ケーベル博士の常に心を去らなかった著作上の仕事は「文学における、特に哲学における看過されたる者
古句を説き、古俳人を論ずる傾向は、今の世において決して乏しとせぬ。見方によっては過去のあらゆる時代より盛であるといえるかも知れない。ただわれわれがひそかに遺憾とするのは、多くの場合それが有名な人の作品に限られて、有名ならざる人の作品は閑却されがちだという点である。一の撰集が材料として取上げられるに当っては、その中に含まれた有名ならざる作家に及ばぬこともないけれども、そういう撰集を単位にして見れば、これもまた有名な集の引合に出されることが多く、有名ならざる俳書は依然として下積になっている。有名な作家、有名な俳書に佳句が多いということは、常識的に一応
芭蕉を中心とした元禄の盛時は、その身辺に才俊を集め得たのみならず、遠く
われわれは
昭和十八年八月十日
著者
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順序上新年の句を最初に置くことにする。今の新年は冬の中に介在しているが、昔の新年は春の中にあった。従ってその空気なり、背景なりには、大分今と異ったものがある。古人も俳書を編むに当り、あるいは
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正月はどこまでわせた小松売 円解
「どこまでわせた」は、正月はどこまで来たか、といって小松売に尋ねる意であろう。正月というものに対して次第に無関心になりつつあるわれわれも、この句を読むといろいろなことを思い出す。
正月を擬人した句は他にいくらもある。一茶の「今春が来た様子なり煙草盆」などは、最も人間的に扱った例として知られているが、それより前に「正月が来たか畠に下駄の跡」という誰かの句があった。円解の句はこの二句ほど気が
「にこめく」という言葉はあまり耳慣れぬようであるが、漢字を当てるとすれば「和」の字であろうか。「物堅き老の化粧やころもがへ」という
めでたい句である。朝日のはなやかにさしたる、とでも形容すべきところであろう。
新年の句のめでたいのは何も不思議はないが、こういう巧まざるめでたさを捉えたものはかえって少い。「さしかゝる」という言葉も、蓬莱を飾った
この句の趣は今の正月としても味わわれる。万歳の
「ものゝふの矢なみつくろふ
村著衣始というのは年頭に衣を
『浮世風呂』の中であったか、犢鼻褌を腮でしめた時分の話だ、というような意味のことがあった。
村の句は
村の句は従来あまり問題になっていない。眼前戸をさして枢 の内や羽子 の音 毛

正月――少くとも松の内位の間、夜早くから店をしめて、人通りもあまりないのは、以前も同じことであるが、点燈夫がつけて歩く軒ラムプの時代には、とてもその光で羽子をつくことは出来なかった。軒ラムプが電燈に変ってからも、はじめのうちはかなり暗いもので、街燈の光がその度を加え、
毛
のこの句は風の強い日などであるか、戸をしめた枢の内から羽子の音が聞える、という変った場合を見つけたのである。今なら広い土間か何かに光の強い電燈をつけて、夜でも羽子をつき得るわけであるが、元禄時代の燈火ではそんなことを望むべくもない。ただそういう風の当らぬ別天地に、蝋燭に帯のあふちや著そはじめ 魚珞
この蝋燭は夜でなしに、朝非常に早い室内の燭ではないかと思う。衣を
繊細な見つけどころの句で、燭の火に衣を改める人の面影が
万歳の春をさし出す扇 かな 子直
万歳のさし出す扇から春が生れるように感ずる、というよりも更に進んで、万歳が扇によって春そのものを差出す、と見たのである。こういういい現し方は今の句とは大分異った点があるように思う。
「今朝春の
七くさやそこに有 あふ板のきれ 吏全
古人の七種の句を通覧すると、多くは薺をたたく拍子が問題になっている。「七種や明ぬに
七草や拍子こたへて竹ばやし りん
というような
七種のついでにたゝく鳥の骨 薄月
というような、余興だか、実用だかわからぬこともあったのであろう。幾人も寄ってたたく中には、
七種の手本にも似ぬ拍子かな 車要
ということになって、
薺を打つ板は元来きまったものがあったのであろうが、
物の足らぬがちな家で、薺をたたくにもあり合せの板切ですまして置く、という簡素な趣を詠じたものと解されぬこともない。ただ薺打を賑やかなものとして考えると、及ばずながら板切を取って加わる方が、新春の趣にふさわしいような気もするのである。事実を知らぬ者の想像だから、これも間違っているかも知れない。
君が代をかざれ橙 二万籠 舟泉
橙は
西鶴の『
わか水やよべより井桁 越せる音 孚先
年立つ朝の水はどこでも若水と
井は水の豊なるよりめでたきはない。井桁をこぼれる水の上に、しずかに元朝の光のゆらぐ様を思えば、自ら爽快の感を禁じ得ぬものがある。
廊に蓬莱 重きあゆみかな 友静
「廊」は「ワタドノ」あるいは「ホソドノ」とでも読むのであろうか。蓬莱といえば飾ってあるところの句が多いのに、これは運ぶ場合であるのが珍しく思われる。蓬莱を大事に
八日
かつて西鶴輪講の時、『一代男』の「
七種や茶漬に直す家ならひ 朱拙
この句も七種の句としては破格の部であろう。薺粥というものがあまり口に合わないので、その後で茶漬を食うの意かと想像する。「直す」というのが十分にわからぬが、「口直し」などという言葉もあるから、便宜上そう解して見たのである。儀式的に薺粥を食べて、あとは直ぐさっぱりした茶漬にする。嗜好から出発した家例で、毎年それを繰返すというのではなかろうか。
あるいは七種の粥を全然やめてしまって、茶漬を食う家例に改めたという「直す」かとも思うが、それではどこか落著かぬようである。宿酔のために翌日再版を発行する人もあれば、当日のきまりすら略して茶漬にする人もある。一の薺粥について反対の傾向の窺われるのが面白い。
家々の懐 ふかし松かざり 舟泉
「懐」といったのは作者の働きで、奥深い家の様であろう。そういう家がいくつも並んでいるところらしい。奥深い家の門に
あら玉の文の返事やちらし書 方橋妻
年始状も印刷の端書と相場がきまってしまうと甚だ殺風景である。以前には絵端書が大分あって、その色彩だけでも春らしいものを感じさせたが、近年はそれも少くなってしまった。
この句は元禄だから、勿論年賀端書などではない。作者が婦人である以上、返事をよこす人も婦人であろう。細くめでたい筆蹟で、散らし書に書いてある。いずれきまりきった文句ではあろうが、何となくゆかしい感じがする。仮名の稽古に
「あら玉」といっただけで、
蓬莱に飾りならべん米俵 道賢
道賢の句は北枝のと違って、現在畳の上に米俵が置いてあるわけではない。この飾ってある蓬莱の
山出しの町馴にけり門の松 釣玄
「山出し」という言葉は、今では人間のことになってしまったが、元来は材木に使われた言葉だという説を、どこかで聞いたおぼえがある。山から出したままの材木でも、町へ持って来るには大分手数をかけなければならぬが、門松ならば人工を要せぬ。全く山出しのままで直ぐ使用出来る。
山から持って来た松の木が、門に立てると町馴れた様子に見える、というだけのことらしい。山出しの人間が都会馴れて来た、という事実が引かけてあったりすると、擬人的色彩が強くなるが、それは「山出し」を人間とのみ心得た現在のわれわれの考かも知れない。
句としてはつまらないけれども、「山出し」という言葉を考える上には、一顧の価値なしとせぬであろう。
「老父を慰て」という前書がついている。そういう意識の下に
ツネという婦人の句に「羽子をつく童部心に替りたし」というのがある。昔の世の中ではなお更のことであろう。羽子板を手にしたところで、嬉々として遊ぶ子供に返ることは出来ない、ああいう心持に今一度なって見たいというのは人情であるが、定依の句は老父を慰めるために、わざと子供のように羽子をついて見せるのである。「子供に似せて」というところに、どうしても子供になりきれぬ気持が窺われる。
羽子をついて老父を慰めるというのは、愚に返った老人を喜ばすだけの事か、更に何か意味があるのか、十分にわからない。例の
御代の春蟇 も秀歌を仕 れ 鷺水
「いづれか歌をよまざりける」と『古今集』の序に書かれて以来、蛙に歌はつき物になった。宗鑑の「手をついて歌申上る蛙かな」などという句も、蛙の様子を擬人しただけのようで、やはりちゃんと『古今集』の序が
元日や一の秘蔵の無分別 木因
妙な句を持出した。
『本朝文鑑』の中に「影法師対」という文章があって、冒頭に「老の暮鏡の中に又ひとり」の句を置き、最後をこの句で結んである。歳暮にはじまり元旦で終るので、
この句を解するのに、右の形影問答はそれほど必要とも思われぬが、「世間の理屈を外に置て、内に無尽の宝あり」の一句は
三方の上に飾ってある海老の赤い色に、うらうらと初日の影がさして来る、という風に限定して考えないでも、初日の光がさし上るということと、三方の上の海老の赤いのとを、新春の景象として受取ればいいのである。ありふれた材料ではあるが、そのありふれたところにまた新年らしい感じがある。ただ「赤み」という言葉は、普通にはもう少し色彩の薄い場合――少くとも海老ほど真赤でない場合に用いられるものかと思うけれども、あるいはわれわれだけの感じかも知れぬ。
万歳のゑぼし取たるはなしかな 小春
万歳同士であるか、他の人を相手に話すのか、それはいずれでも
特に新春らしい背景も何も描かずに、烏帽子を取った万歳が誰かと話している、という変った場合を捉えた。そこにちょっと人の意表に出た面白味がある。
「
一茶に「船が著て候とはぐふとんかな」という句がある。同じようなところを
門松や黒き格子 の一つゞき 呂風
あまり大きくない家が並んでいるようなところであろう。裏町ではないかも知れぬが、道幅なども広くない光景が目に浮ぶ。そこにある一連の格子が黒いというのは、
そういう古びた、小さい
万歳に蝶々とまれたびら雪 左次
昔の正月は今ほど寒くはないにしても、本当の蝶が飛出すには少々早過ぎる。この句は雪のひらひらと舞い散る様を、蝶々に見立てたものと思われる。「たびら雪」は雪片の大なるものだから、この見立には適当なわけである。
万歳が
母親や薺 売子に見えがくれ 鼠弾
「はるの野をふご手にうけて行
子供が正月の薺売に出る。まだいとけない子であるか、あるいは今年はじめて売りに出るとかいうような場合で、子供は一人で大丈夫だといって出かけたが、母親は何となく
蔵を持たぬわれわれに取って、蔵開という季題はあまり交渉がない。子供の時分には
蔵開の句は古来どの位あるか、殆ど記憶に存するものがないが、この句はまごう方なき蔵開である。いずれ富貴繁昌の
「孫息子」というのは、孫
元日やずいと延たる木々の枝 芙雀
ただ眼前の景色である。上天気の元日であろう。しずかな空へ木々の枝が手をさし出すように、ずっとのびている。別に元日らしいこともない景色のようであるが、すくよかにのびた木々の枝の感じと、希望の多い年頭の気分との間には、何らか
昔の元日のことだから、冬の中にある今の正月と違って、一陽来復の気が行渡っており、木々の枝の伸び方にも著しく目に立つものがあるかも知れぬ。しかし「ずいと延たる」は元日になって
版で刷ったような、おめでたい普通の元日の句より、こうした句に真のめでたさはあるともいい得るであろう。
青竹の神々しさよえ方 棚 遅望
青竹の色ほど鮮麗なすがすがしい感じのものは少い。路傍の
「古寺の
七草や多賀の杓子 のあら削り 亀洞
「多賀の杓子」というのは、
ゆがみなりにも寿命ながかれ
手づよさはお多賀杓子の荒けづり 正式
という俳諧は、参考に挙げて置いた方がよさそうである。種彦の説によれば、多賀の杓子の柄が曲っていたのは百余年前までだという。百余年という数はいささか漠然としているから、亀洞の句もいずれに属するかわからぬが、「お多賀杓子の荒けづり」は已に
昼過にたゝきて見たる薺かな 不玉
前の句が少し面倒だったから、今度は思いきって簡単なのを持出す。薺をたたくのは「唐土の鳥が日本の国へ渡らぬ先に」だから、どこでも早きを
一夜明けて元日になった気分は、一口にいえば清浄、簡素である。華麗だの、豪奢だのという種類のものは、どう考えても元日気分と調和しないように思う。正月用の調度なり食物なりが清浄、簡素の妙を示しているのは、一歳の始に当って節倹を
藁草履は
小幡という地名は方々にあって、どこを指したものか、はっきりわからない。
今日のように夜東京を発して、翌朝
但以上は小幡を小俣として解したのである。小幡が他の土地であるとすれば、右の解釈は抛棄しなければならぬ。「小幡どまり」ということが、めでたい参宮の春の感じを損わぬ限り、必ずしも小俣を固執するわけではない。
七種や八百屋が帳のつけはじめ
村
村新年も松の内位までは、めでたく平穏な日が続く上に、いろいろ暮にととのえた物があって、
「八百屋が帳のつけはじめ」は
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桃色に雲の入日やいかのぼり 其木
句意は格別説明するまでのこともあるまい。この句の生命はいうまでもなく「桃色」にある。夕日の空に
北原白秋氏の歌に「
今日の眼から見ると、何となく平凡な句のように見える。しかしこの句の出来た元禄時分にも、果して平凡だったかどうかは疑問である。夕日に光る鍬の刃は、当時にあってはむしろ新しい見つけどころではなかったろうかという気もする。
振上げ打おろす鍬の刃が、夕日を受けてきらりと光る。そういう動作は句の表面に現れてはいないけれども、「田打」という言葉によって、同じような動作を繰返しつつあることが連想されるのである。
「振あぐる鍬のひかりや春の野ら」という
うぐひすや内等の者の食時分 黙進
この句を読むと
鶯の句にはなお元禄に
鶯や宮のあかりの起時分 幾勇
というのがあり、天明にも
鶯のなくやきのふの今時分 樗良
というのがある。「何時分」という語で結ぶ句がいくつもあるのは偶然であるか、どれかの
鶯や片足あげて啼 て見る 桃若
スケッチである。鶯は昔から愛玩される鳥だけに、その形についてもいろいろな観察が下されているが、其角の「鶯の身を
この作者は「豊後少年」という肩書がついている。由来少年の句というものは、大人の影響が多いせいか、子供らしいところを失いがちなものであるが、この句などは比較的単純率直な、部類に属する。
藪の中にあるというのだから、この池はそう大きなものとは思われない。池を浚って冬以来溜っていた水を一掃するのは、籾種を浸すために先ずその水を清からしむるのであろうと思う。農家の人々から見たら、あるいは平凡な事柄であるかも知れぬが、こういう句は机上種浸の題を
草に来て髭 をうごかす胡蝶かな 素翠
このままの句として解すべきである。「草に来て」という上五字に重きを置いて、花に来ないで草に来た、という風に解すると、理窟に堕する
其角に「すむ月や髭を立てたる
拍子木を打って廻っていた音が聞えなくなって、御堀の蛙がしきりに鳴立てる。句の上にはこれだけしか現れていないけれども、城のほとりか何かで、夜もやや
子規居士の「石垣や蛙も鳴かず深き
打はらふ袂 の砂やつく/\し 源女
一見何人も婦人の句たることを肯定するであろう。女流俳句の妙味は常にこういう趣を発揮する点にある。
われわれは元禄のこの句に逢著する以前、明治の『春夏秋冬』において
裏がへす袂 の土や土筆 秋竹
という句を読んでいた。頭に入った順序は全く逆であるが、この「裏がへす」の句は「打はらふ」の句を換骨奪胎したものとは思わない。むしろ作者も選者も元禄にこういう句のあることを、全然知らなかったのではないかという気がする。土筆を採って袂に入れて帰る場合、いくらも起り得べき事実であるだけに、二百年を隔てて殆ど同一地点に掘り当てるようなことになるのかも知れない。
しかし正直にいうと、かつて「裏がへす」の句を読んだ時には、別に女性的な句だとも感じなかった。そう考えるようになったのは、「打はらふ」の句を知った後である。われわれの鑑賞とか批評とかいうことも、存外種々な先入観念に支配されがちなものであるらしい。
春雨や桐の芽作る伐木口 本好
根もとから
桐の芽立は春の木の芽の中では遅い方である。長塚節氏の「春雨になまめきわたる庭の内に愚かなりける
野景である。今
雉子の声というものは、現在のわれわれにはあまり親しい交渉を持っていない。眼に訴える方の雉子ならば、
けれどもこの「萱の中」の句は、われわれが読んでも雉子の声が身に親しく感ぜられる。萱との距離が遠くなさそうに思われるのも、
雉子啼や菜を引跡のあたりより 鞭石
という句もそうである。畑に来て何かを
前の句は萱の中から声が聞えるので、無論雉子の姿は見えておらず、後の句も「あたりより」という漠然たる言葉によって、やはり姿を表面に現さないでいる。しかもこの場合、雉子の声が
宿取て裏見廻ルやあか椿 寿仙
田舎宿の趣であろう。日高いというほどでなくても、まだ明るいうちに宿を取った場合と思われる。夕飯にも多少間があるので、庭へ下りて見た。「見廻ル」という言葉は、今日では或目的を持って巡回するような意味になってしまったが、これは無論そんなわけではない。無目的な、軽い気持でぶらぶらしているので、偶然その家の裏に
庭前か何かの光景であろう。猫が睡っている上に桜の花が散りかかる、睡っていながらも猫は時々無心にその耳を動かす、というスケッチである。
其角は
ひよどりの虻 とりに来るさくらかな 細石
芭蕉に「花にあそぶ虻な食ひそ友雀」という句がある。材料は大体同じであるが、この句はそういう主観を加えずに、花に遊ぶ虻を鵯が取りに来る、という眼前の事実をそのまま叙したものである。
昆虫学者の書いたものを見ると、虫の多く集る花の上は即ち強食弱肉の小世界で、蜜を吸う以外に何の用意もない蝶や虻などは、しばしば悲惨な運命に陥るという。季節は違うけれども、
芭蕉は風雅の眼から、雀が花に遊ぶ虻を食うことを憎んだのである。この句はそういう寓意なしに、ただ鵯が虻を
ちょっと変ったところを見つけている。岨の下に桜が咲いている、といってしまえばそれまでのことであるのを、「岨を行袂の下」といったために、その岨道の細いこと、その道のすぐ下まで花の
むし立 る饅頭日和 や山桜 理曲
山中の茶店などであろうか、蒸し上った饅頭の
山吹の岸をつたふや山葵掘 支浪
これはわれわれが見馴れている庭園の山吹ではない、山中の景色であろうと思う。山葵掘の人が清らかな流れに沿うて岸伝いに来る。山吹はその清流に影を

子規居士の早い頃の句に「山吹の下へはひるや
「餞別」という前書がついている。如何なる人が如何なる人を送る場合か、それはわからない。わかっているのは送られる方の人が、これから馬に乗って行くらしいということだけである。
名残を惜しんで暫く語り合ったが、どうしても出発しなければならなくなって、馬を引立てて行こうとする。今まで人間の世界と没交渉に、そこらに生えている杉菜を食っていた馬が、急に引立てられることによって、二人は
菜の花や山路出れば夕日影 舎六
今まで歩いていた山路を出て、
普通には「穴一」と書いてある。『言海』に従えば「穴打の転」ということだから、一にしろ、市にしろ、皆借字なのであろう。地上に小さい穴を
穴一をして遊んでいた子供が帰ってしまった。地上に穿った穴をはじめ、踏荒したあとの土を掃き清める。その辺に梅の花が咲いている、という趣である。梅の花というと、とかく文人墨客が幅を利かして、
うそくらき木々の寐起や梅の花 木兆
この句はやや擬人的な叙法を用いている。夜がまだ明けきらぬ、ほの暗い木々の様を形容して「寐起」といったのは、気の利き過ぎた
むめちるやその木蔭なる雪の上 有節
梅の木の陰に解け残った雪がある、その上に梅の花が散る、といったのである。「その木蔭」というのは、多少説明的ないい方のように見えるが、上に「むめちるや」といって、その散るところが梅の木の下であることを現すためには、こういうより仕方がないかも知れない。子規居士もかつて「梅の木に近くその木の梅を干す」という句を作ったことがあった。「その」の字の使い方は全く同じである。
梅がかや雨だれ伝ふやれ簾 古道
閑窓春雨の
「雨だれ伝ふやれ簾」は所詮蜂の巣の斬新なるに
うぐひすの音 にうち当る割木かな 李邦
木を割る音の中に鶯の声を聞いたのである。もう少し
単に二つの音が空中にかち合ったというだけでなしに、作者が現在木を割りつつある場合と思われる。「鶯の音にうち当る」というのは、
