが、
事實はそれ
以上で一
日に
何十
件、
百百
件と、
東京市丈でも
起るんだもの。いくら
活動したつて
追ツつきつこは
無いし、
卵の
殼ばかりあさつて
歩いて、
君の
方へ
矢鱈に
持込んだ
所で
仕方が
無い。と
云つて
放つて
置けば、
被告人の
口から
自白してるのに、お
前の
方は一
體何をして
居るんだと
云つて、いやつていふ
程油を
絞られるんだから、
今度位弱つた
事は
無いと
思ふよ。』
さう
答へたのは、
智能犯にかけては
最も
腕利きで、
髮の
毛一
本、
紙きれ一つからでも、
有力の
手がかりを
引出して、たくみにたくんだ
至難の
事件を、いつでも
無事にかたづけてしまふので、
鬼刑事の
綽名さへある
浦山九
太郎であつた。
實際、
人間の
卵には
當局者は、
閉口してしまつて
居た。
氣をつける
家庭で、
少數の
卵に
就て、しかも
新鮮な
材料を
用ひてならば、
人間の
卵か
如何かを
識別することも
出來るが、
無數の
卵に
就て一々
實驗する
丈の
人手もなければ、
經費も
無かつたのみならず、
墮胎の
疑ひのある
樣な
場合には
申し
合せた
樣に
腐敗し
切つて
居て、
良好な
成績を
與へないし、
卵殼丈が
殘つて
居るの
等は、
殆ど
如何ともする
事が
出來なかつた。
それは
愈々人間の
卵と
決定された
場合にも、一
體何處の
誰の
卵かといふ
段になると、
事件は
悉く
迷宮に
入つてしまふのだつた。さうだらう、
昔の
樣に
人間の
形をした
大きな
子供を、
人工的に
墮胎すれば、いくら
隱しても
近所の
口の
端に
上るし、
姙婦も
弱り、
分娩後にも
立派に
姙娠なり、
分娩なりの
痕跡があつたから、
假令、
確定は
出來ない
迄も、
推定を
下して
逮捕するのに、
何の
骨折も
無いのであつて、一
時は
墮胎の
犯人で
監獄の
大半をも
塞がれてしまひはしないかといふ
懸念が
起つて、
墮胎はなるべく
監獄へ
入れない
樣に、といふ
手心まで
行はれた
時代さへあつた
位である。
然るに
海下博士の
人間胎生法の
發見があつて、
開業醫の
注射一つて
容易に
卵として
生むことが
出來る
樣になつてからは、お
産は
樂だし、
腹も
大して
膨れないので、
苦しくもなければ、
近所の
目から
姙娠か
如何かを
知られる
恐れは
全くなくなつてしまつたのであつた。
特に
早期に
人工流産をして、
鷄卵大の
間に
生むとなると、
床に
就く
程の
事は
丸で
無いから、それを
玉子屋の
手へブローカーから
渡されては、
流石の
鬼刑事も
見當のつけ
樣が
無かつたのであつた。
但しそれも
少數ならば、
未だ
何とか
出來たであらうが、『
子供が
居ては
交際場裏に
活動が
出來ない。』『
子供が
居ては
好きな
芝居一つ、
落ちついて
見に
行けない。』とか『
子供を
生んで、
早く
老けるのは
愚だ。
女の
若返り
法は、
子供を
生まないのに
在る。』といふ
樣な
思想が、
社會を
風靡して、
軒並に
鷄卵大の
人間の
卵が
出來上り、
出來ると
直に
捨てられては、
假令、百千の
警視廳があつても、
幾萬人の
鬼刑事が
居ても、
到底追ひつくものではないのであつた。
人卵の
販賣を
嚴禁し、
之を
知りながら
食用に
供したものは、
殺人に
準じて
所刑するといふ
法律は
出された。
しかし、
玉子屋が
知らずに
賣りつけられて、
知らずに
小賣するのは、
如何することも
出來なかつた。
又知らずに
買つて、
知らずに
食べたものは、
勿論之を
罪する
譯にも
行かないので、『わからないからかまふものか。』といふ
享樂主義の
男女達は、
相變らず
無數に
跳躍しては、
鷄卵まがひの
卵を
生み
落して、
當局者を
苦しめるばかりであつて、
丸野技師と、
浦山刑事とが、
額を
集めて
相談した
位では、
之を
如何する
智慧も
出ては
來ないのであつた。
人卵ブローカーの
暴利、
不正鷄卵業者の
跋扈、
惡徳醫師の
暗中飛躍、デカタン・ガールや
不良老年の
耽溺が、
風儀を
亂した
事は、
非常なものであつた。けれどもそれに
就て
多くを
語る
必要はあるまい。たゞ八十
年前にサルブアルサンの六百六
號に
對する、
反對運動は、
ほんの一
場の
杞憂に
過ぎなかつたけれども、この
場合には
取越苦勞でない、
現實の
問題となつたので、このまゝにして
置いたならば、
淫風の
爲に
滅亡したローマの
失敗を
繰返さなければなるまいといふ
事が、
先覺者達の
憂慮の
種となつたといふ
大きな
相違を
生した
事を
言へば
足りると、A
博士は
語つた。
それと
同時に
憂國の
聲を
擧げさせたものは、
人口の
激減であつた。十九
世紀から二十
世紀にかけて、
明治天皇の
御代に二十
年内外の
中に、三千
萬から七千
萬に
殖えて二
倍以上になつた
爲に、
隣國から
非常に
恐怖せられたといふ
歴史を
持つ
