ベビー・シッティング
中谷宇吉郎
正月のオール讀物に『アメリカの藝者物語』というものを書いたら、お前もだいぶ墮落したと、方々でいわれた。どうも中を讀まないで、題目を新聞廣告で見ただけで、批評されるのだからたまらない。もっともオールなどとは縁の遠い高級な人には、用のない話なのである。
話の内容は、アメリカには、原則として藝者や女給はいないが、その代り、同伴の夫人たちが、藝者の役目をつとめ、巧く座持をしてくれる、という話なのである。
終戰以來十年の間に、待合や温泉宿、それにダンスホール、キャバレーなど、即ち遊興の面での日本の復興はまことに目覺しく、戰前を遙かに凌駕する繁昌ぶりである。そういう方面で、消費された物資と金額とは、優に日本の全電源を開發する量に達しているという話である。
日本は貧乏で、失業者は益々殖えるばかりであると泣言をいっている一方、こういう浪費をしているのでは、外資導入だの、何だのといっても、巧く行かないのが當然である。
しかし酒を飮むなとか、會食をするなとかいっても、實際問題としては、なかなか實行されない。それでアメリカ流に、待合やバーですることを、各自の家庭内でやるような風習を助成するのが、日本再興の一方策である。まあこういう警世の大論文のつもりで書いたわけである。
ところで、アメリカでは、どんなパーティでも、ほとんど夫婦揃って、即ち藝者同伴で出かけるわけであるが、子供はどうするかという質問がすぐ出る。女中などは、百萬長者でなければ置けないので、さっそく困ってしまう。その點は、もしこういう風習を日本へ導入しようという場合にも、すぐ問題になる。
その點は、ベビー・シッティング(子守り)制度で、巧く解決されている。それは主として高等學校や大學へ行っている女子學生の内職になっているが、パーティの日がきまると、豫め知り合いの女學生に電話をかけ、その時間だけ、子供の世話をしてもらい、時間制で報酬を拂うのである。このあたりでは、一時間六十五仙(約二百五十圓)というのが相場である。地方へ行くと五十仙くらいらしいが、それでも百八十圓だから大したものである。
子供はたいてい夜の八時か、おそくとも九時には、寢臺へはいる習慣になっているので、女學生の内職としては、きわめて樂な仕事である。六時か七時、夫婦がパーティに出かけるときに顏を出し、子供を寢室へ追い込んだあとは、テレビを見るか、自分の勉強をしながら、夫婦の歸るのを待っていればよい。自動車で歸ってくるので、その足で家まで送り屆ける習慣になっている。
日本だったら、いろいろな點で、補正をして、日本の國情に合うようにする必要はあるが、こういうやり方自身は、巧く取り入れれば、たいへんいいように思われる。
底本:「百日物語」文藝春秋新社
1956(昭和31)年5月20日発行
入力:砂場清隆
校正:木下聡
2025年5月29日作成
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