鶯や寺のはさかる市 の中 野紅
必ずしもその寺に鳴くと限らなくても
一茶に「
鶯もわたる日和 リや[#「日和リや」はママ]浜の松 玄指
明治二十六年春であったか、子規居士がどこかの連座で、「鶯の淡路へ渡る日和かな」という句を作った。それが最高点だったので、多人数の評判のあてにならぬことはこれでわかる、という意味の手紙が残っている。
鶯が淡路島まで渡って行く、それほどうららかな日和であるということは、俗人にもなるほどと合点し得るところがある。考えて成った趣向だからであろう。
玄指の句には鶯の渡る距離の問題は含まれていない。その代り鶯の渡って来た浜の様子――松の生えている景色が現れている。この方が遥に自然である。
梅がかや客おくり出る燭明 り 梅坡
燭を
この句は燭を秉って客を送り出た場合である。定らぬ燭の
梅が香なるものは歌よみがいうほど強い匂ではない、代々の歌人がよんだ梅が香の量は大変なものだから、それを香水の料にでも用いるのは格別、歌の材料としては今後見合せたらどうだ、といって
「田家春」という前書がある。正に
謡曲作者が「四条五条の橋の上、/\老若男女貴賤都鄙、いろめく花衣、袖をつらねてゆくすゑの」といった洛中の春ではない。「世界を輪切りに立て切った、山門の扉を左右に
満々たる野趣は「茜うら」の一語に集っている。一茶流の俗語を駆使するばかりが、野趣の表現に
正月を直す二月の文字ふとし 端当
二月になってからついうっかりして正月と書いた、その正の字を二と改めたために、二月という字が太くなったという風にも解せられる。あるいは已に書いてあった正月の文字を、二月という字に改めた、という風にも解せられる。いずれにしても二月になってから書改めたので、それがこの句の季になっている。
つまらぬ句だという人があるかも知れない。われわれも別に大した句だとは思わぬ。明治年代にも「
「正月」の句と「水無月」の句とは、全く
出かはりや猫抱あげていとまごひ 慈竹
出代という季題は、東京などでは
出代の句は旧人物の名残を惜しむ意味か、代って登場する新人物の様子か、大体この二通りを出でぬようになっている。この句は退場する雇人が、今まで自分に馴れた猫を抱上げて、名残を惜しむ趣である。あるいは子供のない家庭で、この猫も大事に飼われているのかと思うが、文字以外の連想は人によって違う。
寄かゝる裸 火燵 やはるの雨 意裡
もう大分暖くなって、火燵の必要もないのであるが、未だ全く撤去せざる状態にある。裸火燵というのは中に火も置かず、
外には春雨が煙るように降っている。
春雨や藪 に投込む海老の殻 广盤
面白いところを見つけたものである。いずれ田舎の景色であるに相違ない。食膳に
一茶の「
雪ふりの明 る日ぬくし藪椿 之道
「ヤブツバキ」という植物は別にあるらしい。『本草図譜』などは女貞(ネズミモチ)の一名として「ヤブツバキ」を挙げている。そういう事の当否は専門家の知識に
春になってからのことであろう。雪の降った翌日が非常に暖い天気になった。その
尤も女貞は常緑樹である。強いていえば雪後の女貞を詠んだものと解されぬこともないが、それでは「ぬくし」という趣が一向利いて来ない。雪後の麗な
一雨に椿落ち来ん藪の水 荘人
藪の中に
桜などに配した雨は、多くは花のうつろうことを惜しむ意に用いられるが、この「一雨」は、それによって椿の花の落ちることに、或風情を認めているのである。「一雨」は将来の仮定と解さないでも、「この一雨」の意味として、現在降りつつある場合でも差支ない。――この句を読むと、田舎の藪などに累々と花をつけた、比較的大樹の椿が想像される。この花もやはり紅と見たい。
大きな川ではあるまい。その向側が小松原になっていて、そこからケンケーンという雉子の声が聞えて来る。雉子の声は鋭いから、かなり遠きに及ぶものであろうが、この句の場合は、そう多くの距離を必要とせぬように思われる。
雉子の声が過去において相当人に親しいものだったらしいことは、前に述べた。
塀越に庭の深さや雉子の声 笑酔
というに至っては、山野を離れて庭園に入込んでいる。何人の住居であるか知らぬが、塀越に深々とした庭があって、そこから雉子の声が聞えて来るのである。春日の
の鳴声よりも、かえってこの雉子の声において深められたかの感がある。如何に昔の世の中にしても、庭に雉子が来て
春雨や灯花 のくらみ立
江
江電燈万能の世の中になってしまっては、丁子丁子吉丁子などという、昔人の縁起がわからなくなるのもやむをえない。丁子などというと、われわれの連想はとかく
春雨のしとしと降る夜、座辺の灯火に丁子が立って、
丁子のことは
かりそめにはえて桃さく畠かな 心流
若木の桃であろう。種を
別にいい句でもないが、何となくのんびりしている。こういう技巧のない、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない。
大竹をからげて青しもゝの花 桐之
太い竹を縄か何かでからげる、その竹が
こういう句法で、「……青し」から「桃の花」へかかる場合と、かからぬ場合とがある。この句は上十二字が竹の叙述で、「青し」で言葉が切れるのみならず、意味もはっきり切れる。桃の紅はその背景を
はるもやゝ
の蹴爪 や牡丹 の芽 磊石

の蹴爪の如し」といったのでは、そういう思いつきを述べたまでのものであるが、
の蹴爪」も漫然たる思いつきでなしに、春の感じを助けていることがわかる。俳句が季節の詩であることは、約束的に季題の力を借りるためばかりではない。季題以外のものを捉え来っても、よく季節の感じを助けしむる点に注意すべきである。反橋の上を飛ぶ燕が、すっと上りまたすっと下る。反橋の反ったなりに飛ぶ、というのである。燕の飛方を説明したまでのようだけれども、やはり実際の観察からでないと、こういう句は生れない。ただ燕がすっと上り、またすっと下るだけでは、眼に訴える力がいささか薄弱である。「反橋なりに飛ぶ」というに及んで、反橋のかかっている池辺の様子、燕が幾度となく反橋なりに往反する姿などが想像されて来る。
雲に入 鳥の行衛 や星ひとつ 其由
「鳥雲に入る」という季題は、春になって鳥の北地に帰ることを意味するらしい。古来の句を見るのに、いずれもただ鳥の遥に眼界より消え去ることを詠んでいるようである。「げに歌人、詩人といふは
この句は夕方の景色で、雲に入る鳥を目送していると、蒼茫と暮れ初めた空の中に、一点の星が見えて来た、というのである。星光一点は巧に似てしかも自然なところがある。芭蕉の「ほとゝぎす消行く方や嶋一つ」と同じような調子であるが、印象はこの方がはっきりしている。飛鳥の影の消え去ったあとに、しずかに一点の星光を認めるのは、大景のうちに引緊ったところがあって面白い。
もまるゝや花見の中の相撲 とり 李千
花見の群集の中に相撲取が一人まじっている。人波に
行過て女見返す汐干 かな 露挂
川柳子は「三月はいとなまめいた漁師出る」といった。春の
「行過て」の句は、汐干潟で出逢った女が、行過ぎてから
子規居士にも「春の野に女見返る女かな」という句がある。これは行違った女同士が互に見返るという点で、多少複雑な変化を生じている。
春雨に雀かぞゆる夕部 かな 如嬰
その実雀が何羽いるかはさのみ問題ではないので、数を算えて見るというところに、
このままの景色であろう。
雨蛙という季題は、今では独立して夏になっているが、古くは蛙の下に包括されて、春の部に入っていた。この句もその一例である。
合羽がひろげて干してある、その
雨のあがった庭先などの景色であろうか、日光の
うぐひすや鞍 の内ほす朝日影 遅候
単に鞍を干すというのでなしに、「鞍の内ほす」というのが面白い。早春の朝の日影だけに、うすら寒い感じがする。塗鞍の日を受けて光る様なども想像される。鶯と鞍との配合も、一の取合に過ぎぬようであって、決してそうではない。季節の感じが的確に現れた句である。
うぐひすや有明の燈 のありやなし 舎羅
鶯という鳥は早朝に来て啼くことが多いようである。夜を徹して机に向っている時など、室内は燈火がかんかんついているので、天明の近づいたことも知らぬうちに、思いがけず鶯の声を耳にすることがある。しずかな
この句の作者は灯を
昔は
老僧の理窟いはるゝ接木 かな 重就
これは別にいい句ではない。老僧の接木という言葉があって、

重就の句は老僧が理窟をいったというまでで、その内容には触れていない。けれども老僧が接木をしながらの理窟である以上、先ず例の話と見て間違はなさそうである。ただその理窟を
新井戸や春たつけふの釣瓶竿 釣眠
立春の日に古今の相違はない。違うのは暦の上の日だけである。けれども正月の初に春が立つのと、二月の初に春が立つのとでは、連想に著しい相違がある。この感じは
尤も現在でも農村あたりでは一般に旧暦が用いられている。折衷的に一月おくれというところも少からずある。それも遠い地方ではない、先年大東京に編入された府下の某村などでも、役場とか、学校とか、工場とかいう文明的施設の場所では、勿論一月一日に新年を祝うけれども、農家の方は二月にならないと正月の行事をやらぬという話であった。つまり年賀状は一月、雑煮は二月というわけで、あるいは今の人の気には入らぬかも知れぬが、そこに日本らしい面白味があるように思う。由来統一論者の弊は、狭い範囲の主張を強いて一般に推及ぼそうとする点にある。われわれの考え方が時に都会本位になる
この釣眠の句なども、一陽来復という言葉が、そのまま新年に通用する時代ならば、とかくの説明を要せぬのである。年内に掘った井戸を春立つと共に汲みはじめる。井戸が新しいのだから、釣瓶も竿も
尤もこの「新井戸」は単に新しい井戸というまでで、若水から汲みはじめるものとまで限定しなくとも差支ない。以上は昔の春が大体において年と共に改ることを説くために、新しい感じをやや強めていったに過ぎぬのである。
霞む日やまばゆき紅の水洗 里東
「紅」はモミと読むのであろう。
上に「霞む日」と置いたところを見ると、普通の井戸端などでない、多少眺の
黙礼の跡見かへるや朧月 柳之
夜道を歩いて行くと、黙って御辞儀をする人がある、
人通りなどのあまりない場所であろう。朧月の下に顧る人影の、遠からずしかも
さらば又かき餅焼んおぼろ月 露堂
「舎羅除風に草庵に押こまれて」という前書があるから、その場合は一応わかるが、舎羅、除風と作者との関係はあまり明瞭でない。この前書によって
この句を読んでふと思い出したのは、
簡素な昔の生活の思いやられる句である。
吹上る
の中の雲雀 かな 呈笑

畠であるか、河原であるか、それはわからぬ。強い風が吹いて濛々と
雲雀の声は多くの場合、
田の水の浅いところに、
「尾先ににごす」という言葉だけ切離して考えると、もう少し大きな動物であってもよさそうな感じがする。従ってこの蝌蚪も一疋の動作と見た方が、印象がはっきりするかも知れぬが、蝌蚪そのものとしてはやはり黒くかたまって、絶えず動いている方がよさそうに思う。蝌蚪の尾によって絶えず濁りを生ずるところに、浅い田の水の様子が窺われる。
肩もみてともに眠るか春の雨 百洞
春雨の
「ともに眠るや」では断定に過ぎる。眠っているのかいないのか判然せぬ状態、揉ませている方の意識もやや
これは
尤も鷺を雪に見立てるのは、必ずしも珍しい趣向ではない。宗鑑にも「声なくば鷺こそ雪の一つくね」という句があった。これは「雪の一つくね」という語が鷺の形容に適切であるという外、全然理智的譬喩になりおわっている。従って
丁度春の初で、水のぬるみ初めた頃である。とある広い沼の遥か向うに、鷺が一羽おりていた。銀色に光る水が一筋うねっている例の黒ずんだ土の上に、鷺は綿を一撮 み投げたように見えている。
この鷺を撃てるか撃てぬかの宗鑑の鷺は
菫という花は、明治以後いわゆる
この里東の句なども当り前の田舎の景色で、新しく作った道の上に置土をする、その土の乾いたところに菫が咲いている、というまでである。ハイカラでもなし、
小便に連 まつ岨 の菫かな 松白
に至っては、一層野趣の甚しいもので、星菫党に見せたら憤慨しそうな句であるが、わざわざこういう材料を持出したのではない。古人は自然の間に菫を認め、或観念を以て臨まなかったから、岨道に小便をする男なども、句に取入れられることになったのであろう。反対に古人が或観念を以て臨み、
あひさしの傘 ゆかし花の雨 淀水
「あひさし」は二人でさすの意、
花の雨の中を相合傘で来る人がある。「ゆかし」は「
鶯や籠からまほる外のあめ 朱拙
飼鶯である。「まほる」は「まぼる」即ち「まもる」の意であろう。雨の日の鶯が籠の中からじっと外を見ている。雨の降る様を見守っているようだ、というのである。
鶯には限らぬが、動物には時にこういうところがある。彼らは実際外の雨を見ているのかも知れない。あるいは人間にそう見えるだけで、うつろな眼には雨も何も映っていないのかも知れない。いずれにしても作者は自己の感じたままを句にしたので、つれづれな雨の日の観察がここに及んだことはいうまでもあるまい。
鶯や目をこすり来る手習子 温故
鶯が
ふたつみつ花になりけり苔 の梅 従吾
老木の梅と見える。幹には深々と苔をつけた梅の木が、
森田義郎氏の歌に「苔むせる老木のつはり痛々しかくて幾世の春を飾れる」というのがあった。花と芽との相違はあるけれども、老木を憐むの情においてはほぼこの句と趣を同じゅうしている。「苔の梅」という言葉は多少無理な感じがないでもないが、苔むせる老木の梅を現す場合、他に適当な言葉もなさそうである。
この梅の咲いているのはどんな場所かわからぬ。が、恐らくは梅見に人の来るようなところで、特に朱鞘の人が目立つというのであろう。講談に出て来る中山安兵衛のような浪人者であるかどうか、とにかく一見
「何事ぞ花見る人の長刀」という桜の下では、到底この種の人物は調和しない。
梅を「んめ」と書くのは古俳書によくある例である。蕪村は「梅さきぬどれがむめやらうめぢややら」と言ったが、
いかのぼり見事にあがるあほうかな 林紅
他に何の能もないが、凧を揚げることは名人だという解釈も成立ち得るかも知れぬ。われわれは阿房の手によって見事に揚った凧を仰ぎ見るだけにとどめて置きたい。
垣の修理か、庭の手入かわからぬが、羽織を著た禰宜がそこに出て、何かしきりに指図している。その垣根には梅が咲いている、という趣である。平服の禰宜を捉えたのが一風変っていて面白い。
『その後』の中にある「地祭り」という文章の最後のところに、地祭が済んで地主の家へ行って見ると、神官は
この句を読んだらすぐあの一節を思い出した。平服の神官に興味を持ったりするのは、俳人的観察の一であろう。
飛咲の菜の花寒し麦の中 三径
「飛咲」というのは飛び離れて咲くの意であろう。青い麦の中にぽっつり離れて菜の花の咲いている趣である。万緑叢中黄一点というほどではないが、とにかく菜の花の甚だ優勢ならざることを示している。「寒し」は気候の感じでもあり、また乏しい菜の花の感じでもある。春色未だ
麦緑菜黄をはっきり描いた句に、子規居士の「菜の花の四角に咲きぬ麦の中」がある。印象明瞭の一点では、三径の句はこれに及ばぬであろう。ただ感じの複雑なところは、あるいは
川越せばあとに啼なり雉子 の声 文砌
今まで前路に当って聞えていた雉子の声が、川一つ越したら後の方になった、という意味であろう。ぼうっと霞んだような、春の野の様が眼に浮んで来る。
この川はかなりの大河らしく思われる。これを越すことによって眼界も異り、今までの雉子の声も遥かうしろの方に聞える。必ずしも同一の雉子が啼いているわけではないかも知れぬが、その声がうしろになったというので、川を越した感じはよく現れている。
水汲の手拭 落すやなぎかな 祐子
井戸端か、川のほとりか、それはわからぬ。手拭は
色彩の対照以外に、明るい、軽やかな感じが一句に溢れていることは、
ちかよりて見れば畑打女かな 枳邑
遠くに畑を打つ人の姿は、ただそれと見えるばかりで、男だか女だかわからぬ。だんだん近寄るに及んで、はじめて女であることがわかった、というのである。「ちかよりて見れば」という言葉は、わざわざ近寄って見る場合にも用いられるが、この際は作者の歩いている足が自然と
去来の「動くとも見えで畑打つ麓かな」という句は、本によっては下五が「男かな」ともなっている。「動くとも見えで」という語は遠景に適し、「男かな」は遠景に適せぬところがあるが、「麓かな」ならすべてが遠景になって、その問題は消滅することになる。枳邑の句は去来の句には無論及ばぬけれども、遠く畑打を望み、近づいてはじめてその女たることを知るという順序は、極めて自然に行っているように思う。
春の夜や蕪 にとぼす小挑灯 牧童
この句には「
「龍潭の紙燭」は『
蕪の挑灯というのは他にもあるかも知れぬが、私はまだ見たことがない。しかしこの句を読むと、俳味
客亭主ともに老けり炉の名残 諷竹
天明の句にはこういう世界を
陽炎が立っている。さらさら流れる川の浅いところに、蚫の殻が一つ沈んでいて、きらきら光っている。
われわれの子供の時分には、金魚池などに蚫の殻を
玉椿落て浮けり水の上 諷竹
椿の花がぽたりと落ちて、しずかに水の上に浮ぶ、という意味である。こういう風の句は近来の写生句には極めて多いが、元禄時代にあってはむしろ異とすべきであるかも知れぬ。
椿が水に落ちるというだけの句なら、古来無数にある。「玉椿」と最初に置いたのも、修辞的に趣を助けておらぬことはないが、それよりもこの句において見るべきは中七の叙法である。
「落て浮けり」という言葉には、自ら時間的な経過がある。椿の花がぽたりと水に落ちて、しかして水面に浮ぶ。普通の落花と違って、大きさからいっても、重量からいっても、どっしりしたものであるだけに、落ちてしかして浮ぶという経過が、はっきり眼に映るのである。単に椿の花が水面に浮んでいるというだけのことではない。
再考するに「落て浮けり」という言葉には、大まかな中に一種の働きがあって、やはり元禄らしい特色が認められるかと思う。
作者の肩書に「イカ小童」とあるから、これは少年俳句である。「女をともなふ野辺の帰り日くれて道をたどる」という前書によって、この句の場合は明瞭になる。
女を連れた野辺の帰りに日が暮れて、朧夜のほの暗い道を帰って来る、供の草履取が女たちを
太祇に「春の夜や女をおどす作り事」という句がある。これは化物になるところまで行かぬ、
野中の辻堂に集って百物語を完了したが、未だ夜は明けず、別に怪しい事も起らぬから、もう帰ろうといって立去ろうとすると、一人が
折々や蝶に手を出す馬の上 我峯
馬はほくほくと歩いて行く。馬上の人は屈託もなさそうに揺られて行く。折々蝶がひらひら飛んで来るのを、馬上の人は捕えようともなく手を出す、というのであろう。
春日の永きに
朝風や蛙鳴出す雨くもり 千百
「雨くもり」というのは、雨を催す曇り空の意であろう。しずかな朝風も
泥足や縁 にさげたる桜がり 万乎
泥足というと泥田の中にでも踏込んだように思われるが、それほど限定しないでも差支あるまい。泥まみれになった足をぶら下げて、縁に
「桜がり」とあるだけで、この場所は明瞭でないから、他は想像で補うより仕方がない。寺か何かの高い縁であれば、ぶら下げるということも適切なような気がするが、それもそういう気がするまでである。泥足だから上へ上るわけに行かず、ぶらりと縁から垂れている。そこに
桜狩中の一瑣事を捉えたのである。
寐はぐれるあけぼの白し梅の花 無笛
「寐はぐれる」は今普通に「寐そびれる」などというのに同じであろう。眠りそこねてぐずぐずしているうちに、いつの間にか夜が明けかかった。この句では梅の咲いている場所はわからぬが、それは漠然たる古句の常として、強いて
「白し」はしらしら明にかかる言葉かと思うが、この梅はやはり白梅のような気がする。
普請場にうぐひす鳴や朝日和 芙雀
周囲に多少の立木がある、ものしずかな場所らしく思われる。今日も上天気で、まだ寒い春の朝日が明るく普請場にさして来る。折ふし
鶯の句としては、ちょっと変った場合を見つけたものである。「朝日和」の下五字も、ものしずかな普請場の様子をよく現している。
鶯や雨が霽 れば日がくるゝ 釣壺
これは反対に夕方の景色を持出して来た。一日ほそぼそと降りつづいた雨が夕方近くやんで、あたりの空気も明るくなると、ほどなく日が暮れて行く。雨が霽れて日が暮れる。その僅な間の時間に鶯が啼いたのである。
「雨が霽れば日がくるゝ」という時間的経過のみを叙して、他の何者をも描かずに鶯を点じたのは、