日本が、
今度は
反對に八千
萬から七千
萬、六千
萬と、
順次に
人口が
遞減して
來て、
忽ちの
内に○十
年前の
數に
復歸する
樣に
見えた。
或る
者は
之を
見て、
食料問題は
之に
依て
解決せられた。
日本人は
海下博士の
發見に
依て、
外國から
色眼鏡で
見られるといふ
不快を
免れることが
出來、
移民を
企てゝ
排斥を
受けることも
無くなつたと
論じて、
喜んだけれども、
多數の
人々、
中にも
軍國主義者は、
聲を
枯らして
街頭に
立ち、
人間の
卵生を
許して
置く
限り、
我が
國は
他國の
侵略を
蒙つて
滅亡するより
他に
道は
無い。
海下といふ
學者こそ、
我が
國を
死地に
陷るゝ、
憎んでも
憎み
切れない
大惡魔である。と
絶叫して、
聽衆の
大喝采を
博した。
聽衆のくづれは、
日比谷をはじめ
方々の
公園に
集つて
氣勢を
揚げ、だん/\その
數を
加へて
宮城前で
大日本帝國萬歳を三
唱してから、なだれを
打つて
京橋區木挽町にある
海下博士の
私宅へ
亂入した。
群集は
家屋を
破壞したばかりでなく、
『
私は
國賊でも
何でもありません。
學者として
研究した
事が、
偶然不祥の
結果を
招いたとしても、それが
爲に
國賊呼ばはりをして、
私刑を
加へるのは、
無暴であります。』
と
陳辯しかゝつた
海下博士[#ルビの「うみしたはかせ」は底本では「うみのはかせ」]を
袋叩きにして
人事不省に
陷らした
上、
家屋に
火を
放つたのであつたのみならず、
警官に
暴行を
阻止されたのを
怒つて、一
團は
又更に
轉じて
近所の
巡査派出所や
通行中の
電車にまで
投石をはじめたのである。
『
之と
同じ
樣な
騷ぎは、
明治天皇の
御代にあつた
日露戰爭の
直後にも
行はれたのでありまして、
歴史は
繰返すといふ
諺の
如く
人間の
知識には
存外諳合が
多いものであります。』
とA
博士はつけ
加へたのであつた。
此の
騷擾があつてから
間も
無く、
政府は
遂に
人間卵生の
注射を
嚴禁して
注射藥の
在庫品を
悉く
沒收すると
同時に、
海下博士の
論文を
燒却して
再び
之を
稿下することを
止めてしまつた。
所が、その
方法は
早くから
專賣特許になつて
居て、
他の
誰もが
知らなかつた
關係から、
此の
禁止令は
極めて
確實な
效果をあげることが
出來たのであつた。
『そこで
母親が一
生懸命になつて、
愛兒の
卵を
孵化さす
爲に
温めて
居ると、
一寸用事に
立つた
隔を
覗つて、
いたづら小僧が
鷄の
卵と
取替へて
置いた
爲に、
幾日かかゝつて
漸くかへつたのを
見ると、
愛兒ではない
鷄なので、
扨ては
畸形兒を
生んだのかと、
悲觀の
極、
精神に
異常を
呈した
悲喜劇もなくなつてしまひ、
又産科病院の
不注意から
同じ
日に
生れた
貴族と
平民との
子供の
卵が
入れかはつた
爲に、
引續いて
起つたお
家騷動的の
財産爭ひや、
容貌が
丸で
父親に
似て
居ないと
云ふので、
惹起された
離婚のローマンス
等も、それ
以來悉くその
影を
收めてしまふ
事になつた。さうしてそれから
未だ
漸く○十
年より
經たない
所の
今日に
於て、
諸君がこの
顯著で、
且つ
劃時代的である
大發見の
事實を、
少しも
知らないといふ、
他には
殆ど
有り
得べからざる
奇現象が、
起つたのであります。
之が
單に
醫學史といふ一
般の
人々の
注意をしないばかりでなく、その
存在の
有無をさへ
知られて
居ない、
特殊な
學科の
專攻者たる、
私の
如き
學究のみに
知られて
居るといふ
珍らしい
結果を
生じたのであります。』
司會者の
挨拶があつて、
會は
終つた。
『
僕ももう○十
年早く
生れゝば、うんと
人間の
卵が
食べられたのだなあ。』
『
鷄卵よりも
少しうまいつて
話だつたが、一つ
食つて
見たいな。』
と、
食ひ
意地の
張つた
談話に
耽りながら、
歸路を
急ぐ
無邪氣さうな
中學生もあれば、
『
妾、もう○十
年早く
生れたかつたわ。
此の
頃みたいにコセ/\した
時代つちやありやしない――つて
思はない。』
『いゝわねえ、とても。
第一、
卵で
生れるなんて
詩的だと思ふわ。』
『
詩的よりか、
妾、
卵で
今のお
話の
樣に
婦人が
生む
苦しみから
解放されるといゝと
思ふわ。
姙娠した
醜いスタイルを
考へると、
折角の
結婚も
呪ひたくなつてよ。』
と、
年よりもませた
事を
云ひ
合つて
居る、モダン・ガールの一
群もあつた。
かと思ふと、
又唯一人で
何か
考へながら、
氣味の
惡い
微笑を
浮べて、
心持ち
前こゞみになつて
歸つて
行く
壯年者もある。
一九九九
年の
初夏の
日は、
未だ
高い
所に
在つて、『
急いで
歩けば
暑いぞ』と
威嚇して、
皆に
無駄話をさせる
樣に
仕向けるかの
如く、カン/\と
力強く
輝いて
居た。