うぐひすや日のさし残る小芝はら 路柳
これも夕方の鶯である。
もう暮近くなったが、芝原の上にはまだ日がさしている。その明るいしずけさの中に鶯が啼く。前の句は雨が霽れて日が暮れるという、しずかな中にも変化ある空気を捉えているが、この方は暮れる前の静止した空気が主になっている。「日のさし残る小芝はら」の印象は頗る
世のさまや質屋にかゝる涅槃像 除風
寺になければならぬ涅槃像、年に一度
年に一度あればいい品物だから、不断は質に置いて、涅槃会の前に受出すのかもわからない。あるいは
いずれ末世における
雪ちるや梅の垣根の魚の骨 巴水
梅の咲いている垣根に魚の骨を捨てる、降出した雪がその上にかかる、というのである。古人としては梅に不調和な垣根の魚の骨が、雪のために隠れむことを
「雪ちるや」というのは、雪の降りはじめの頃、まだ多く積らぬ場合らしく思われる。従って垣根に捨てた魚の骨も気になるのである。
春の野も寂しや暮の馬一つ 由水
昼の間は行楽の人で賑っていた野が、夕暮近く急に寂しくなった光景であろうか。あたりにはもう人影も見えず、ただ一頭の馬がいるだけだ、という風にも解せられる。
「寂しや」という言葉は昼の光景に対したものではあるが、必ずしも行楽の人ばかりには限らぬ。
ただこの句で不明瞭なのは、唯一の登場者たる馬である。歩いているのか、路傍に繋がれているのか、放し飼なのか、その辺は一切わからぬ。今日の句であったら、この馬の状態をもう少しはっきり描いたかも知れぬが、元禄の作者は一頭の馬を野中に点じたまま平然としている。けれどもこの句を
まよひ子の太鼓 きく夜の朧 かな 壺中
誰かが
「まよひ子の太鼓」は「迷子を捜す太鼓」の意味である。迷子自身が太鼓を聞くわけではない。春の夜の朧の空に太鼓の音が聞える。またどこかに迷子があって、それを捜しているのであろう、と想像したのである。
迷子を捜すという事柄に対しては、寒月とか、木枯とかいう配合の方が適切だという人があるかも知れない。しかしそれはやや型に
春雨や戸板に白き餅の跡 酒楽
かつて
面白い見つけどころの句である。戸板に残る餅の跡などに興味を持つのは、俳人得意の世界でなければならぬ。
子を運ぶ猫の思ひや春の雨 里倫
猫が自分の産んだ子を他の場所へ移す。人があまり
この句の面白味は「思ひ」というところにある。「蛇を追ふ
「微雨」はコサメと読むのであろうか。どこかに雉子の声がする。微雨の中の麦もいつか茎が伸び立って来たというので、単なる配合のように見えて、そこにいうべからざる陽春の気が感ぜられる。雨に濡れた麦の色と、どこともわからぬ雉子の声と、野外の春は一句に
「ほろ/\と椿こぼれて雨かすむ
紅梅やひらきおほせて薄からず 睡闇
紅梅の花が開ききって、なお
子規居士の晩年、鉢植の紅梅を枕辺に置いて、
はなの山のぼりすませば上広し 淡水
「二丁上れば
高い山ではなさそうである。上広くして人の遊ぶに任すのは、如何にも花の山にふさわしい。
三味線や借あふ花の幕隣 柳士
其角の句に「花に来て都は幕の盛かな」というのがある。花見の幕は上方風俗だったらしい。この句の作者も恐らくは上方であろう。西鶴の『五人女』にも花見の幕が出て来るのは、お夏清十郎のところであった。
幕を張って花を見る、その幕の隣同士が三味線を借合って唄でもうたうという意味らしい。偶然幕を隣合せただけの人に三味線を借りたりするのも、花見の一情景たるを失わぬ。花に浮れ、酒に興ずる人の間には、今でも珍しからぬことかも知れない。
花散 ていかの尾かゝる梢 かな 従吾
「いか」は「いかのぼり」の略、
面白いところを見つけたものである。
足洗ふ石川浅しもゝの花 市中
「石川」というのは地名でなしに、底に石の多い川の意であろう。「砂川」などという例もあったような気がする。
見るから清冽な流が想像される。そういう浅い川で足を洗う。桃の花はその川のほとりに咲いているらしい。桃の句というと、とかく
桃花の趣は梅より桜よりも明るい。そうして野趣がある。底の見える石川の流に日がさして、きらきら光るあたりに足を浸して洗うなどは、
あすの雨西にもちてやおぼろ月 林陰
空には朧な月がかかっている。明日は雨になるのであろうか、というのである。それを漠然と雨になるといわずに、「あすの雨西にもちてや」といったところに、この句の生命がある。「西が曇れば雨となる」という唄の文句の通り、西の空がどんより曇っては、明日の天気はおぼつかないのであろう。
梅が香や
寝たる地のくぼみ 如行

農家の庭などの実景であろう。
が寝て砂を浴びている。あたりにある梅が香ということにはあまり執著する必要はない。梅の咲いている日向に
が砂を浴びている、しずかな光景が浮べばいいのである。「地のくぼみ」の一語がこの場合最も重要な働をなしている。広庭や鳩の物くふ梅の花 昌房
梅に鶯は陳腐の極であるが、鳩を配したのはちょっと変っている。広庭の日当りのいいところであろう、鳩が下りて餌を食っている。この鳩は一羽や二羽ではあるまい。多くの鳩が一種の声を立てながら、豆でも拾っている光景らしく思われる。
神社か寺の境内のような感じもするが、そう限定する必要はない。前の
の句といい、この鳩の句といい、自然を直に捉え来って一幅の画図を成しているのは、さすがに元禄人の世界である。雉子啼や見付た事の有やうに 野紅
一茶調である。曾呂利新左衛門の筆法を用いれば、
しかしこの句は単に一茶調といい去るには、あまりに似過ぎている。『一茶発句集』にある「雉子なくや見かけた山のあるやうに」という句は、材料からいっても、調子からいっても、全くこの句の通りであるのみならず、「見かけた山」という言葉も自然の丘山でなしに、見込がついたという意味の諺だそうだからである。両句の僅な相異点である中七字も、存外意味が近いことになって来る。
一茶の特色の一として擬人法が挙げられる。われわれもあの顕著な特色を認めぬわけではないが、あれを以て直に一茶独造の
尺八の庵は遠しおぼろ月 魯九
門を吹いて通る
此日和 つゞく雲雀 の高音 かな 夕兆
毎日毎日いい天気が続く。その日和を喜ぶように雲雀が啼く。快適な春の感じを現した句である。
これだけの客観の句としても差支ないが、この句には「餞別」という前書があって、路健の旅に出るのを送ったことになっている。
春雨や障子 を破る猫の顔 十丈
障子の破れから猫がぬっと顔を出す、というのでは平凡である。締出された障子の外から、猫が紙を破って入って来る、というところに面白味がある。外から入る場合には限らぬ。内から破って出るのでもいいわけであるが、内から外へ出るのでは「顔」が
猫を飼ったことのある者なら、しばしば経験する実景である。春雨に降り込められて徒然なる日、障子を破って猫が顔を出すのは、俳味横溢して面白い。春雨時分ならば障子に穴を明けられても、そう迷惑ではなかろうなどと余計なことをいう必要はない。
落さうな神鳴雨や木瓜 の花 路青
中七字は「カミナリアメ」と読むか、「カミナルアメ」と読むか明でない。雷雨を訓じて「カミナリアメ」と読むのが無理ならば、「カミナルアメ」でよかろうと思う。全体の意味には大した変りはないからである。
春雷とはいうものの、すさまじく鳴りはためいて、今にも落ちそうになる。そういう雷雨の中に木瓜の花がしずかに咲いているというのである。木瓜の咲いているのはどういう場所だかわからぬが、深く
春風やよごれて戻る手習子 吾仲
登場人物が手習子であれば、「よごれて戻る」材料は墨にきまっている。「顔に書子と手に書と、人形書子は
しかしあの「よごれて戻る」様子は、
古ぼけた行燈の隅のところだけ明るい、という風に一応解せられる。春雨が音もなく降るような晩、座辺の行燈をじっと見つめて、こういう趣を発見したのであろう。
しかし再案するに、行燈だけの一隅と解するのは、少しく世界を局限し過ぎる
「一隅明し」というところにこの句の主眼がある。女流の句だから「イチグウ」とよまずに「ヒトスミ」とよむべきかと思う。
鳴さかる雲雀 や雨のたばね降 沙明
雨中の雲雀である。「たばね降」という言葉はあまり耳にせぬようであるが、相当強い降りであることは想像に難くない。ザアザア降る雨の中に、しきりに雲雀の声が聞える、という意味らしい。
気うつりに酒のみ残す桜かな 桃妖
桜に酒はつきものである。年々歳々相似たる花を見る人は、歳々年々同じように酒を飲んで、春を短しと歎ずるのであろう。これ故に花見の句には古往今来、紛々たる酒気がつき纏うのを常とする。
この句の主人公も型の如く酒を携えて出たのではあるが、いよいよ出かけて見ると、それからそれへと気が移るために、遂に持って行った酒を飲み残した、というのである。
眼目であるべき酒を飲み残したというところに、別な意味の花見気分が窺われる。随処の春が人を支配するためであろう。
梅が香や様子の替る伯父の跡 岱水
「伯父の跡」というのは伯父の亡き跡――それもやや時間の経過した跡を指すのであろうと思う。一家の主人たる伯父が亡くなって、その
変化は家の内にはじまって、漸次庭にも及んで来る。そこにある梅は昔ながらに咲いているが、あたりの様子は大分変った。在りし日のままに梅が咲いているという方を主とせず、跡の変化した方を描いたのが、この句の主眼であろう。
「伯父の跡」という言葉は、かつて伯父の住んでいた跡――屋敷跡と解せられぬこともない。その屋敷が人手に渡って、面目一変したという風に見ると、どうやらわれわれの周囲によくある現象のようになって来るが、強いてそういう変革を望むには当らぬ。先ず跡嗣の代になって家の様子が大分変った、という程度に見て置きたい。いずれにしてもこの作者が「伯父の跡」の変化を喜んでいないことだけは明である。
「里坊」は「山寺ノ僧ナドノ別ニ人里ニ構ヘ置ク住家」と『言海』に見えている。「里坊に児やおはしていかのぼり」という召波の句の里坊と同じものである。
米でも
上五字が「里坊に」となっているのもあるが、全体の意味は大差ないように思われる。「聞クや」という言葉も、殊更に聴耳を立てたわけでなく、「聞ゆ」というほどの意に解すべきである。
雨気つく畠の梅のよごれけり 鼠弾
読んだ通りの句である。梅の花の白さはあまり鮮麗なものでないから、曇った日などは多少薄ぼんやりした感じを与えることがある。この句は
取立てていうほどの句でもないし、俳句としては珍しいこともないが、文人趣味、南画趣味でなしに、野趣横溢の梅を描いたのが面白い。画にするならば正に俳画の世界である。どんよりした空の下に汚れた色の梅が咲いているなどは、漢詩人も歌よみも恐らくは喜ばぬ趣であろう。自然を生命とする俳人の眼は、元禄の昔において悠々と
鶯の障子にかげや軒づたひ 素覧
鶯が庭に来て、
歌ならば「軒端木づたふ」というところであろう。俳句は字数が少いから、「軒づたひ」の五字で済してしまったが、鶯の性質から考えて、軒端の木から木へ飛び移りつつあることは疑を容れぬ。それだけなら平凡におわるべき景色を、障子にうつる影によって変化あらしめたのが作者の手際である。
一杯に日の当った南軒の障子が目に浮んで来る。「軒端木づたふ」鶯の影は、その障子にはっきりうつるのである。障子のうちの作者は、影法師の動きだけで十分に鶯たることを鑑定し得るのであろうが、それだけではいささか
谷川やうぐひすないて鮠 二寸 水札
まだ谷の戸を出でぬ鶯が
鶯と二寸位の鮠との間には、格別交渉があるわけではない。早春の季節が谷川を舞台として、一見没交渉らしい両者を繋ぐ。そこに一種生々の気が感ぜられる。
寺の菜の喰のこされて咲にけり 亀洞
寺の中に畠があって菜が作ってある。いずれ坊主どもの食用であろうが、その食い残りの菜に
「春雨や食はれ残りの鴨が鳴く」という一茶の句がある。春まで池か沼にいる鴨に対して、人に捕られず、食われずに命を
染物をならべて掛 る柳かな 路健
「ならべ」という言葉は、柳に並んで染物を掛けたという風に解されぬこともないが、染物をいくつも並べて掛ける、即ち複数の場合と見る方が自然であろう。この十七字を
笠かけて笠のゆらるゝ柳かな 荻人
この方は柳に掛けるものと見ていいようである。柳に近く茶屋の柱とでもいうべきものがあって、そこに笠を掛けたのでも差支ないが、特に柳の木から切離す必要もなさそうに思う。
春風は
「笠かけて笠の……」という風に同語を繰返す句法は、後世にも好んで用いる人がある。見方によれば一種の技巧であるが、この句の場合の如きは極めて自然で、一向
目ぐすりの看板かける柳かな 呂風
ついでだからもう一つ同じような句を挙げて置こう。
読んで字の如き市中の小景で、説明を要する点もないが、この句に至ると、染物の句ほど柳を離す必要もなし、笠の句ほど柳につける必要もない。配合趣味ともいうべきものが強くなっている。「目ぐすりの看板かけむ糸柳」となっている本もあるが、いずれにせよ店の前に柳の垂れた、
この三句を併観すると、柳という一の季題に関し、期せずして同じところへ落込んだという風にも考えられる。しかしその落込んだ狭い領域の中で、三句三様の変化を示しているのを見れば、俳諧の天地は容易に
春雨や音こゝろよき板庇 蘆角
雨に古今の変りはないが、これを受けるものには変りがある。この句は板庇に当る雨の音を快しと聞いたので、従ってこれは音もなく煙るような春雨でない、もっと強い降り方の場合と思われる。
香取秀真氏が大学病院で詠まれた歌に「風の音あめのしづくの音聞かむ
白鷺の雨にくれゆく柳かな 諷竹
柳に鷺の配合は、日の出に鶴ほどではないかも知れぬが、画材としては
柳の上にじっとしている鷺は、下の水にいる魚でも狙っているのであろうか、先刻から少しも動かぬ。
花の雨鯛に塩するゆふべかな 仙化
これだけのことである。到来の鯛でもあるか、それに塩をふって置く。こういう事実と、花の雨との間にどういう繁りがあるかといえば、こまかに説明することは困難だけれども、そこに或微妙なものが動いている。その微妙なものを感ずるか、感ぜぬかで、この句に対する興味は
花の雨ということに拘泥して、花見の
灸居てみる山近しはつ桜 吾仲
「灸居て」は「スエテ」である。
その山は近くにある。従ってその桜も霞か雲かと見まがうようなものではない。初桜というものは花の量の乏しいことを現すと同時に、季節においてやや早いというところを
菜の花のふかみ見するや風移り 路健
一面の菜の花に風が吹渡る。そう強い風ではないが、花から花へと風の移って行くのを見送ると、今更のように菜の花畑の広さ、奥行の深さというようなものが感ぜられる、という意味であろう。
ちょっと変った句である。点景もなければ背景もない。ただ菜の花というものを――一本一輪の微でなしに、一面に咲いた菜の花を見つめたところに、この句の特色がある。
春雨の足もと細しみそさゝい りん女
春雨の中を餌でもあさっているのであろう、
小鳥の中でも小さい鷦鷯の足もとが細いということは、格別特異な観察でもないが、作者は見た通り、感じた通りを句の中に持って来た。この場合、鷦鷯がどこにいるというようなことは問題にせず、細い足だけに注意を集中している。鳥よりもむしろ人間に近い感じがせぬでもない。そこに女流の作たる
菜畠に藪 の曇りや雉子 の声 風国
菜畠の向うにどんより曇った日の藪が見える、というのがこの句の背景で、そういうしずかな舞台の空気を破って、突然鋭い雉子の声がした、というのである。古風ないい方をすれば、静中動ありとか何とかいうことになるのかも知れない。
この菜畠は花が咲いていてもよし、春をよそにした青菜畠であっても差支ない。要するに雉子が登場するまでの背景をつとめれば足るのだから、画家の手心で一面の緑にしても、少々黄色をなすっても、そこは深く問うに当らぬであろう。
棚解てよごるゝ藤の長さかな 探志
何かの必要があって
藤の花はそう寿命の短いものでもないにせよ、棚の修理でもするなら、花が過ぎてからにしてもよさそうな気がする。何か事情があったものと思うが、作者はそんなことは
ただ眼前に棚を解いたため、藤の花房が垂れて地に汚れている、という事実だけを捉えている。棚を外された藤などは
早梅や奥で機織 長屋門 吏明
もうだんだん少くなってしまったが、それでも古い屋敷などで長屋門を存しているところが、東京にもいくつかある。門の両側が長屋になって、人の住むように出来ている、いかめしいといえばいかめしいが、現代の邸宅にはちょっと縁の遠い門である。
この句の早梅の花は、長屋門のどこに咲いているかわからない。門のほとりに咲いているとしないでも、長屋門のある屋敷の中なり、あるいは近所なり、とにかく背景的に存在すればいいのである。その長屋門の奥で機を織っている――目に見えるのでなしに、音が聞える方だろうと思うが、それがこの句の眼目になっている。早梅の花と、長屋門の奥に聞える機の音とが、季節的に或調和を得ていることはいうまでもない。
鶯やついと覗 てついとゆく 白雪
鶯が庭先か何かにやって来て、ちょっと覗くようにしていたかと思うと、そのままついと行ってしまった。相手が鶯である以上、見つけた者はその
作者はこの句に「鳴はせで」という前書をつけた。前書があれば一層はっきりはするけれども、「ついと覗てついとゆく」といえば、その鶯が
梅さぶし灯 もきえず朝餉 素覧
この句にも「寒梅」という前書がある。特に寒梅と断らずとも、「梅さぶし」の語がこれを現しているように思うが、あるいは春立つ以前の――冬の梅という意味で、特にこの前書を置いたのかも知れぬ。
朝餉は「アサガレイ」である。宮中の場合に特に用いられることもあるが、この句はそういう特別なものではあるまい。早朝の膳に向って食事をする。この「灯」は何の灯かわからぬが、前夜来の灯でなしに、暁の暗いために
種まきや当字 だらけの紙
左岡

種を
昔は教育が普及していなかったから、余計そういう傾があったろうと思うが、現代といえどもこの種の当字は絶無ではあるまい。専門語の中には、仲間だけに通用する特殊な当字があるかも知れぬ。
山やくや舟の片帆の片あかり 水颯
湖か、川か、あるいは海に近い山を焼く場合であるか、とにかく春になって山焼をする。その火の明りが水にうつり、またそこを行く舟の片帆にうつる、という西洋画にでもありそうな景色である。
一茶に「山焼の明りに下る夜舟の火」という句がある。『七番日記』には「夜舟かな」となっているが、その方がかえっていいかも知れない。山焼の明りが火である上に、更に火を点ずるのは、句として働きがないからである。片帆に片明りするの
江戸留守の枕刀やおぼろ月 朱拙
主人が江戸に出ている場合であろう。留守の心細さに
天明期の作者は、しばしばこういう複雑した場合を題材に採る。しかし元禄期の作者も、全然興味がなかったのでないことは、この句のみならず、「江戸留守」を詠んだ句が散見するによって証し得られる。
江戸留守や笋 はえて納戸口 露竹
江戸留守を見込で鳴やかんこ鳥 宵月
江戸留守を嫁々の岡見ぞをかしけれ 涓流
江戸留守を題材にした点は同じであるが、一句の働きにおいては朱拙の朧月を
蕪村の「枕上秋の夜を守る刀かな」という句は、長き夜の或場合を捉えたものである。この句も或朧月夜を詠んだに相違ないが、江戸留守という事実を背景としているために、もっと味が複雑になっている。朧月というものは必ず艶な趣に調和するとは限らない。こういう留守居人の寂しい心持にもまた調和するのである。
踏なほす新木 の弓やはるの雨 孟遠
弓に関する知識は皆無に近いから、頗るおぼつかないけれども、新木で
弓から「はる」ということを持出したので、「はるの雨」は「張る」にかけたのだ、というような解釈を下す人があっても、それは取らない。そういう解釈を妥当とするには、元禄より更に前に
魚懸にあたまばかりや春の雨 朱拙
西鶴の『永代蔵』であったか、『
魚懸は現在のわれわれには縁が遠い。われわれが台所にぶら下っていたのを知っているのは、塩引の鮭位のものである。「塩鮭の頭ばかりや……」といえば、今の人には通じいいかも知れない。だんだんに食べて頭ばかりになった魚と春雨との間には、趣としても相通うものがある。
雉子啼や蔵のあちらの蜜柑畑 桃先
田舎の屋敷内などであろう。母家を離れたところに土蔵があって、その向うはずっと蜜柑畑になっている。雉子はその辺まで来て啼くとも解せられるし、蔵の向うに蜜柑畑の見えるような場所で、けんけんと啼く雉子の声を聞いたということにしても構わない。
雉子の声の背景としては、これまでも随分いろいろな世界を挙げて来たが、「蔵のあちらの蜜柑畑」は正に一幅の画図である。ここに雉子の声を点じて、画以上にすべてを生動せしめた。雉子の啼く頃では、蜜柑は枝頭に
山焼て峯の松見る曇かな 魚口
この句において多少の疑問があるのは、「山焼て」という言葉にかかる時間である。山を焼いて然る後、どの位の時間を経ているか、それによってこの句の味は異らなければならぬ。
山焼の済んだ後の峯に、何本かの松が
もう一つは現在なお山を焼きつつある場合で、煙はそこら一面に流れている、峯頭の松もその煙のために曇って見えるか、あるいは実際曇った空に聳えているか、とにかく山焼が現に行われているものと解するのである。
「山焼て」という言葉は、本来はっきりした時間を現していないから、
にくまれてたはれありくや尾切猫 蘆本
猫の恋を
春の季題に猫の恋を取入れたのは誰か知らないが、恋猫というものはそれほど雅趣に富んでいるとも思われぬ。家を外に浮れ歩くあの様子は、平生猫に好意を持っている人にすら、
猫を飼う趣味にもいろいろあって、必ずしも同一標準に立つわけではないけれども、尾の長い方が見た
「恋ひ負けて去りぎはの一目尾たれ猫 より江」という句は、さすがに近代の産物だけあって、猫の様子なり、動作なりについて更にこまかい観察を試みているが、「尾たれ猫」の一語は特に画竜点睛の妙がある。蘆本の句は観察の精粗において
昼からは茶屋が素湯 売桜かな
言
言これはどういう場所であるか、桜があって、茶屋があって、人が見に来るようなところらしいが、それ以上の想像は困難である。あるいは不必要かも知れぬ。
特に「昼からは」と断ったのは、午前は何もないが、午後からは……という意味に解せられる。午前はあまり人が来ないのか、茶屋が開業しないのか、それもわからない。
反対に人があまり来過ぎるので、午後からは茶屋が茶でなしに素湯を飲ませている、という意味に解すると、素湯だから冷たくはないにしても、いささか冷遇の意味になって来る。「昼からは」という以上、午前と午後とで何か異る事情がなければならぬ。その事情は大づかみに見て、消極、積極の二通りになるが、いよいよとなると断定は下しにくいように思う。
美しい句である。
春降る雪の冬の雪と感じの違うところはいくらもあるが、要するに季節を過ぎているだけに、何となく一種のゆとりを生じており、雪片が大きいながらふわふわと降って来る趣なども、この感じを
箔を置いた羽子板をさしのべて、春の雪片を受けて見る。深窓に育つ羽子板の持主の
「箔にうけたり」という言葉を、箔を置いた羽子板と取らずに、春の雪を受けて羽子板の箔とした――雪片そのものを箔と見る――という意味に解すると、多少技巧的な句になる。われわれはやはり箔ある羽子板をさしのべた、美しい句としてこれを見たい。
この訪問者と居住者との関係はわからない。門前を通りかかったから寄って見るというような漫然たる訪問でないことだけは
折角たずねて来た門がしまっている。近頃は門がしまっていても、必ず不在だとはきまらない。ベルを押して、取次が出て来てからでも、真の在否のわからぬ
白梅の月をさゝげて寒さかな りん女
明治の末に「寒月照梅花」という勅題が
この句は春になってからの句かも知れぬが、寒さが主になっているので、「寒月照梅花」の意にも
炉ふさぎや上へあがりてふんでみる 朱拙
久しい間の炉を
「上へあがりて」というと、何だか高いものの上に上ったように聞えるが、実際は炉を塞いだ畳の上を踏むに過ぎまいと思う。今まで明いていたところを急に塞いだので、その
桃さくや古き萱屋 の雨いきれ 四睡
桃の咲く時分になって、春の暖気は
瓦屋根やトタン屋根では、到底こういう感じは起らない。萱屋根にしても、新に
あるいはこの句は現在雨が降っている場合でなしに、雨がやんだばかりに日がさして、水蒸気が一面に
はるの月またばや池にうつる迄 諷竹
「
もう十年近くも前になるか、奈良に遊んで一宿したことがある。当時は燈火管制も何もなかったが、春の夜の町へ散歩に出るのに、驚いたのは道の暗いことであった。元禄時代の奈良は更に暗かったであろう。作者はどんなところに円居しているのかわからぬが、日が暮れてから電車で京都や大阪へ帰り得る時代でないから、月を待ってどうしようというのでもあるまい。猿沢の池にうつるまで、月の上るのを待って、その眺を
奈良の月は
我のせよ御形 咲野のはだか馬 祐甫
御形の花の咲いた野に裸馬が放し飼になっている。あの馬に乗ってこの野を乗廻して見たい、
御形はハハコグサである。この作者の感興の背景をなすものとしては、ハハコグサは少し寂しい。五形と書くゲンゲの方なら、一望の野を美しくするかと思うが、作者が御形と書いている以上、やはりハハコグサの
岩の上か、砂浜か、場所はわからぬ。今しがた海から上ったばかりの海士が、身体を乾かしながら日向ぼっこをしている。そのほとりから陽炎がゆらゆら立のぼる、という海岸の一小景である。
「身を干」という言葉がこの句の眼目であろう。この一語によって、単に日向にいるというだけでなしに、海から上ったばかりの海士ということもわかれば、風もない海辺の
現在の歳時記では「日向ぼこ」は冬と定められているが、必ずしもそう限定するには及ぶまい。身体を乾かしながらの「日向ぼこ」には、冬よりも春の方が適切であろう。ゆらゆらと立つ陽炎は、この光景を一層効果あらしめているような気がする。
この句の舞台に登場する者は、乳を含ませている母親と、乳を飲みつつある幼児とだけである。しずかな春の日中であろう、どこかで鋭い雉子の声がする、というので、その空気は一応描かれたことになるが、「耳の早さや」という中七字は、考えようによっていろいろに解釈出来る。
主要な登場人物の一人である乳呑子が、いち早く雉子の声を聞きつけたという点に変りはないが、ただ聞耳を立てたというだけか、あれは何の声だといって尋ねたのか、あるいは已に雉子の声の何者たるかを知っていて聞きつけたのか、そこは俄に断じがたい。乳呑子のことだから気がつくまいと思ったのに、いち早く聞きつけたというのか、母親がうっかりしているうちに、乳呑子の方が聞きつけたというのか、その点も解釈が二、三になりそうである。
けれどもここではっきりしているのは、母親の乳を含みつつある幼児の小さい耳が、いち早く雉子の声を聞きつけたということと、その耳の早さを先ず感じた者が母親だということである。女性たる作者がその母親であることも、ほぼ推定し得る。一句の眼目たる事実が動かぬ以上、その他の小さい連想は、各自の感ずるところに従って差支あるまいと思う。
夜の明ぬ松伐倒 すさくらかな 陽和
山中の景色であろうかと想像する。
まだ夜の明けぬうちに
この場合の松と桜は、ただ近くにあるというだけで、深い因縁や交渉があるわけではない。「花の外には松ばかり」という山中自然の配合であろう。未明の天地に木を伐るという一の活動が起って、間もなく松は伐倒される。その背景として爛漫たる桜を描いたというよりも、桜の背景の前にこういう活動が行われたものと解すべきである。
人の姿を点出せずに、ただ松と桜のみを描いたのは、如何にも未明伐木の光景にふさわしい。伐られる松と、しずかに咲いている桜とを対照的に扱って、とかくの弁を費すが如きは、そもそも無用の沙汰であろう。
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この句は中七字が「青葉の上の」となっている本がある。若葉にしても青葉にしても、爽快な点に変りはない。その方には作者が「里仙」となっているが、恐らく同人であろう。珍碩――珍夕、曲翠――曲水その他、同音別字を用いた例はいくらもあるからである。
病後
病が
子規居士にも「病中」の前書で「人は皆衣など更へて来りけり」という句があった。癒ゆべからざる長病の
山ごしに顔は見えけり幟 の画 峯雪
一目瞭然、説明するまでもない句であるが、幟の顔ということは、近頃の人にはちょっとわかりにくいかも知れぬ。子規居士が「
この句の働きは「山ごしに」という上五字にある。大した山でないと同時に、そう遠距離でないことは、「顔は見えけり」という言葉から想像出来る。この顔は幟に画いた鐘馗か何かの顔である。「幟の画」とある以上、如何に鯉幟が天下を
定紋の下に鬼かく幟かな 秋冬
などという句も、鯉にあらざる幟の様子を最もよく現している。とかくの説明にも及ばぬが、前の句の参老資料たるだけの価値は十分にあると思う。
長竿に板の武者絵や帋幟
村
村この幟も同類である。長い竿の幟が立ててあるが、その幟は布でなしに紙で、しかもその絵が肉筆でない。版で
絵の幟の句があまり見当らぬ中にあって、紙に板画で武者絵を刷ったことまで描いたのは、慥に珍とするに足る。あるいは作者も珍しいと思って、特に一句に
五日
旅なれや菖蒲 も葺 ず笠の軒 鶴声
旅中佳節
馬の背の高きに登り蕎麦 の花 移竹
雨中九日病起
試みに下駄の高きに登りけり 銕僧
というような句を見ると、そこに或転化の
薄紙にひかりをもらす牡丹かな 急候
子規居士の『牡丹句録』の中に「薄様に花包みある牡丹かな」という句があった。これも同じような場合の句であろう。「ひかり」というのは
雨雲のしばらくさます牡丹かな 白獅
方百里雨雲よせぬ牡丹かな 蕪村
雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな 虚子
の三句について見ても、言葉は蕪村の「方百里」が一番強い。しかして曲折の点からいえば、元禄の句は
美しき人の帯せぬ牡丹かな 四睡
ちょっと見ると、牡丹の咲いている側に、美人が帯をしめずに立っているかの如く解せられるが、実際はそうでなしに、牡丹そのものを帯せざる美人に見立てたものと思われる。牡丹の妖艶
こういう句法は今の人たちには多少耳遠い感じがするかも知れないが、この場合強いて目前の景色にしようとして、帯せぬ美人をそこに立たせたりしたら、牡丹の趣は
捲あぐる簾 のさきやかきつばた 如行
『句兄弟』に「簾まけ雨に
如行のこの句には、其角のような山は見えない。
ほとゝぎす栗の花ちるてら/\日 李千
紛れもない昼のほととぎすである。ほととぎすの句というものは、習慣的に夜を主とするようになってしまったが、古句を点検して見ると、必ずしもそうではない。この句は「てら/\日」というのだから、相当日の照りつけている、明るい昼の世界である。
ほとゝぎすあみだが峯の真昼中 路通
などというのは、
幟出す雨の晴間や時鳥 許六
ほとゝぎす傘さして行森の雨 洒堂
の如きも、やはり昼と解した方がよさそうに思われる。元禄人は伝統に拘泥せず、句境を自然に求めて随所にこの種の句を成したのであろう。
「ほとゝぎす」という言葉がその鳥を現すのみならず、直にその
の
の餌袋は胸のところにある。かつて少しばかり
を飼った頃の経験によると、夕方
舎をしめる時などに、よくその餌袋に手を触れて、腹が十分であるかどうかをしらべたものであった。貪食な
の餌袋が一杯砂でも詰めたように固くなっているのは常の事であるが、これは五月雨時なので、いささか運動が乏しく、特に餌袋の重きを感じたものかも知れない。この句の眼目は「おもし」の一語に尽きる。これによって客観的に
の餌袋を重しと見るのみならず、何となく自分の事ででもあるかのような感じを与える。
に親しい生活の人でなければ、こういうことは捉えにくいだろうと思う。味噌の香に蔵の戸前や五月雨 海人
陰鬱な五月雨の空気の中に漂う
子規居士に「秋雨や糠味噌臭ふ仏の間」という句があったと記憶する。季節も違い、場所も違い、匂うものも違うけれども、嗅覚が捉えた句中の趣には、
中わろき隣合せやかんこどり 一夫
「さびしさに堪へたる人の又もあれな」というような山里ででもあるか、閑古鳥が啼くといえば、自ら幽寂な境地を想像せしめる。しかもそこに住んでいる人は、隣合っていながら仲が悪い、という人間世界のやむをえざる事実を描いたものらしい。
しかしわれわれがこの句を読んで感ずるところは、それだけの興味に尽きるわけではない。かつて『ホトトギス』の俳談会が
腹あしき隣同志の蚊遣 かな 蕪村
仲悪しく隣り住む家や秋の暮 虚子
という両句の比較を問題にしたことがあった。人事的葛藤を描く上から見ると、蕪村の句が最も力があり、活動してもいるようであるが、句の価値は
蛍を
蚊屋の内にほたる放してアヽ楽や 蕪村
という句は、その放胆な句法によって人に知られているが、蕪村は果して西鶴の文中から得来ったものかどうか。蚊帳に蛍を放つの一事が、それほど特別な事柄でないだけに、偶合と見る方が妥当であろう。「アヽ楽や」の句は一応人を驚かすに足るけれども、再三読むに及んでは、蚊帳の中を光弱げに飛ぶ元禄の蛍の方に心が
子規居士が「試問」として『ホトトギス』の読者に課した中に、「子は寝入り蛍は草に放ちけり」の句を批評せよ、という問題があった。この句は誰の作かわからぬけれども、その答と共に居士が掲げた文章によると、享保頃に
子を寝せて隙 やる蚊帳の蛍かな 喜舌
という句があるらしい。居士は「子は寝入り」の趣向の古きものとしてこれを挙げたのであるが、更に
ねいらせて姥 がいなする蛍かな たゝ女
という句がある。「試問」における居士の批評は、第一に句尾の「けり」を難じ、第二に「子は」「蛍は」と二つ重ねた句法を難じ、第三に「子は寝入り」といい放したことを難じ、「もし句調を捨てて極めて簡単にせば『子寝ねて蛍を放つ』とでもすべきか」といっている。「草に」の一語がこの場合、あまり働かぬ贅辞となっていることも自ら明である。
享保の喜舌の句は、放つべき草をいわずに、今いる蚊帳を現した点が多少異っているけれども、「隙やる」の一語は何としても俗臭を免れない。元禄のたゝ女に至ると、寝入った子を主とせず、寝入らせた姥を主役にして、その姥が蛍を放つことになっている。これには草もなければ蚊帳もない。「ねいらせて」及「いなする」という言葉に厭味はあるが、「子寝ねて蛍を放つ」ということから見れば、この句が一番近いようである。こういう種類の句は、何時誰が作ったにしても、所詮俗を脱却し得ぬものであろう。ただこの趣向においてもまた、元禄の句が最も自然に近いとすれば、他の方面の事は推察に難くない。
すてゝある石臼薄し桐の華 鶴声
農家の庭などの有様かと思う。桐の花の咲いているほとりに、使わない石臼が捨ててある。単に石臼が捨ててあるだけで満足せず、その石臼の薄いことを
元禄時代に「すててんぶし」と称する
若竹や衣 踏洗ふいさゝ水 兀峰
ただ洗濯するといわず、「衣踏洗ふ」といったところに特色がある。場所ははっきりしないけれども、「いさゝ水」という言葉から考えると、井戸端や何かでなしに、ささやかな流の類であろう。その水に衣を浸して、足で踏んで洗いつつある。若竹の緑にさす日影も明るい上天気に違いない。
芥子の句は由来散るということに捉われやすい。越人の「散る時の心やすさよ芥子の花」などというのは、その代表的なものである。「芥子畑や友呼て来る蜂の荒 潘川」の如きは、そう著しく表面に現れていないが、それでも「蜂の荒」ということが、散りやすい芥子に対して或危惧を懐かしめる。他の花なら何でもないことでも、芥子の場合は散りやすさに結びつけられる点があるのであろう。
然るに烏水のこの句にはそれが全くない。雨の後であろう、庭に傘が干してある、芥子もその辺に咲いている、という純客観の句である。「日の移り」という言葉は、文字通りに解すると、
暑さの句というものは
鬼貫に「何と今日の暑さはと石の塵を吹く」という句があり、暑さを正面から描かず、塵を吹く人をして語らしめたのが一の趣向であるが、少しく趣向らしさに堕した
支那、朝鮮あたりを旅行していた人が、内地に帰って第一に感ずるのは、山の緑のうるわしいことだという。兀山の
蕪村の「日帰りの兀山越る暑さかな」という句は、時間的に長い点で知られているだけに、この句よりは大分複雑なものを持っている。一言にしていえば、この句より平面的でないということになるかも知れぬ。日帰りに兀山を越えなければならぬ暑さは、
虫ぼしや掛物そよぐ笹の風 里揚
虫干でいろいろな掛物がかけてある。その掛物に庭から風が吹いて来る。「
虫干や葛籠 払へば包熨斗 鶴声
これとちょっと調子の似た句に「虫干や幕を振へば桜花 卜枝」というのがある。花見の時用いた幕の中に、桜が散り込んでいたと見えて、幕を振ったらその花びらが出て来たというのは、一種の浮世絵趣味で、綺麗な代りに巧に失する嫌がある。葛籠を払った中から包熨斗が出て来たのでは、画にはならぬかも知れないが、それだけ真実性が強い。われわれはこの真実性を尊重したいのである。
説明するまでのこともない、つまらぬ句である。ただ正面から率直にいったところが、取得といえば取得であろう。句を作る者の通弊は、どうしても巧に流れる点にある。こういう稚拙な句を故意に作ろうとすると、大人が子供の字を真似したようになって面白くない。この句にしても「買や否」の上五字は、単なる初心者には置き得ぬところがある。
蚊屋釣ていれゝば吼 る小猫かな 宇白
水鳥がさえずるということはないといったら、いや『源氏物語』にあるといって例を挙げた話が、『花月草紙』に書いてあった。猫が吼るというのもざらにはない。例証を挙げる必要があれば、この句なども早速持出すべきものであろう。猫が不断と違ったような声を出すのを、「吼る」といったものではないかと思う。
我家に来て以来一番猫の好奇心を誘発したものは恐らく蚊帳であったらしい。どういうものか蚊帳を見ると奇態に興奮するのであった。殊に内に人がいて自分が外にいる場合にそれが著しかった。背を高く聳 やかし耳を伏せて恐ろしい相好 をする。そして命掛けのような勢で飛びかかって来る。猫にとっては恐らく不可思議に柔かくて強靭な蚊帳の抵抗に全身を投げかける。蚊帳の裾 は引きずられながらに袋になって猫のからだを包んでしまうのである。これが猫には不思議でなければならない。ともかくも普通のじゃれ方とはどうもちがう。余りに真剣なので少し悽 いような気のする事もあった。従順な特性は消えてしまって、野獣の本性が余りに明白に表われるのである。
蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかも知れない。あるいは蚊帳の中の蒼 ずんだ光が、森の月光に獲物を索 めて歩いた遠い祖先の本能を呼び覚すのではあるまいか。もし色の違った色々の蚊帳があったら試験して見たいような気もした。
われわれも猫を飼った経験はしばしばあるが、不幸にしてこういう観察を下す機会がなかった。猫と蚊帳についてこれだけ精細な観察を試みたものは、あるいは他に類がないかも知れない。宇白の句は僅に「吼る」の一語によって、猫の蚊帳に対する奇態な興奮を現したに過ぎぬが、とにかく観察のここに触れている点を異とすべきであろう。蚊帳自身かあるいは蚊帳越しに見える人影が、猫には何か恐ろしいものに見えるのかも知れない。あるいは蚊帳の中の
しる人の見込て通る蚊やりかな 和丈
門口を通る人が家の中を
知人の店の前を通る時など、通りすがりに家の中を見込んで、在否を窺うようなことは現在のわれわれにもある。この句の場合は作者が家の中にいて、外を通る者の知人たることを認めているのだから、立場は反対になるわけであるが、中を見込んで通る知人の方は、やはりわれわれと同じく在否を窺うような心持なのではなかろうか。この句は町家の光景と解したい。
膳棚に鼠早渡る蚊やりかな 河菱
「早渡る」は「さわたる」と読むのであろう。灯火の暗い家の中には蚊遣の煙が
ちょっと見ると夜寒とか、夜長とかの方がふさわしいようにも思われる。しかし再按するにそれは机上句案の頭で、蚊遣の煙の籠った家の中に鼠の荒れている様子は、
雨もりも天井ちかき紙帳 かな 十丈
紙帳というものは釣って寝た経験がないから、何ともいうことは出来ないが、この句から想像する紙帳の趣は、蚊帳より遥に侘しそうである。天井近い雨もりの跡なども、はっきり眼につくに相違ない。その雨もりの跡を仰ぎながら、紙帳の中に寝ている様子を考えると、甚だ憂鬱になって来る。実際紙帳に包まれて見たら、はじめて蚊帳にぶつかった猫のように、奇態な興奮を感ずるかも知れぬが、目下のところでは
まだ日の暮れぬうちに涼み舟に乗った場合である。自分の舟は比較的岸に近くおり、供舟はやや向うに漕出しているのであろうか、半ば
「供舟」の「供」は深く文字に拘泥せず、「友舟」と同程度に解して然るべきであろう。
涼風や障子にのこる指の穴 鶴声
「おさなき人の早世に
おお、「障子」の孔 を通って来る風の寒いこと、私は硬くなる――これもお前の小さい指の仕業 だ!
とあるのは、何に拠ったものかわからぬが、やはりこの句を指したものであろう。身に
作者不明の「ミニシミル」の句は、この「涼風」の句から生れたものかどうか、今俄に断定しがたいけれども、一句として見る場合には殆ど比較にならぬものである。実際のところ「身に入みる風」といい、「指のあと」といっただけで、子供の破った障子の穴から寒い風が吹き込むと解釈するのは、いささか骨が折れる。それが亡くなった子供の指の痕で、そのために一層身に入みて感ぜられるのだ、というに至っては、前書なしには不可能な話である。八雲が
そこへ行くと「涼風」の句は第一にちゃんと前書がついている。これによって作者は自分の亡児を思い出しているのでなしに、他人が子を失ったのに同情しているのだということがわかる。
第二にこの場合の障子は夏の障子で、しめ切って中に籠っている場合ではない。涼風はその穴から吹入るものと解せられぬこともないが、夏のことだから明放してあったとしてもいい。即ちこの「指の穴」は眼に訴えるので、その穴から吹込む風が身に入む、というほど深刻ではないのである。第三に「のこる」という一語が前書と
障子の穴から吹込む風が身に入みることによって、今更の如くかつてその穴をあけた亡児を思い出すというのは、一見悲痛な感情を描いたようで、真に凄涼なものを欠いているのを
洞穴の中に夕立を避けたのである。その人の姿を描かずに、その声のみを描いたのが面白い。雨やみをしている人の声が、洞穴の中にくぐもって聞えるなどは、都会人の思いもよらぬ趣である。
子規居士も奥羽旅行の時、飯坂温泉で「夕立や人声こもる
夕顔のにぶきそよぎや簾 越し 包之
あまり風のない夕方らしい。簾越に咲いている夕顔の白い花が僅にそよぐのが見える、というのである。「にぶきそよぎ」の一語が、簾越の花の僅にそよぐ趣をよく現している。元禄らしい写生句である。
瓢箪の蔓に見越すや雲の嶺 范孚
俳画に描くとすれば、窓に垂れた瓢箪の蔓を比較的大きく画いて、その向うに雲の峯の白く
大小の配合といったような点からこの句を見ることは、必ずしも当っていない。ただ雲の峯というような題目は、とかく大景の連想に捉われやすいのに、この句は植物の中でも細い、軟な瓢箪の蔓を配したところに興味がある。それも一茶の「蟻の道雲の峯よりつゞきけり」のような、意識的な配合でなしに、自然の景色として成立っているから面白いのである。
馬のりに乗や清水の丸木橋 釣眠
湧き出る清水が
これが夕涼の場合ででもあったならば、橋に跨る趣向も多少平凡に陥らざるを得ない。運座席上の調和論などは、往々にしてこういう平凡を支持しやすいものである。清水に対して丸木橋を持出し、それに馬乗になるというようなつれづれのすさびは、単に平凡でないのみならず、経験なしには念頭に浮べにくい。おどけたようでしかも棄て難い閑中の趣である。
えり垢の春をたゝむや更衣 洞池
軽い著物に脱ぎ替る初夏の快適な心持は、今も昔も変りはあるまい。「蝶々も軽みおぼえよ」といい、「籠ぬけのかろみ覚えつ」といい、多くは軽快な感じが主になっている。この句の如く脱ぎ捨てた旧衣に眼を注いだものはあまり見当らぬ。
新衣に更うるに当って脱ぎ捨てた著物は、已に多少襟垢がついている。作者はこの襟垢を以て、すがすがしい新衣に対照せしむると同時に、旧衣に対する愛著の情を寓するものとした。
「えり垢の春をたゝむ」というのは、かなり巧な言葉遣いで、その衣に
西鶴の「長持に春かくれ行く更衣」という句も、多少この句と趣を同じゅうするようであるが、西鶴の更衣は単に季節を現しているまでで、洞池のような実感を伴っていない。「長持に春かくれ行く」は、華かな花見小袖の類が、長持にしまわれることを指すのであろうが、巧を求めて機智を弄し過ぎた嫌がある。旧衣の襟垢にとどめた春の名残の自然なるに如かぬのである。
綿抜やひそかに宵の袖だたみ 兆邦
綿抜というのは
この句は隠れた意味はない。綿を抜いて著られるようになった袷を、そっと袖畳にして置いた、というつつましやかな趣である。それが宵の燈下であることも、何となくこの句に或情味を添えている。
粽というものは、国により土地によって随分種類があるらしい。歳時記などにもいろいろ書いてあるが、名称だけではなお心往かぬ感じがする。粽の種類を列挙するのは、風俗誌の領分に属するにしても、各地に固有の粽が存在する以上、俳人の観察がそこに及ぶのも
鶴声の句の粽は笹に巻いたもので、樒の枝にいくつもつけてあるらしい。特に「家土産」と断ってあるのは、御土産用にそういうものを売っているのか、持って帰る便宜のためにそうしてくれたのか、その辺はわからない。
青梅や葉かげをのぞく眉の皺 伽香
活字本には「眉の雛」となっているが、恐らく「皺」の誤であろう。仮に原本に「雛」とあったにしても、雛では意味をなさぬ。木版本にもこの程度の誤はしばしばあるから、皺として解すべきものと思われる。
かつて蕪村句集輪講の時、「青梅に眉あつめたる美人かな」の「眉あつめたる」について議論があったのを、これは何でもない、青梅を見て、おお酸ぱいといって眉を寄せたのだ、と断じたのは子規居士であった。伽香の捉えどころも全く同じで、「眉の皺」は子規居士説の通りと思われるが、蕪村は眉あつめたる美人を主として描き、伽香は青梅を見る様子に重きを置いたので、句の表は大分異ったものになっている。葉陰の青梅を覗いて眉根に皺を寄せる者は、やはり女であろう。元禄と天明との相異はここにもある。句としては蕪村の方が成功しているかも知れぬが、時代的に先じた点で、伽香の句を一顧する必要がある。
しら壁や若葉のひまの薄曇 葉圃
新緑に
茂り合う若葉のひまから白壁の家が見える。緑と白との対照が、どんよりした薄曇の中に眼に入るのである。景色としては格別珍しいこともないが、
白壁は若葉に曇る朝けかな 未出
という句も、同じくどんよりした若葉の趣である。「朝け」という時間を持出したことが、どんよりした若葉の感じを助けてはいるが、眼に訴える印象からいうと、前の句の方がすぐれている。殊に看過すべからざるものは「ひまの」の三字であろう。後の句の「白壁は」という上五字は、「白壁の」と大差ない意味であろうが、決して巧な用語というわけには行かない。
裏門の潜 に見ゆる青葉かな 野紅
簡単なスケッチである。
裏門の潜戸があいていて、そこから庭の青葉が見える。塀をめぐらした大きな屋敷でもあろうか。こういう景色にはしばしば逢著しながら、これほど単純に句にすることはむずかしい。「潜に見ゆる」が一句の眼目である。

卯の花の咲いたあたりに米がこぼれている、その米を
の声がする、というだけの句である。俳句に用いられる「
の声」は、
が啄んでいるのだから、正真正銘の落米であるに相違ない。「つつお」という言葉は『大言海』などにも、「筒落米、つゝおちまいノ略、米さしヨリ落チコボレタル米の称。ツヽオチゴメ。ツヽオゴメ。略シテつゝお」と出ている。
が啄んでいる、しずかな趣であろう。竹垣や桶 の尻干 くりの花 可吟
竹垣に桶を引掛けて、尻の乾くようにしてある。その辺に栗の木があって、例の花が垂れている、という小景である。
栗の花は一面陰鬱な連想を伴うようであるが、必ずしもそうばかりではない。栗の花盛りの梢に日の当っているところなどは、むしろ明るい、
砂に居る心もさびし袷比 洞月
「砂に居る」という言葉は多少不十分であるが、砂の上に
晩春初夏の明るいながらうらさびしい心持を捉えたのが、この句の眼目である。その心持は完全に描き得ていないかも知れぬが、袷の句の常套に堕せず、作者が捉えようとしたところには、われわれも同感出来る。
「袷比」は「アワセゴロ」と読むのであろう。「袷時」という言葉もあったかと思う。袷を著る時節という意味であるが、漠然たる季節をのみ指すのではない。作者は現に袷を著ているのである。
猫の恋は春にあるばかりではない。猫の子に夏子も秋子もあるように、恋の方にも自ら段落がある。季題によって季節の連想を限るのは、俳句の長所であると同時に、その短所でもあるが、俳人は時に他の配合物を
梅雨に入って毎日のように雨が降る。その雨の中を恋い渡る猫の声が聞える。「又一しきり」というのは、春以来一時やんでいた恋猫の声が、五月雨時になって再興されて、また一しきり聞えるという意味であろう。この「一しきり」は普通に「雨がまた一しきり強く降る」などというほど、短い時間の「一しきり」ではない。長い梅雨の間の一時期を指すものと思われる。
五月雨や朝行水のたばね髪 洛翠
行水というものは大体夕方か、夜のものと相場がきまっている。一日の汗を流す簡単な入浴なのだから、実際問題からいっても、そういう時間になりやすい事情がある。
この句は変った場合と見えて、特に「朝行水」という語を置いた。時節も五月雨だから、いわゆる行水のシーズンではない。「朝行水のたばね髪」という言葉は、束ね髪をして朝行水をする、という意味にも取れる。朝行水をした後を束ね髪でいる、という意味にも取れる。後の解の方がよくはないかと思う。
『
ほとゝぎす月夜烏 の跡や先 里東
月夜に浮れて烏が啼く。そうかと思うと今度はほととぎすが啼渡る。月夜烏が啼き、ほととぎすが啼く、という趣を
鵑声と鴉声とを配したものは、其角に「それよりして夜明烏や時鳥」という句がある。ほととぎすの声を聞いてから、ややあって夜明烏の声が聞える、というのである。
蛍籠提 て聞夜や後夜 の鐘 半残
蛍を追うて知らず知らず遠くまで歩いて行ったような場合かと想像する。もう大分
この句では「提」の字がよほど句の意味を限定する力を持っている。もしこれが仮名で「さげて」とあったならば、必ずしも蛍狩の場合にはならない。軒に蛍籠を吊して後夜の鐘を聞くとも解せられる。単に「蛍籠」という時は、蛍狩を連想せぬ方がむしろ自然かも知れない。けれどもこの句は現在手に提げているのだから、
但中七字に「聞夜」とあって、下五字にまた「後夜」とあるのは、
蠅打に猫飛出ルや膳の下
江
江猫はよく食事の時膳の下に入っているものである。膳上の蠅を打つ音に驚いて、下にいた猫が飛出した。「飛出ル」の一語で、猫の驚いた様を現している。同時に人間の方も、多少不意を打たれたような気味がある。
大した句ではないが、空想ではちょっとこの趣を捉えにくい。画にすれば俳画よりも漫画に近いものであろう。
家なみのはなれ/\やけしの畑 竹夜
家並が尽きて家が離れ離れになる。そういうところに芥子畑があって、花が盛に咲いている、という趣である。離れ離れの家の間が芥子畑だというほど、景色を限定しなくても差支ない。離れ離れに建っている家と、芥子畑とが一幅の画図に収りさえすればいいのである。
形容の大まかな割に、印象の明な句である。われわれもかつてどこかでこんな景色を見たような気がする。
あからみし麦や正木 の垣間より 巴流
青い正木垣の間から麦畑が見える。その麦は已に十分に熟している。――垣根の
作者は一望黄熟した
涼しさや寝てから通る町の音 使帆
「町の音」という言葉は、今だと都会の騒音を連想せしめやすいが、これはそんなに大規模なものではない。自分はもう寝ているのに、戸外にはまだ
「人声の夜半を過ぐる寒さかな」という句は、その人声の何であるにかかわらず、一種のいかめしい響がある。深夜の門を通る人声によって、現在歩きつつある人々の寒さも思いやられる。使帆の句はそれに比べると頗る軽い。同じ夏の夜であっても、『猿蓑』の
虫干の又めづらしや絵踏帳 悠川
「長崎にしばしのいとまあり名主の家に入て」という前書がある。虫干の句としては珍しい題材を捉えたものである。
長崎の
をつくわけである。この句は絵踏を詠んだものではないけれども、妙な方角から実在的な絵踏に触れている。名主のところにある絵踏帳というのはどんなものか、それは長崎研究者に聞くより外はないが、恐らく絵踏を行う際の人名その他を記したものであろう。悠川が長崎に行った時は、切支丹迫害当時よりは大分年数がたっているので、多少好奇的な眼でこれを見たものではないかと思われる。絵踏帳は今の切支丹研究者に取っても、看過すべからざる材料であろう。
この句を見て思い出すのは、太祇の「
ほろりとも降らで月澄む蚊遣 かな 焦桐
「ほろりとも降らで月澄む」の十二字を以て、大旱の夜の空気を現した
月涼し百足 の落る枕もと 之道
夏嫌の人が不愉快な箇条を数える中には、虫が多いということも加っている。羽のある虫も嫌、羽のない虫も厭だという。昼だけならまだしも、夜まで灯を求めて活動する。夜の虫はありがたくないが、殊にそれが百足と来ては、虫嫌を標榜せぬわれわれでも降参である。枕にさす月の涼しい光も、ここに至っては
古い
一種の
普通の硯より小型でもあり、浅くもあるから、朱硯の水は乾きやすいという点もある。大して面白い句でもないが、一読して筆硯に対する親しさを感ずる。日夕朱硯を
いわゆるそよりともせぬ暑さを詠んだのであるが、相手が唐黍では全体が大き過ぎて、「そより」というような言葉では十分に現れぬところから、「かぶりもふらぬ」という中七字を
「かぶりもふらぬ」というような言葉は、俳句に用いるにはあまり好ましいものではない。ただ擬人的であるばかりでなしに、否定するという意味をも兼ねているからである。「芋の葉や蓮かと問へばかぶりふる」という句の如きは、芋の葉と蓮の葉とが似ているという、『万葉』以来の問題を取入れたので、蓮かと問うたら、芋の葉がかぶりを振って否定した、という結果になっている。けれどもこの唐黍の句には、そういう寓意はなさそうに見える。作者は大暑にじっと立っている唐黍を見て「かぶりもふらぬ」といったまでであろう。俗謡子の材料になった芋の葉などでないために、それほど俗に陥ってないようである。
ほめられて小歌やめけり夕涼 微房
夕涼をしながら何か小唄を
『遠野物語』の中に、山を越えながら笛を吹いていると、
水うてば夕立くさき庭木かな 芝柏
一日照りつづけた庭に水を打つ。立木といわず、草といわず、石や土のたぐいからも、一斉に一種の気が
こういう句に比べたら、太祇の「水打て露こしらへる門辺かな」の如きは巧であろう。けれども
朝草の鎌利立 る水
かな 史興

「朝草」というのは朝刈る草の意であろう。『猿蓑』にも「涼しさや朝草門に荷ひ込」という凡兆の句があった。
この句は朝草を刈るべき鎌を
の声が聞える、という趣である。全体の表現はやや不明瞭だけれども、水
の句としては珍しい方に属する。藻の花に雲の白みや峯の池 濫吹
山上の池というものは、何となく恐しい感じのするものである。山の池で泳ぐのが一番気味が悪い、という話を誰かに聞いた。やはり底が深かったり、水が冷たかったりする関係かも知れない。その水につき
この句は峯の池を舞台としているが、そういう気味の悪い空気には触れていない。そこに藻の花が咲き、白雲が影を落す、夏の日中の静な様子を現しているだけである。しかし場所が峯の池だけに、普通の池沼とは多少趣を異にするものがないでもない。
青すだれ黒歯つけ/\の咄 しかな 山鳳
川柳子は鉄漿に関する観察をいろいろな点から試みており、デッサンとして面白いものもあるが、未だ一幅の画図を成すに至っていない。この句は青簾を垂れたところに、鉄漿をつけながら誰かと話をしている女を描いたので、大してすぐれた句というでもなし、好画図というほどでもないけれども、全体がちゃんと纏っている。川柳と俳句との相異は、こういう扱い方の上にも認められる。
「黒歯」はやはり「カネ」と読むのであろう。「黒歯つけ/\」という言葉によって、その女の様子、鉄漿をつけるのに相当時間を要することなども想像出来る。「つんぼかと覗けばかねをつけている」「稍しばしあってお歯黒返事する」などという川柳は、この句を解する上に多少参考になる。
夜に入て雨を呼出す水
かな 源五

日が暮れてから一しきり水
の声が聞えていたかと思うと、やがて雨が降って来た、というような場合であろう。水
が啼き、しかして雨が降る、という自然の現象を、水
の声が雨を誘うものの如く見たのである。「雨を呼出す」の一語は人為的に過ぎる嫌があるが、季節の上から見て、こういう事実はいくらもありそうに思う。水
の句にはこの外にも
かな 東推狐火をたゝきけしたる水
かな 楚山
かな 楚山なるかみをしづめて扣 く水
かな 露川
かな 露川というように、何か他に働きかけるような意味のものがあるけれども、水
の声の性質からいうと、いずれも少し強過ぎるようである。尤も事実は水
の声にそういう力があるわけではなく、夜嵐や
にそぐわぬ
は一番平凡かも知れぬが、それだけ無難だともいい得るであろう。さはやかに身は藍 くさし衣がへ 和風
重い
化学染料の幅を
などという句も、ほぼ同じところを
物拭ふ袖に紙あり衣更 其林
「物なくて軽き袂や更衣」とか、「袷著て袂に何も無かりけり」とかいうことは、明治以後の俳人もこれを詠んでいる。更衣をすました爽な心持からいえば、袂には一物もない方がいいかも知れぬが、一概にそうきめてしまうと、また一種の型に陥る
其林の句は物を拭うべき紙を袖にしている、というだけではない。実際何かを拭う必要があって、袂の紙を取出した場合である。これほどのものならば更衣の感じを妨げぬのみならず、ただ袂に何もないというよりも複雑な場合を現している。元禄の句を単純だとのみ片づけることは、当っていないのである。
「せきだ」は
卯の花に誰 が櫛 けづる髪の落 桃※[#「虫+羊」、U+86D8、181-10]
これも実景に相違ない。卯の花の咲いているほとりに、誰が
卯の花は必ずしも妖気を伴う花とも考えられぬが、白いこまかい花でもあり、陰鬱な季節の連想もあり、何となく寂しい感じがする。そこに「誰が櫛けづる髪の落」などという趣と一脈相通ずるものがある。この句は卯の花の
初せみや日和鳴出す雲の色 邦里
初蝉を聞く
子規居士の晩年の句に「蝉初メテ鳴ク
針つけて糸につながん柿のはな 染女
面白い句ではない。ただ見つけどころの女らしい点を取れば取るのである。
柿の花の固いところ、手に取っても崩れぬところ、その他いろいろな点から考えて、
わた抜や机に臂 をついてみて 雨帆
これも大した句ではない。「ついてみて」という下の一字は少し軽過ぎるが、場合が場合だから、作者はこれでよしとしたのかも知れぬ。
天上天下唯我独尊といって生れた
芭蕉にも奈良で詠んだ「灌仏の日に生れあふ鹿の子かな」という句がある。場所は仏に因縁の多い奈良であり、日も多いのに灌仏の日に生れるということが、芭蕉の興味を刺激したものと思われる。畜生の身ながら、かかるめでたき日に生れ合うことよ、というほど強い意味ではない。奈良で鹿が子を産むのを見た、それがあたかも灌仏の日であった、という即事を詠んだのである。この方は現に眼前に生れたところを捉えたのだから、軽い事実として扱うことも出来るが、今生れたばかりの子供を「唯の人」と断定するには多少の無理がある。釈迦に比べればどう転んでも「唯の人」に過ぎぬ、というような意味とすれば、益
理窟臭くなって来る。鹿の子ならそのままで通用する事柄も、「唯の人」という言葉を用いたために、いささか面倒なのである。芥川龍之介氏の『少年』という小説の中に、バスの中の少女の事が書いてあった。フランス人の宣教師が今日は何日かと問うと、十二月二十五日と答える。十二月二十五日は何の日か、と重ねて問われたのに対し、少女は落著き払って「きょうはあたしの誕生日」と答えるのである。この答を聞いて微笑を禁じ得なかったという作者の気持には、例の皮肉が漂っているようであるが、「クリスマスの日に生れ合う少女」も、面白い事実でないことはない。但こういう事実は散文の中においてはじめて光彩を放つべき性質のもので、俳句のような詩に盛るには不適当である。芭蕉の句が比較的離れ得たのは、眼前の即事を捉えたせいもあるが、ものが「鹿の子」で、「唯の人」というが如き理智を絶しているために外ならぬ。
つり初 て蚊屋の薫 や二日程 花虫
この句に極めて類似しているのは「つり初て蚊帳の匂や二三日
蚊帳はうるさいものであるが、釣りはじめの間はそう暑くないせいか、何となくなつかしいような感じがする。花虫の句は一日二日の間、
つり初て蚊帳面白き月夜かな 言水
一夜二夜蚊帳めづらしき匂かな 春武
の如きものもあるが、花虫の句は最もすぐれたものといい得るであろう。
ほとゝぎす腹の立事言てより 草籬
何か腹の立つことがあって、それを口にした、その後でほととぎすの声を耳にした、というのである。
不機嫌な折からほととぎすを聞いたという事実の報告ではない。何か腹の立つことをいってのけた、むしゃくしゃしたような、しかも一面にはけ口を見出したような心理状態を捉えたところが主眼である。そういう気持とほととぎすの声とが、或調和を得ていることはいうまでもない。
太祇の「思ひもの人にくれし夜時鳥」という句も、或心理的変化の上にほととぎすを持込んでいるが、その事柄が特別過ぎるため、奇は奇であっても、
くれもせぬ隣の餅や五月雨 野棠
隣の家で餅を
「隣の餅」というだけでは、現在搗きつつある場合かどうかわからない。冬搗いたかき餅などを五月雨時分に焼いて食うこともないではないが、それにしてはいい方が事々し過ぎるような気もする。何か特別な事があって餅を搗いているものと見た方が、「くれもせぬ」という言葉にも
くれるときまりもせぬものに対して、「くれもせぬ」といったところに、多少滑稽な趣が伴っている。一茶の「我門に来さうにしたり配り餅」なども、気持の上に似たところがあるが、際どいだけに俗な点があって面白くない。「くれもせぬ」という余裕ある不平に及ばざること遠い。
たゝかれて沈む蛍や麻の雨 其風
麻の葉にいる蛍が雨に打たれて、茂みの中に沈む趣である。この蛍は無論複数であろう。雨勢の相当強い様子もわかるし、麻の葉を打つ
画のような景色というところであるが、画ではかえってこういう趣は現しにくいかも知れない。生趣に富んだ句である。
昔の句では虹が季になっていない。西鶴の書いたものに冬の虹が出て来るのを、ちょっと妙に思ったが、その後気をつけて見ると、俳句にも冬の風物に虹を配したのがいくつもある。虹は夕立のあとにばかり出るわけではないのだから、夏に限定する方がかえって捉われているのかも知れぬ。
この句の虹は夏の虹である。鮮に立った雨後の虹が海面に影を落して、大きな円を描く。「影と輪になる」という言葉は、極めて大まかな言葉のようだけれども、これ以上適切に現し得る言葉があるかどうか疑問である。昔の虹の句としては特色あるものたるを失わぬであろう。
よむほどやほしに数なき夕涼 風吟
子規居士は「星」という文章の中で、「一番星といえば星の下に子供一人立っているように感ぜらる」といった。「一番星見つけた」というのは、われわれも子供の時にしばしば耳にした言葉であった。一つ見つけ、二つ見つけするうちに、眼界の星はいくらでも
「涼み台又はじまった星の論」という。夏の夕方、涼台に
夕すゞみ星の名をとふ童かな 一徳
というのもやはり元禄の句であるが、天を仰いで
庭砂のかわき初 てやせみの声 北人
朝のうちはしっとり湿っていた砂が、日の高く上るにつれてだんだん乾いて来る。今日の日和を卜するように、そこらで蝉が鳴き出す、というのである。句の表には格別時間を現していないようであるが、暑くなりそうな夏の日の感じが
「かわき初てや」の「や」は必ずしも疑問の意ではない。しかし「かわき初むるや」というのとは、少し意味が違う。こういう言葉の味を説明するのは困難である。これを
実桜や古茅 はこぶ宮の修理 邑姿
「修理」は「シュリ」と詰めて読むのであろうか。普通人名の場合はシュリ、修繕の場合はシュウリと発音するようであるが、ここは詰めないと調子が悪い。
桜の実の熟した、もの静な宮の
直に俳画になり得べき趣である。日本の桜の実は、花と違って多くの場合閑却された形であるが、この句は実桜にふさわしい趣を捉えている。人目は
昼顔や魚荷過たる浜の道 桃妖
眼前の景色である。
昼顔の咲いている浜の道を、魚荷を運ぶ人が通る。この句は魚荷が通ったあとの光景らしい。一面の砂浜の日が照りつけている中に、炎威にめげぬ昼顔の花の咲いている様が眼に浮ぶ。あたりには魚荷の
「
飯鮓の中に入っている笹の広葉が折返っていた、というだけのことであるが、「折かへり」の一語がこの句に或生趣を与えているように思う。こういう微細な写生が元禄に已に行われている点に注意すべきである。「
但「月潺堂にまいりて」なる前書に何か意味があって、飯鮓並に「折かへり」の語も漫然置いたものでないということになれば、更に出直して解釈しなければならぬ。今はさし当り見たままの句として置く。
風の香も麻のうねりや馬の上 冠雪
炎天下を馬上で行く場合であろうか。道端の麻畠を吹いて来る風も、生ぬるくてムッとするような感じが想像される。「風の香」は勿論麻の香で、青い麻の葉がゆさゆさ揺れている様らしく思われる。
けれどもこの句は決して右のような光景を的確に表現しているわけではない。一読何となく暑そうな感じがしたために、そう解したまでであるが、作者の意はあるいは日も少し
手にすゑて浅瀬をのぼる鵜匠 かな 一之
読んで字の如くである。
一羽の鵜を手に据えて、浅瀬をざぶざぶ上って行く鵜匠の姿を描いたので、現在鵜を使っているわけではない、準備的状況のように思われる。「浅瀬」の一語によって、自ら徒渉の様を現している。勿論昼の景色であろう。
夏旅やむかふから来る牛の息 方山
今は夏を以て旅行シーズンとするのが常識になっているが、昔はそうでなかった。一所不住のような
ここに「夏旅」というのも、そういう季題があるのではない。今日の人が夏になって旅を想うのとは反対に、むしろ夏の旅の苦しさを現すために、先ずこの語を置いたものではないかと思う。
松笠の火は消 やすき涼みかな 萬風
そこらに落ちている
土芳が芭蕉を泊めた時の句に「おもしろう松笠もえよ薄月夜」というのがあった。同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある。
夕立の降っている中の離れ家で赤ン坊が泣いている、というだけのことであるが、もう少し補っていえば、夕立のためにおびえたとも取れるし、夕立が
「離れ家」は離亭でなしに、ぽつんと一軒離れて建っている家の意であろう。「闇の夜や子供泣出す蛍舟」という凡兆の句を思い出す。
祭の家に招かれた場合であろう。もてなしの鮓の御馳走になって、一先ず落著いたら、何となく祭らしい気分になった、という場合を叙したのである。この鮓は今の握鮓のようなものではない。祭のために特に自分の家でつけたものと思われる。尤も句の眼目は、鮓を食って一先ず落著いたという段落にあるので、鮓そのものの吟味はいずれでも差支ない。恐らく鮓を前奏曲として、本格的な御馳走があとに控えているのであろうが、それはどうでもいい。鮓を食って先ず祭気分になった、というところにこの句の山はある。「先」の一語が重要な働きをつとめているわけである。
何々顔という言葉は平安朝以来のもので、天明時代になってから、蕪村や太祇が
日頃はなりにもふりにも構わず働いているような人たちも、祭の日はさすがに髪をきちんとして、如何にも祭らしく見える、という意味らしい。今では髪というと女の世界に限られるようだけれども、結髪の昔は男といえども祭の髪を
祭の日の賤の髪が目立って見える、という点に作者は興味を覚えたのである。「猶」という言葉は、この場合なるべく軽く見たい。賤はなおの事、という風に強く解すると、多少理窟っぽくなる
いい句とは思わぬが、元禄の句はこういう種類の句でも、どことなく重厚なところのあるのに注目しなければならぬ。
勝負事に熱心な人たちの狂奔する今の競馬ではない、五月十五日に行われる賀茂の競馬の句である。
競馬を見る群集の中に、目立って
この句を読むと、『徒然草』の一節を思い出す。賀茂の競馬を見に行ったら、
卯の花のちるや流れぬ池のさび 従吾
「池のさび」はしばらく水錆の意に解したが、「池の寂び」とも見られぬことはない。ただ卯の花の散るということに対しては、水錆の方がいいかと思う。
濁江の水に材木が
われわれの燕子花に関する感じは、伝統的に庭園に捉われ過ぎている。こういう自然の趣は、ただ燕子花らしい句を案出しようとする者の、所詮逢著し得ざる世界である。この句の強味はそこにある。
尼寺にみそ摺 音やほとゝぎす 除風
小さな尼寺であろう。朝か夕かわからぬが、ゴロゴロと味噌を摺る音が聞える。何処かでほととぎすが啼くという意味らしい。音に音を取合せるのは、効果の薄い方法のようにも思われるが、古人はしばしばこの手を用いている。一概に排し去るべきではあるまい。
味噌摺る音だけでは平凡であるが、尼寺というので一種の興味を感ずる。ほととぎすとも何となく調和を得ているようである。
草の戸や筵 扣 ケばぎやう/\し 為重
この筵は何の筵かわからぬが、上に「草の戸」とあるから、不断敷いている筵ではあるまいかと思う。バタバタ筵を叩く音がする、
尼寺に味噌摺る音とほととぎすの声とは、必ずしも
ほとゝぎす鳴や山田の日和虹 捨石
昼のほととぎすらしい。日和虹というのは、雨も降らぬのにかかる虹をいうのであろう。後の俳書に「日和虹」という名のがあったかと記憶する。山田の空には鮮に日和虹がかかり、ほととぎすの啼き渡る声がする。
俳人によって開拓されたほととぎすの世界はいろいろあるが、最も多いのは配合の句で、それだけまた相似たものになりやすい。その点からいうと、この句の如きは配合物の上で明に伝統を破っている。実感にあらずんば得難い趣であることは言を
笠はみな哥 にかたぶく田植かな 松葉
笠を著連れた
「早乙女の笠かたぶけてうたひけり」とか、「うたふ時かたぶく笠や
振たてゝ柳に散 や鵜 の篝 林陰
鵜飼というものは実際を見たことがないから、はっきりしたことはわからぬが、舟がやや岸に近いような場合であろうか。鵜匠の振立てる
鵜飼を詠んだ句の多くは、鵜もしくは鵜匠に集注する。この句は鵜匠の働きを描いて、多少変った方角から見たところに特色がある。柳に散る篝火は美しいのみならず、涼しい感じをさえ伴っている。
川狩というと必ずしも昼夜を限定せず、
かたばみの花の盛や蟻の道 如此
かたばみの花は大して見どころのあるものではない。恐らく俳句以外、在来の詩歌の類には顧みられぬ種類のものであったろう。本当の道ばた、市井の家の垣下などにも咲いているものだけに、
人が来て碁を打つほどに、夏の夜はずんずん
「名残」という言葉は無論碁の上にかかっている。同時に心持の上において、明やすき夜に通うところがある。そこにこの句の巧があるのであろう。
虫干や鼓 にたゝく書物箱 此山
本箱に入った書物を皆出して、からになったのをポンポンたたく。それを鼓に見立てたのである。「鼓に」は「鼓の如くに」の意であろう。虫干の最中に興じて鼓の真似をしたとまで解さなくてもいい。
本箱といわずに書物箱といったのは、字数の関係とも見られる。しかしこういう風に置かれて見ると、書物箱という言葉は言葉で、本箱とは違った味いを持っているような気がする。
「熊野道中」という前書がある。これが熊野
手にも梛の葉を持ち、笠にもさして通る。青い梛の葉をかざす道者の姿を涼しと見た、とも解することが出来る。この場合はすべてが客観の涼しさである。そういう道者の一人として、笈摺をかけ、梛の葉をかざして見ると、身も心も涼しくなったような気がする、という風にも解することが出来る。この場合は大分主観の加った涼しさになる。いずれにしても道者の姿ということは動かぬのであるが、「熊野道中」という前書といい、「笈摺をかけて」の語が身に近く感ぜられるところから見て、後者と解するのが妥当ではあるまいかと思う。
去来にも自ら順礼に出た経験があったらしく、「卯の花に笈摺寒し初瀬山」「順礼もしまふや襟に鮓の飯」というような句が伝わっている。自笑もあるいは自家の経験によってこの句を
涼しさや袂 にあまる貝のから 一琴
海辺の土産に貝殻でも持って帰るような場合かと想像する。袂に入れた貝殻が相触れて鳴る音も涼しいが、長いこと波に洗われて真白になっている――動物というよりも石に近い感じの貝殻であることが、涼しさを加える
「袂にあまる」という言葉は、「うれしさを何にたとへむから衣袂ゆたかにたてといはましを」の歌以来、つつむに余るというような主観的の場合に用いられやすい。この句は実際袂に余るほど多くの貝殻を獲たのであろうが、それに伴ううれしさというものも陰に動いている。少くとも作者はそれを意識して「袂にあまる」の語を置いたのであろう。
谷水に松葉の浮てあつさかな 一楊
谷川というと、考えただけで
石の間に
蚊屋つるに又ふまへけり鋏筥 流志
「旅行独吟」という前書がある。金属の鋏という字が書いてあるが、普通の挟箱、即ち箱に棒を添え、衣服などを
蚊帳を釣るに当って釣手が高いため、何か踏台になるものはないかと思って物色した結果、挟箱を利用することにした。或旅宿でこういう経験を得たら、暫くしてまた同様のことを繰返す機会に逢著した。「又」の一語によって、その旅行の何日か続いたこともわかれば、同じ旅中に何度か挟箱を踏台にしたことも窺われる。
一種の簡易生活であるが、その簡易も旅中より生れたものであることに注意しなければならぬ。「旅行独吟」の前書がないと、その点を看過する
夏立 や明 り障子 の朝みどり 左次
「明り障子」というのは、或特別な障子を指す場合もあるらしいが、普通は今いう障子のことである。ガラス障子というような、更に明るいものの出現した今日から見れば、紙障子を「明り障子」と号するのは、いささか僣越の沙汰であろう。しかしこれが明り障子として通用するためには、一方に明るくない障子のあった時代を顧みなければならぬ。障子といえば子供が指で破るものときめてかかる時代になっては、かえって「明り」の語が何か特別のものの如く考えられる虞もあるからである。
晴れ渡った朝空の色か、新緑の庭木の色か、あるいは両者合体した色でも差支ない。紙の障子に外面からそういう色がさすという、如何にも初夏の朝らしい爽快な感じである。「朝みどり」の語はこのまま朝と解すべく、浅緑の意味もあるなどという
ほとゝぎす啼や子共 のかけて来る 紫道
この二つの事柄には元来関連はないのである。ほととぎすが啼く、向うから子供が駈けて来る、ということを取合せたので、今ほととぎすが啼いたからといって、誰かに知らせに来たわけではない。ただ関連のない二つの事柄をこうやって一句に収めて見ると、必ずしも離れ離れのものとも思われぬ。ほととぎすの
この駈けて来る子供の姿は、やはり見えていた方がいい。その点からいって、この句は真昼間でないにしても、とにかく夜でない、明るい間のほととぎすであろうと思う。
葉のふとる一夜々々や煙艸苗 釣壺
畠に作った煙草でもいいが、昔のことだから、庭の隅か何かに生えた苗と見ても差支ない。ぐんぐん伸びる煙草苗が、一晩ごとに目に見えて大きくなる。葉の大きい、
見世掃 て一人居るや更衣 助然
「居る」は「オル」ではない、「スワル」とよむのである。鴎外博士の小説には坐すという場合に、「据わる」と書いてあったように思う。「スワル」という言葉から考えると、そう書く方が正しいのかも知れぬ。今の人には手扁があった方がわかりいいが、感じからいえば「居る」の方が適切なようでもある。
あまり大きな店ではなさそうである。自分で掃除をして、綺麗になった店の中に一人で坐って見る。丁度冬の衣を脱いで、軽い
子規鯉の子うみにのぼる時 水颯
この句におけるほととぎすは、現在啼いているものと見ないでもよろしい。ほととぎすの啼く頃という、漠然たる季節の感じである。ほととぎすがしばしば啼き渡る頃になると、水中の鯉も子を産むために上って行く、という事実を叙したのであろう。一句に纏められて見ると、そこに自然な面白味が感ぜられる。
嵩長い五月雨の間の或状態を句にしたのである。来る日も来る日も五月雨で、
卯の花やむかひから来る火のあかり 林紅
この卯の花は路傍にでも咲いているのであろう。卯の花の白々と目立つ闇の道を、向うから誰か来る灯が見える、というだけのことらしい。
もしこの「むかひ」が向い家の略で、今いう「おむこう」などというのに当るとなると、前の解釈は全然違って来る。庭の垣根か何かに卯の花があって、それに向い家の灯がさすものとすれば、それもまた一の趣たるを失わぬけれども、この場合の「来る」という語には、どうしても或動きがある。ただ灯がさすものとは受取れない。
尤も前の解釈にしても、単に灯が向うから来るだけでなしに、その灯の明りが卯の花にさすことを認むべきであろう。夜目にもしるき卯の花だけでは、「あかり」というのがあまり利かぬ
手拭も動く小風やしゆろの花 呂風
手拭懸の手拭が動く程度であるから、大した風ではない。作者はそれを「小風」という語で現した。漢語を用いれば微風というところであろう。そういう繊細な景色に対して、一方にはどっしりした
わか竹に麦のほこりや日の盛 吏全
季題本位の人たちにこんな句を見せたら、何に分類していいかわからぬというであろう。若竹、麦埃、日盛と三つも季題が含まれているからである。しかし自然は季題のために存在するものでない。時として他の季節の風物と交錯することさえあるのだから、同じ季節のものが重なる位は怪しむに足らぬ。自然の上に立って見れば、立派に存在する光景なのである。
「陣貝」というのは陣中で吹く貝のことである。貝の音にも種々の区別があるのは、今の
雲の峯は山の如く夏日の天に
すゞしさや月ひるがへすぬり団扇 祐甫
月下に涼んでいる場合であろう。灯火などは傍にないので、月光を受けた塗団扇が涼しく光る。団扇をひるがえす度に、一面に受けた月の光もひるがえるように感ずる。「月ひるがへす」という言葉は際どくもあり、多少誇張を免れぬが、或感じは慥に捉えているようである。
昔の通人は屋根船を
尤も団扇は古来月のまどかなるに
果物というものは
芥川龍之介氏の句に「漢口」という前書で「一
裸身に蚊屋の布目の月夜かな 魚日
灯火を置かぬ場合であろう。月の光が室内にさし込んで、蚊帳に寝ている人に及ぶ。裸の上に蚊帳の影が落ちて、布目がはっきり見える、というのである。
長塚節氏の『

この句と殆ど同じところを
おちくぼのさうしめでたや土用干 桃先
土用干の本の中に『落窪物語』があったというだけでは、元禄の句としても単純に過ぎるが、この句には「おちくぼのさうし、
ここに『落窪物語』の草子がある。その本は大伯母に当る妙貞という婦人が、嫁入の時に持って来たものであるという。妙貞は剃髪後の名であろうが、まだ存生であるのか、没後の話か、この句だけではよくわからない。いずれにしても大伯母である人が嫁入したのだというのだから、随分古い話である。作者は土用干の中にこの書を見出して、そういう由来を思い浮べ、今更の如く過ぎ去った歳月を考える。すべてが淡々と叙し去ってあるにかかわらず、短篇小説でも読むような連想を与えずには置かぬ。句そのものの力より、前書に現れた事実の興味によるのであろう。
嫁入道具の中に『落窪物語』があったということは、大伯母妙貞の人柄なり、生れた家柄なりを考えさせるものがある。書誌学者ならば、この時代の草子についても必ず説があることと思うが、われわれは「めでたや」の一語からその体裁を想望するだけで満足したい。
客人に水汲おとや夏の月 吾仲
水は有力な夏のもてなしの一である。客人のために水を汲ませる。身体を拭く水か、飲む水か、そこまではわからぬが、汲むのは水道でなしに井戸だから、つめたいことは
水は目に訴える場合ばかりでなく、耳に訴える場合にもまた涼味を伴う。「音」の一字はこの場合、相当重要な役目をつとめている。
子をうんで猫かろげなり衣がへ 白雪
お
「子をつれて猫も身がるし……」となっている本もあるが、これだと単に子を産んだという事実だけでなしに、その子を連れてそこらを歩いているという猫の動作が加って、句の上の景色が多少複雑になって来る。いずれにしても、そういう軽快な猫の様子と、更衣の気分とを併せて一句の趣としているのである。
山ごしの豆麩 も遅し諌鼓鳥 怒風
「豆麩」というのは豆腐のことである。腐の字は感じが悪いというので、泉鏡花氏などは「豆府」と書いていたが、古人はしばしば「豆麩」の字を用いているかと思う。
山を越した向うの里から豆腐を売りに来る。その
「ほとゝぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」とかいう天明の狂歌があった。ほととぎすに不自由しない里は毎日の生活に不自由するという概念的の歌で、一読して誰にも合点は行くようなものの、そういう里の情景は一向躍動しない
飛石の間やぼたんの花のかげ 介我
牡丹園とか何とかいう場所でなしに、普通の庭の牡丹と思われる。飛石と飛石との間の土に、牡丹の花の影がうつっている。日ざしの関係であろうが、作者はそこに興味を感じたものらしい。大きな花だけに花の影もはっきり地上にうつるのである。
「花に影」となっている本もあるが、牡丹の花に影をうつすとなると、飛石以外の何者かでなければならぬ。それは句の上に現れておらぬから、何の影か想像に困難である。「花のかげ」の方がいいと思う。
さは/\と風の夕日や末若葉 魯九
夕方の景色である。若葉の
「若葉吹風さら/\となりながら」という
明るいとか、光とかいう文字を使わないのは、昔の句の含蓄ある
沙明というのは筑前黒崎の人である。助然がこれを訪ねて別るるに当り、沙明は船まで送って来て別を惜んだ。その時示したのがこの句で、「下のかたより青鷺のこゑ」という脇を助然がつけている。
白南風というのは近年白秋氏が歌集に名づけたりしたので、比較的人の耳目に熟しているかと思うが、黒南風と並んで梅雨中の天象の一となっている。古来いろいろな解釈があるらしいけれども、梅雨に入って吹くのをクロハエ、梅雨半に吹くのをアラハエ、梅雨晴るる頃より吹く南風をシラハエという『
船まで送って来て別を惜む。
うたゝねのかほのゆがみや五月雨 釣壺
五月雨に降りこめられたつれづれにうたたねをしている人がある。ふとその顔を見ると、どういうものか歪んで見える。そこに或寂しさを感じた、というのである。
病人などでなしに、うたたねの人であるところがこの句の面白味である。少し老いた人のような気がするが、必ずしもそう限定せねばならぬというわけではない。
作者はこの場合、御簾の外にいるものと思われる。ほととぎすが啼き渡る、御簾の奥では今琴を弾きつつある、という情景である。
必ずしも平安朝の物語を連想する必要はないが、奥深い、大きな屋形であることは疑を容れぬ。琴を弾ずる人は恐らくほととぎすの声が耳に入らぬのであろう。『虞美人草』の文句にある通り、「ころりんと掻き鳴らし、またころりんと掻き乱」しつつある。
音に音を配合するのは、一句の効果を弱めるという人があるかも知れない。しかしそれは御互に
網打やとればものいふ五月闇 雪芝
舟か陸かわからぬが、とにかく
みじか夜を皆風呂敷に鼾 かな 除風
「
混雑した船の中で、ともかくも眠ろうとする。「風呂敷に」という言葉が多少不明瞭であるが、風呂敷を顔に当てて眠るか、風呂敷包を枕にするか、眠るに際して風呂敷を用いるという意味らしい。風呂敷包とすれば、やはり包の字が必要であろうから、ここは風呂敷を
現代の夜汽車の中でも、往々これに似た光景に逢著することがある。昔の船は今の汽車ほど仕切がないから、「皆」という言葉を用いるのに都合がいいように思う。
世は広し十畳釣の蚊屋の月 怒風
この上五字は今の人の気に入らぬかも知れない。しかし作者の主眼はむしろここにあるのであろう。
世の観じようはいろいろある。人間の真に所有し得る面積は、坐って半畳、寝て一畳に過ぎぬという説を聞かされたことがあったが、そういう見方からすれば、十畳釣の蚊帳も大分広いことになる。いわんやそこに月がさして、のびのびと手足を伸して寝られる以上、「左右広ければさはらず」の感あることはいうまでもない。「十畳釣の蚊屋」というような、やや説明的な材料を活かすためには、時に「世は広し」の如き主観語を必要とする場合もあるのである。
作者はこの蚊帳について月の外に何も点じておらぬが、いくら十畳釣の蚊帳だからといって、中に大勢人が寝ているのでは面白くない。
吹おろす風にたわむや蝉の声 如行
句の上に場所は現れておらぬが、先ず山がかったところと想像する。上からサーッと風が吹きおろすと、山の木が一斉に
この風は烈風とか、強風とかいう種類のものではないが、一山の木々が葉裏を見せて翻る程度の風でなければならぬ。蝉は風によって鳴声を弱めるわけではない。風声によって蝉声が減殺されるようになる。それを「たわむ」という言葉で現したのが、作者の技巧であろう。「吹落す」となっている本もあるが、「落す」では前のような光景は浮んで来ない。「吹おろす」でなければなるまいと思う。
野はづれや扇かざして立どまる 利牛
元禄七年五月、芭蕉が最後の旅行に出た時、東武の門人たちが川崎まで送って行った。芭蕉が別れるに臨んで「麦の穂をたよりにつかむわかれかな」と詠んだ、その時の
芭蕉の姿はだんだん小さくなって行く。立って行く芭蕉も、見送る門弟も、これが最後の別になろうとは思いもよらなかったに相違ない。じっと姿の見えるまでは立って目送する。今ならハンケチを振るところであろうが、元禄人にはそんな習慣がない。立止ってかざす扇の白さが目に入る。別離の情はこの一点の白に集っているような気がする。
芭蕉翁餞別という背景がなかったら、この句はそう注意を
路傍に道より低い家があって、蚊遣を焚いている。単に「道より低き」といっただけでは、概念的であることを免れぬが、軒の端が道より低いというによって、その印象が明瞭になると共に、相当低い地盤に建った家であることがわかる。例えば土手の下にある家の如く、道を行く人は到底その内を窺い得ぬ程度のものであろう。
そういう低い家から濛々たる蚊遣の煙が
この箒木は歌人がしばしば伝統的に用い、其角あたりも句中に取入れて読者を煙に巻いた「その原やふせやに
風に吹折られたか、人に踏折られたかして倒れている箒木がある。それを雀が踏むまではわかっているが、「立つ」という言葉は二様に解せられる。雀がその倒れた箒木を踏えて立ったというのか、踏んで飛立ったというのか、二つのうちであろう。踏えて立つということにすると、雀の身体も小さいし、足も細過ぎて少々工合が悪いが、飛立つ場合なら特に「ふみ立」というのが念入のようである。ここは雀も小さい代りに、箒木も大きなものではないから、倒れた箒木に雀がとまっているのを、「ふみ立」といったものと解して置く。勿論雀の性質として、そう長くじっとしているはずはない。一度踏えて立ったにしろ、やがてパッと飛立つことは明であるが、それはこの句としては余意と見るのである。
眼前の写生で、しかも相当こまかいところを捉えている。雀も箒草も平凡な材料であるにかかわらず、この観察は必ずしも平凡ではない。
川風や橋に先置 蛍籠 陽和
現代の風景とすると、蛍売が荷をおろしたような感じがするけれども、元禄の句だから、そんなこともあるまい。蛍狩に行った者が川端へ出て、夜風の涼しい中に
方々蛍を捕って歩いた挙句、橋のところへ来かかったものとすると、この籠の中には蛍の光が点々として明滅していなければならぬ。これから出かける途中ならば、まだ獲物は入っていないわけである。その辺は作者が明示していないのだから、読者の連想に任せて差支ないが、籠は蛍用のものであるにしても、全然入っていなくては寂し過ぎる。少しは蛍が入っている籠を点ずることにしたい。
くらがりに目明 てさびしなく水
万乎

ふっと目がさめた。あたりは真暗である。何時頃かわからぬが、どうも夜半らしい。今と違って時計の刻む音も何も聞えず、天地は真暗であるのみならず、極めて
その暗い、ひっそりした中に水
の声が聞えた。戸をたたくという形容を持込んで、誰かがたずねて来たかというような連想を働かす必要はない。ただ真暗な夜の中に目をさました人が、闃寂たる天地の間に水
の声を耳にしたまでである。「さびし」という言葉は、四隣闃寂たるだけでなしに、これを聞く人の心の問題でもなければならぬ。行馬の水にいなゝく夏野かな 游刀
炎天下を馬に乗って行く場合と思われる。
しかし再案するに、この馬は鞍上の人となった場合に限る必要はない。馬を曳いて共に夏野を歩みつつあるのでもよさそうである。「水にいなゝく」という言葉も、前途に水あることを馬が直覚したというほど、特別な場合と見ないで、現在水に逢著して嬉しげに嘶いたとしても差支ない。ただこの句に必要なのは、炎天に渇し夏野に喘ぐ人と馬との間の親しい心持である。路傍の人として馬を見送る態度でさえなければ、他は
夕がほにあぶせて捨る釣瓶 かな 臥高
ちょっと見ると釣瓶を捨てたようであるが、如何に物資不足の世の中でないにしろ、そうやたらに釣瓶を捨てるはずがない。釣瓶の中の水を捨てたのである。
釣瓶から水を飲むような場合であろう。汲上げた水がまだ大分釣瓶に残っている。その水を井戸のほとりの夕顔に、ざぶりと浴せて捨てたというのである。一杯の水もむだに捨てず、植木の根にやるという
ほとゝぎすなくや夜鰹はつ鰹 孟遠
ほととぎすに鰹の配合というと、必ず素堂の「目には青葉山時鳥初松魚」が持出される。あまり判で
素堂の句は視覚、聴覚、味覚を併せて、
この二句を対照して見ると、素堂の方は三つの官覚を併せているだけに、首夏の趣は十分であるが、一句から受ける印象は、感じの上にぴたりと灼きつくというよりも、事実の上でなるほどと合点するところがある。ほととぎす啼く夜の鰹は、その場所とか、背景とかいうものが一切
しかしこの句から
雨に折れて穂麦にせばき径 かな 尺艸
雨の降る日に穂麦畑に沿うた径を通る。麦の穂先が地に折れ伏しているため、径の幅が狭くなっている。その狭い径を雨にそぼ濡れながら行くというのである。
「雨に折れて」というと、雨のために穂麦が折れたもののように聞えるけれども、実際は雨中の径に穂麦の先が折れ伏している、という意味であろうと思う。穂麦に雨を点じて、こういう小景を描いているのが面白い。折れ伏した穂麦を踏むまじとして、雨に濡れながら径を行く足のうすら寒さまで、この句から窺い得るような気がする。
葉桜のうへに赤しや塔二重 唯人
印象的な句である。
葉桜の緑と、
五重塔か、三重塔かわからぬが、多分前者であろう。丹塗の塔の上二重だけが、葉桜の上に見えている。この句が平凡を脱するのは「塔二重」の一語あるためである。近代の句ならば、こういう観察も敢て珍しくないかも知れぬが、元禄期の句としては注目に値する。「塔二重」をもう少し平凡な語に置換えて見れば、その差は自ら明瞭であろう。
満目の葉桜の上に丹塗の塔が姿を現しているのを、やや遠くから望んだ景色と見ても悪くはないが、葉桜の茂った下に来て、梢に近く丹塗の塔を仰ぎ見た場合とも解することが出来る。新緑や青葉若葉でなしに、特に葉桜と限ったところを見ると、あまり遠望でない方がいいかも知れぬ。
若竹に晴たる月のしろさかな 魯九
この句には前の「葉桜」のような、こまかい観察はない。特に「晴たる」と断ったのは、今まで降っていた雨が晴れて、すがすがしい月が出たという意味であろうか。三日月や半月では、どうもこの景色に調和しない。磨きたてたような円い月でありたいように思う。
「しろさ」というのがこの句の眼目である。この一語によって、晴れたばかりの月の新しい感じ、その光の明るさも眼に浮んで来る。実感に
麦秋や弘法顔の鉢チ坊 巴龍
表を汚い
弘法大師が今も世に存在して随所に現れる、ということは一般に信ぜられていた。大師と知らずに
鉢坊主は
弘法が出たから、大師の因によって達磨を出したわけではない。全く偶然である。
五月雨の時分には、
この場合、達磨の如しとか、達磨に似たりとかいったのでは、いささか平凡になる。画にかいた達磨のような形に毛氈を被るということを、「達磨に著る」の一語で現したのは、奇にしてかつ妙である。寒夜毛布を被って机に対する経験は、われわれも持合せているが、他からこれを見る時は達磨然たるものであることを、この句によってはじめて合点した。
はつ蚊屋に網うつ真似や小盃 呂風
秋の蚊帳、蚊帳名残、蚊帳の別というような句は、今でもしばしば逢著するが、初蚊帳という句はあまり見たことがない。しかし蚊帳の別を惜む俳人が、蚊帳を釣りはじめるに当って、年々新な感興を覚えるのは当然であろう。袷の中に初袷というものを認めるならば、蚊帳の中に初蚊帳があってもいいわけである。
古人が蚊帳の釣りはじめを詠んだ句については、前にも記したことがあった。ただ「はつ蚊屋」という言葉はなかったように思う。この句は蚊帳を釣りはじめた時の、浮れたような気持を現したので、その点は前に述べた句と大差ないが、小盃という道具が加っているため、つい浮れ方の度も強くなって、網を打つ真似などもするに至るのであろう。蚊帳の布目の影や、自らその中に身を置くことなどから、自然連想が
つり初に寝て見る昼の蚊帳 かな 惟斗
この句は前の句ほど浮れたところはないように見える。しかし試に釣った
年々歳々釣る蚊帳、厭うべき蚊を防ぐ道具の蚊帳であっても、釣りはじめの際にそういう気持が起るというのは、人間の生活に何らかの変化を必要とする
今のヤマト
続飯を練ったあとの板は、
夕立の句としては
うちくらみ夕立すなり隣村 江橋
一天
自分は
「おほひえやをひえの雲のめぐり来て夕立すなり粟津野の原」という
旅泊
魚煮たる鍋あらためよ茄子汁 使帆
或人が寺で造る
この句は旅宿で出された茄子汁に、何となく腥臭のまつわっているのを感じて、これは何か魚を煮た鍋で作ったに相違ない、茄子汁の場合はやはり別の鍋を用いた方がいい、といったのであろう。
作者は熊本の助成寺の住僧だそうである。平素純粋な精進料理に慣れているため、鍋の移り香が気になったものらしい。旅宿の茄子汁を一口
近頃では夕焼というものを夏の季題にしているが、炎威が烈しいだけあって、夏の夕焼が最もめざましいように思われる。佐藤春夫氏も『田園の憂鬱』の中に、夏から秋への夕焼の推移を述べて、「空の夕焼が毎日つづいた。けれどもそれはつい二、三週間前までのような
蝙蝠は昼と夜との境目を自分の舞台として
やね葺 が我屋ね葺 や夏の月 夕兆
屋根葺は自分の職業上、昼間は他人の屋根で仕事をしなければならぬ。もし自分の家の屋根を葺こうとすれば、仕事のない時か、夜にでもやるより仕方がない。この句は夏の夜の涼み仕事に、屋根葺が自分の屋根を葺いている
夏は井戸掘より涼しきはなく、屋根葺より暑きはない。しかし夜になって涼しい月の照す下に、風に吹かれながら屋根の上で仕事をするとなれば、そう暑いことはないかも知れぬ。雨の降る心配がないのだから、今夜中に葺いてしまわなければならぬというほど、必要に迫られているわけでなしに、涼みかたがた急がぬ仕事をやっているように見える。そこがこの句の眼目であろう。
職業はどうしても暑さを伴う。また職業である限りは、暑さの故を以て回避するわけには行くまい。ただ我家の事である間、そこに自由な涼しさを領することが出来る。そういう風に考えて来ると、いささか分別臭くなる
敷つめてすゞし畳の藺 の匂 野径
新しい畳の句はすがすがしいものである。替えたばかりの畳の上に寐ころんでいると、如何なる
この句は
昼の蚊に線香さびし草の庵
村
村今だと
蚊遣というものの起原は知らぬが、
この句の線香は坐禅観法の人の座辺に立てたものかも知れぬが、
夕顔に筆耕書 の机かな 牧童
「
夕顔の花の咲いている窓先か、

この「あやめ」は
ただの簾、普通の売物であったら、さほどのこともないが、あやめ売が絵簾を分けて覗くというので、一種の情趣を生ずる。作者が女性であることも、この場合情趣を助けているように思う。宛然一幅の風俗画である、などというものの、あやめ売の風俗がよくわからないのではいささかたよりない話である。
編笠の頤 見ゆる祭かな 朱拙
祭の列にいる人でもあろう、編笠を深く
笠を被っている人の顔は、帽子などと違って何となく趣がある。「
外向に咲かたがるや卯木 垣 四睡
垣根の卯木が外向に白い花をつけて、その花のついた方に傾いている、というだけの句である。「かたがる」は傾くの意であろう。作者は内側から卯木垣を見ている場合ではないかと思われる。
卯木垣のことは知らぬが、
青梅や桑とる哥 の息やすめ 萬子
桑摘にいそしむ女たちが
野趣野情に富んだ句である。花がしばしば高士隠者に配せらるるに引きかえ、青梅は所詮仙家の食物にはならぬ。
家々の門や田植の仕舞歌 卯七
その辺の田を植えおわって、各
自分の家へ帰って来る。その門口へ来たところで、もう一度田植唄をうたうという意味らしい。「仕舞歌」というのは、特にそういう唄がきまっているのか、ただ最後にうたうというだけでこういったのか、われわれにはよくわからない。柳田国男氏の『民謡覚書』によると、「田植唄は、最近の約三、四十年が衰亡期であった。もはや復活する見込もなく、また年寄の歌の文句や節を記憶する者も、次第になくなろうとしている」ということである。田植は年々歳々繰返されても、田園を賑わす田植唄なるものは、払拭したように消え去る時が来るのかも知れない。そういう時代から過去を顧ることになったら、この句などは注目すべき一材料たるを失わぬであろう。
この句の眼目は「家々」と複数になっているところにある。夕暮近くなった田の
『民謡覚書』には、田植唄は朝と昼と夕で、それぞれうたう文句を異にする、いよいよ日が暮れてその日の田植が終る前になると、「田の神あげ」即ち
青柿や壁土こねて休み居る 旦藁
この青柿は木になっているのか、地上に落ちているのかわからぬが、そのほとりに壁土がこねかけたままになっている、という即景を詠んだのである。青柿というと、自然樹頭にあるよりも、ぽたぽた地上に落ちている様が想像される。こねかけた壁土の中などにも落ちていそうであるが、それは想像に上るまでで、文字に現れているわけではない。
ただ青柿とこねかけた壁土との間には、一種の調和がある。この調和は言葉で説明するのは困難だけれども、俳諧を解する者なら直に感じ得るはずである。上を「青柿や」といい放したまま「壁土こねて休み居る」と承けているあたり、むしろ近頃の句と相通ずる点があるかと思う。
蜘のいや蓮の巻葉のひらき時 長虹
『今昔物語』に蜂と
この句にはそんな因縁はない。ただ蜘蛛の糸が蓮の
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深爪に風のさはるや今朝の秋 木因
子供の時分爪を
「さはる」という言葉は、あまり巧な表現でもないが、この場合他に適当な言葉もなさそうに思う。そういうこまかい触感も、夏から秋への替り目だけに、特に感じやすいところがある。この
はつ秋や青葉に見ゆる風の色 巨扇
句としてはむしろ平凡な部に属するであろう。ただ秋の到るということを著しく感じ、著しく現す習慣のついている人は、この種の平凡な趣を
秋になったというものの、
寝酒のむ心や余所 のをどり歌 春艸
老情というものの窺われる句である。浮れて盆踊の列に加わる者は、必ずしも老若を問わぬかも知れぬが、夜の
この句には二個の異った世界が含まれている。寝酒を飲む老人と、その人の耳に聞えて来る踊の歌とは、
「老にけり獅子の番して酒を飲む 瓊音」という句の世界が、ちょっとこの句に似ている。老の字を句中に点じないで、自ら老情を感ぜしむるのは、春艸の句の巧なる
馬牛もしなびてかなし盆の果 如蛙
馬も牛も実際の動物でなく、
西鶴は『一代女』の終近いところで、「一生の間さま/\のたはふれせし」主人公が、無気味な幻影を見ることを描いている。即ち「蓮の葉笠を著るやうなる子供の面影、腰より下は血に染て、九十五六程も立ならび、声のあやぎれもなくおはりよ/\と泣ぬ」とあるので、『一代女』の挿画は後世の
村雨がばらばらと降って止んで、
桐苗の三葉ある内の一葉かな 知方
桐の
『猿蓑』に「三葉散りてあとは枯木や桐の苗」という凡兆の句があった。同じような材料ではあるが、これは一葉ではない。僅に三枚しかない苗木の桐の葉が皆散ってしまって、あとは坊主の枯木になっている、というのだから、季節はもう少し後になる。漱石氏が『
この句は草相撲の中の漫画的小景を捉えたので、何という名かわからぬが、根太(腫物)の出来た男があって、その方から先へ名乗った、という意味である。如何に草相撲でも、根太を以て名としたわけではあるまい。根太が印象に残ったから、「根太のある男」の略で、こういったものと思われる。
山領は法師ばかりの相撲かな 遅望
変ったところを見つけたものである。一山の荒法師どもが集って相撲を取っている。どれを見ても坊主頭ばかりだということが、
断髪令以後の民は往々にしてこういう消息を見遁す
まだ日の暮れぬうちである。梅雨の明けきらぬ新暦の七夕では、古来の情趣は殆ど失われたに近いが、「文月や六日も常の夜には似ず」といった古人の感情からいえば、七夕の日の暮れるのは、今より遥に待遠しかったであろう。新涼の気が動いているとはいうものの、昼の間はなかなか暑い。その日影がまだ残っている庭に水を打って、二星の相見るべき夜を待つのである。
七夕の句は二星に重きを置き過ぎるため、
蠅ひとつねられぬ秋の昼寐かな 松醒
この句を読むと直に「蚊ひとつにねられぬ夜半ぞ春のくれ 重五」という句を思い出す。表から見た両句は殆ど相似ているといって差支ない。しかし句の心持には多少の相違がある。
ぶんぶん唸って来る蚊一つのために眠ることが出来ぬというのは、来るべき夏の前奏曲であるが、顔に来る蠅一つをうるさがって、容易に昼寐が出来ぬというのは、去りやらぬ残暑の一情景である。両句は夏を中心にして、各
前後における人芭蕉の「ひや/\と壁をふまへて昼寐かな」は、無名庵残暑の句であるという。こういう風な句を見ると、古人が季題に拘束されず、楽々と句を作っていることがわかる。「秋の昼寐」などは言葉も雅馴であるし、そう無理に取ってつけたような感じでもない。
たばこ呑煙影ある月夜かな 素人
一見古句らしからざる内容を具えている。明るい月の下に吸う煙草の煙が、ほのかに
かつて白秋氏の『水墨集』を読んで、
月の夜の
煙草のけむり
匂のみ
紫なる。
という詩に、この人らしい煙草のけむり
匂のみ
紫なる。
一すぢの蜘蛛 のゐ白き月夜かな 独友
張り渡した蜘蛛の糸が一筋白く月に見える。糸は元来一筋だけしかないのか、一筋だけ特に目に入るのか、それはいずれでも差支ない。ただ白く見えるのは月の光によるだけでなく、露の置いた関係もありはせぬかと思われる。
「露やふる蜘蛛の巣ゆがむ軒の月」という
三味線をやめて鼻ひる月見かな 関雪
月見の座の小景である。今まで三味線を
雷雨後の夜景であろう。今まで鳴りはためいていた雷は、天の一角にある雲中におさまってしまって、晴れた空には天の川が明に見える。単に雷雨の後の天の川ならば、取立てていうほどのこともないが、雨は已に晴れて、しかも一方には雷のおさまった雲が
耳かきもつめたくなりぬ秋の風 地角
春先、電車に乗ったりすると、乗降に掴む金属の棒が、冬と違って暖くなっていることを感ずる。俳句の季題に「水
この耳掻の句は、天地の秋が人工の微物に到ることを詠んだのである。耳掻を取上げて耳を掘って見ると、夏のうちと違って冷たく感ずる。踏む足に縁の
きり/″\す秋の夜腹をさすりけり 青亜
必ずしも腹が痛いからさするのではない。長々し夜をひとり寝て、我と我腹をさすって見る。寝つかれない場合と見るか、
「きり/″\す」といって更に「秋の夜」の語を添えるのは、蛇足のようでもある。少くとも「秋」ということは不必要のように思われるが、しずかにこの句を三誦すると、「秋の夜」の一語は贅字でないのみならず、長々し夜の趣を現す上に或効果を持っていることがわかるであろう。「秋の夜腹をさすりけり」という悠揚迫らざる言葉の上に、夜長の趣を感じ得ぬとすれば、俳句に対する味覚を欠いているものと断言して差支ない。
これだけの句である。ただカチカチと打って通るのを「かたき音」と形容したのが、この句の眼目であろう。いわれて見れば何でもないようなものの、「かたき音」という一語は拍子木の感じを現し得て妙である。
秋も夜寒になる頃から、夜廻りなどが拍子木を打って歩くようになる。もしくはそういう音に耳を傾けるようになる。すぐれた句でもないが、季節はよく現れているようである。
木犀の題を課して作ったとしたら、恐らくこういう句は出来まい。夜寒の題を課したとしても同断であろう。しずかに匂う木犀の花と夜寒とがぴたりと一緒になって、
もう何年前の秋になるか、一週間ほど広島に滞在した時、雨戸を引かぬ
伐透す藪より来たる夜寒かな 釣眠
藪にあった木を何本か伐ったために、今までより大分あらわになった。その藪が家の周囲にある場合、今までよりも夜寒を強く感ずるというのは、さもあるべき事実である。髪を短く刈った時の感じに
この句の主眼は「伐透す」の五字にある。「藪より来たる」の語は少し強過ぎて――如何に藪があらわになったにしろ、何だか工合が悪い。「伐透す藪」の夜寒をしみじみと感ずるが故に、「より来たる」の語によって、この句を棄てたくないまでである。
澄切て鳶 舞ふ空や秋うらゝ 正己
秋晴の天を詠じたのである。春の空は「うららか」秋の空を「さやか」という風に限るのは歳時記に捉われ過ぎた見解で、芭蕉にも「我ために日はうらゝなり冬の空」という句があったと思う。自然を重んじた元禄の俳人は、晴れ渡った秋晴の天にも、しずかに
秋天の鳶はいずれかといえば平凡な景物であろう。鳶を主としないで、澄みきった秋天のうららかな趣を捉えたところに、この句の特色はある。
秋になって鹿の音を聞くなどということは、現代のわれわれにはあまり縁のない話になってしまった。芭蕉が「ぴいとなく尻声かなし」と詠んだ「奈良の鹿」は、今日でも聞くことが出来るが、古人は更に山野に棲息する鹿の声を聞こうとしたものらしい。蕪村も「ある山寺へ鹿聞きにまかりけるに茶を汲む
半残のこの句は蕪村のような前書がないので、そういう点は十分にわからぬけれども、やはり「鹿聞き」の句であることは疑うべくもない。焼米を菓子として食いながら鹿の声を聞いた――もしくは一晩中鳴くのを待っていた、というのである。焼米を菓子にするということが、
干綿に落て音なきじゆくしかな 暮谷
自ら枝を離れた熟柿が、綿を干した上に落ちる。柿が堅いか、下のものが堅いかすれば、音がするわけだけれども、柿も熟しており、下が柔い綿なので、何の音もしなかった、というのである。
ちょっと変った場合を見つけたところに面白味がある。綿を沢山積んで置いて、その上へ高いところから飛下りたら怪我をせずに済むだろうか、というようなことを考えた少年時代を思い出す。
鰯ほす有磯 につゞく早稲田かな 句空
磯に続く此方は、一面の
芭蕉の「早稲の香や分け入る右は有磯海」という句は、海に近い稲田の比較的大きい景色と、その間をとぼとぼと行く芭蕉の旅姿を連想せしめるが、句空は「鰯ほす」の一語によって、その磯の様子を強く描き出している。北国作家の一人だから、舞台は無論同じところである。
何をする家とも見えず壁に蔦 其由
壁に蔦などを
張声や籠のうづらの力足 山店
籠に飼われた
由来俳人はこの種の観察を得意とする。鶯の鳴く場合の描写がいろいろあることは已に記した。但この種の観察は、自然に活動する山禽野鳥の上には下しにくいので、画家の写生と同じく、籠中のそれを便宜とするわけであろう。この句も「籠の鶉」であることを、ちゃんと断っている。
竹伐 て日のさす寺や初紅葉 吾仲
句意は隠れたところもない。竹を伐った明るい感じ、日のあたる寺、あたりの紅葉し初めた木々、というようなものは、そのまま一幅の画図である。
「肌さむし竹切山のうす紅葉 凡兆」という句は、竹を伐ることに紅葉を配した点で、やや似たような趣を具えているが、凡兆の句が
秋の日や釣する人の罔両 雲水
「罔両」は「カゲボウシ」とよむのであろう。秋天の下に釣する人の影法師を描いただけの句で、今の人から見たら大まかに過ぎるかも知れない。しかし
煙草の花は美しいものである。妹の垣根に煙草が高く
煙草が官営になってから、もう四十年近くになるであろうか。煙草の製品が専売局以外にないのみならず、植えられた煙草の葉一枚といえども、いやしくも出来ないことになってしまった。何かの煙草の中に種子がまじっていたのを
秋寒し起て詠ル我まくら 諷竹
「詠ル」は「ナガムル」とよむのである。自分の枕を眺むる態度は、やがて自己を客観する態度とも解せられる。
年々のもたれ柱や星迎 白雪
「
麻の葉の露や夜明の星祭 八菊
「夜明の星祭」は夜明になって星祭をするというのではない、「星祭の夜明」と見たらよかろうと思う。「星別れむとする
麻の葉と星祭とは直接の関係がない。作者はあの青い
田へかゝる風のにほひや天の川 河菱
「田へかゝる」というのは、多分田にさしかかる意味であろう。道が
漱石氏の『夢十夜』の中に、盲目の子供を負って闇夜を歩く話がある。背中の子が「田圃へ掛かったね」というので、「どうして解る」と聞くと、「だって鷺が鳴くじゃないか」と答える、果して鷺が二声ほど鳴いた、と書いてある。この場合の鷺の声は一脈の妖気を
いなづまにはつと消たる行燈かな 窓竹
理窟をいえば稲妻と
行燈の消えたのは油が尽きたためか、風でも吹いて来たためか、それはいずれでも差支ない。窓を射る稲妻と、ぱっと消える行燈とが同時でありさえすればいいのである。
接待や欠 がちなる昼さがり 畏計
摂待というのは「仏寺あるいは
この句は摂待する側の人を描いたものである。仏寺であるか、街衢であるか、それはわからぬ。通行の人は次から次へと来て、茶に
いわし寄る波の赤さや海の月 桃首
魚の
「鰊群来」という言葉が
引網の魚えり分くる月夜かな 川鳥
「寄月漁父」という前書がある。題によって想を構えたものであろう。その点前の句とは多少の
尤もこれは構え得べき想ではあるが、全然実感を伴わぬわけではない。引寄せた網の中から獲物を選り分ける。銀鱗溌剌として月光に躍る有様は、決して悪いことはない。ただ全体から見ていささか平凡なのである。月下の漁父についてこれだけの景色を描き出すことは、比較的容易な
湖に行水 すつる月夜かな 西与
「大津止泊の
行水を捨てる句として最も
「なきやまん」と想像語にする事歌よみの常ながら極めて悪し。箇様 なる想像を風流と思ひ居れども、こはえせ風流にして却て俗気を生ずるのみ。庭を歩行 いて虫が鳴きやみたりとてそれが不風流になる訳もあるまじ。寧ろ想像をやめて、実地に虫の鳴きやめたる様を詠む方実景上感を強からしむるに足らんか。……古歌の「渡らば錦 中や絶えなん」といふも悪し。それよりも、渡りて錦の絶えたる方面白きなり。
と泊雲氏の「暗き湖に何洗ふ音や行水す」などという句は、同じく湖畔の行水を題材としたものである。但大正年代だけに捉え所がこまかくもなり、複雑にもなっている。
名月や葛屋の軒 のたりさがり 東夷
「
「明月の御覧の通り屑家かな」という一茶の句は、茅屋より更に進んで「けちな家」という
「明月や池をめぐりて夜もすがら」とは芭蕉が明月の吟なれども、一茶は同じ明月にも、「明月や江戸のやつらが何知つて」と、気を吐かざるを得ざりしにあらずや。
といったことがあるが、必ずしも芭蕉との比較において然るのみではない。茅屋に坐して名月を望むという狭い天地において、有名ならざる東夷の作と比較しても、その差はかくの如く甚しいのである。芥川氏は元禄人と一茶との差異を以て人生観の差異に帰し「元禄びとの人生は、自然に対する人生なり。一茶の人生は現世なり。今人の所謂『生活』なり。一茶を元禄びとと異らしむるは、この一点にありと云ふも誇張ならず」と断じたが、この解釈はここにも名月や何に驚く雉 の声 示右
句意は改めて説くまでもない、極めて明瞭である。名月の光の下に、突如として鋭い
月の光にうかれて鳴く
の声にしても格別のことはない。雉子の声は鋭いと同時に、どことなく尋常ならざるものがある。雉子をつむ本の木口 ぞ古き秋の暮 旦藁
「木口」と書いてあるけれども、これは「小口」の意であろうと思う。座右に積んだ本の小口が
書冊を詠じた句の少からぬ中にあって、書物の小口に注目したものは、この句の外に「待春や机にそろふ書の小口 浪化」しか今記憶にない。きちんと揃えた書の小口に春を待つよろこびを感じ、積み重ねた書の小口の古びに秋の暮の寂しみを感ずる。いずれも俳諧の微妙な観察であるが、平日書物に親しむ者でなければ、容易にこの種の趣は捉え得ぬであろう。但この両句を比較すると、趣においては浪化の方がまさっているかと思われる。
猫の子もそだちかねてや朝寒し 元灌
春から夏へかけて生れた猫の子は、
この句の眼目は「そだちかねてや」の一語にある。子猫は死んでいるわけではない、何だか育ちそうもない状態なので、「そだちかねてや」と断定しきらぬところに、余情もあれば哀もあるように思う。そこがまた朝寒という時候に調和を得ているのである。
鵙の声は
ひとつふたつ星のひかりや秋の暮 稚志
しずかな、風もない秋の夕暮であろうと思う。暮れむとして未だ暮れきらぬ空の中に、一つ二つ星の光が見えて来る。かくして
この句を読むと、どうしても「夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色漸く到り、林影漸く遠し」という『武蔵野』の一節を想い出さざるを得ない。「星光一点、暮色漸く到り、林影漸く遠し」というほど、徐に暮れ行く秋野の天を、簡潔にしかも生々と描き得た文章は稀であろう。この稚志の句は武蔵野の如き平野の光景であるかどうか、それはわからないが、
秋の暮には由来伝統的な観念が
しら菊をのぞけば露のひかりかな 春曙
白菊の大きな花――であろう――を
花の露というような句は、いずれかといえば美しい空想の下に詠まれたものが多い。この句はそういう類ではなさそうである。作者は白い菊の花と、それに置いた露の光の外、何も描いていない。読者もそれだけを眼前に
暮がたや次第/\にしろき菊 薄芝
幸田露伴博士の「心のあと」という長詩の中に「夜に入ってたゞ鶴白く、桃李隠れて梅残る」という句があった。これは「人やゝ老いて神を知り、世念失せて詩を思ふ」という句の前提として置かれたものだから、単なる叙景の句ではない。白い色のはっきり見える点からいえば、やはり日光の下が一番なのであるが、周囲がだんだん薄暗くなって、外の色彩が次第に力を失うに及び、白い色が最後まで残っている。「次第/\にしろき菊」はその感じを捉えたので、菊が白くなるのではない、夕闇が次第に濃くなったのである。
鳴雪翁に「灯ともせばたゞ白菊の白かりし」という句がある。闇中に灯を点じて、ただ白菊の白きを見る方が印象も
垣ごしや菊より出て長咄 し 旦藁
俳画的小景である。垣根の向うに菊が作ってあって、そこに菊作りの主がいる。菊の中から現れたその人と、思わずそこで長咄をした、という意味らしい。
「菊より出て」という言葉は、見方によって二様に解せられる。「畠より出で来る菊の主かな」の句のように、菊の咲いている中から出て来て話をした、という風にも見えるが、「春寒や砂より出でし松の幹」のように見ると、満開の菊の中からぬっと姿を現した、というようにもなる。垣越の人とはいずれ前から
「畠より出で来る」式な解釈にすると、それから垣根のところへ歩み寄って、長咄に移る段取になるのであるが、作者は「菊より出て」といったのみで、長咄をする人間の何者であるかを明にしないのだから、これ以上は各自の想像に任すより外はあるまい。われわれはやはり菊の中からぬっと現れて話す俳画的小景に心を
稲づまや昼寐のまゝの蚊帳 の外 二方
昼寐の時に釣らせた蚊帳がそのままになっている。昼寐の人は一度起きて外へ出たのか、そのままぐっすり寝込んで夜に入ったのか、そこはわからぬ。もし一度起きたにしても、この場合はまたその蚊帳に入っているのである。そういう蚊帳の外に稲妻が
稲妻は秋の季になっているが、夏にもないことはない。蚊帳も昼寐も夏のものである。秋と夏との風物が交錯する初秋の空気がよく現れている。勿論雷を恐れて蚊帳に入っているわけではない。
大かたは踊おぼえぬふた廻り 一荘
はじめて踊に加った場合らしい。
踊の句には局外から見たものが多い。「一廻り待つ人おそき踊かな 尚白」などという句は第三者として踊の輪の廻るのを見る一例であるが、一荘の句は自ら踊の輪の中にあって、二廻りも廻っているところに特色がある。二廻り廻ってやっと踊をおぼえるあたりは、さすがに元禄人らしく、悠々たる趣があっていい。
秋風や葛屋はなれてひさご蔓 英之
葛屋のことは前に書いた。
必ずしも秋風のために吹き離れたものと解釈しなくても差支ない。葛屋も、それに絡んだ瓢も、その蔓の末も、
日ぐらしの声に沓 はく鞠場 かな 一琴
暑い
朝顔よ一番馬の鈴の音 北空
今の電車にしろ、バスにしろ、始発と終発の時間は大体きまっているから、昔の馬にもそういう定めがあったものと思われる。其角の「それよりして夜明烏や
朝顔の花が咲いている。しずかにその花に対していると、一番馬の通る鈴が聞えて来る。「駅路の朝顔」とでもいうべき題材である。明方の爽涼の気と、朝顔の花と、高い鈴の音と
稲づまや扇ひろげてたゝむ間 千甫
扇をひろげてたたむ、その短い間にさっと稲妻がさす。ひろげた扇をパチリとたたむ。その感じと稲妻の走る光とが句の上で一になっている。
配合の句といえばそれまでであるが、いわゆる配合以上に或感じを捉え得ているように思う。
乗かけの荷をしめ直す野分かな 冬稚
「乗かけ」というのは乗掛馬のこと、
そういう支度で出かけたが、あまり
昔の旅の心細さというものは、今日からは十分に想像出来ない。馬背に
溜り江や野分のあとの赤とんぼう 従吾
「溜り江」という言葉はいささか耳慣れぬようであるが、水のあまり動かぬ、じっと
この「溜り江」なる水はそう深くもないし、かつ清澄なものとも思われぬ。
谷中は私 風に鳴子 かな ウ白
「
已に私雨という言葉が通用する以上、私風もあって差支なさそうである。外は風が吹くとも見えぬのに、ここの谷間だけ風が吹いて、谷田の鳴子がガラガラ鳴る。「私風」という言葉には、妖気というほどではないけれども、多少怪しい感じが伴っているような気がする。
私雨という言葉から出発して、新に私風という言葉を造ったのか、地方的にこういう言葉があったものか、その辺の
月うすし河獺 や取ル鮭の魚 蘆錆
獺が魚を取るのに不思議はないといえばそれまでのようであるが、この句は
月代は「月白」と書いたものもある。月のまさに出でむとするに当って、東の空が先ず薄明るくなる、それをいうのである。中七字は「煮えしまいたる」と読むのであろう。
秋の夜長に馬にやるべき豆を煮る。ぐつぐついい工合に煮えた頃、ほのかに東に月代が上って来た。やや遅い月の
そよ風に早稲 の香うれしかゝり船 松雨
平野の中を流るる
芭蕉葉を尺取 むしの歩みかな 末路
広い芭蕉の葉の上を、小さな
再版の『
名月や背戸 から客の二三人 枝動
名月の晩に背戸から客が二、三人来た、というだけである。特に「背戸から」という以上、背戸以外から来た客もあることになるかも知れぬが、この句はそれには拘泥しない。ただ「背戸から客の二三人」とのみいい放っている。
子規居士が『俳句問答』で、俳句と理窟とについて弁じた時、「名月や裏門からも人の来る」という句を例に引いて、「も」の字を難じたことがある。「裏門からも」という裏には「表門からも」ということが含まれている、そこに知識乃至理窟の働きがある、単に「名月の夜人の裏門より来る」という一場の光景を詠むべきである、というのである。「背戸から」の句は偶然その一方のみを叙した実例になっている。
蓮の葉のいよ/\青し花の跡 柳燕
こういう句は季題に拘泥して分類すると妙なことになる。蓮というものは夏になっており、花という文字も使ってあるから、さし当り夏の部に入れて置くのが便宜のようでもある。しかし『
花は咲かなくなったが、蓮の葉は依然青い色をしている。秋だからといって直に葉の衰というところに考え及ぼすのは、自然に参せぬ、概念の産物である。実際蓮の葉は秋になって
蓮の実とか、
縁に出て手をうつ柿の烏かな 宜律
句意は別に解するまでもない。縁に出て手を打って、柿に来る烏を追ったというのである。これを上から真直に読下して、柿の烏が縁側で手を打つように考える人は、少くとも俳諧国の民にはあるまいと思う。
柿に烏は相当あり触れた題材である。柿の烏を追うという趣向も少くない。「柿を守る
干稲の間もなく暮る日影かな 盛弘
干稲に日が当っている。もう間もなく暮れる心細い日影である。干稲の日影もむしろ平凡な趣向であるが、「間もなく暮る」の一語によって、その光景を明瞭ならしめている。
ひよろ/\と蜂や水のむ秋の暮 歳人
秋の暮は普通秋の夕のことになっているが、これは夕方の景色とすると、少しそぐわぬような気がする。暮秋の
蜂の水をのむところを見つけた句は、太祇に「腹立てゝ水のむ蜂や手水鉢」というのがある。太祇一流の働いた句ではあるが、やや句格の低い点は
起もせず手の筋みるや秋の暮 長久
この句は秋の夕暮で差支ない。ごろりと寐転んだまま自分の手の筋を見る。考え事があるようでもある。悲観しているようでもある。
春の暮でもいいような気もするが、何度も読返していると、やはり秋の暮にふさわしい。ひとり寐転んで掌を見る男の寂しさが、ひしひしと身に迫るように思われる。
述懐
手のしはを撫 居る秋の日なたかな 萬子
という句も目についた。こういう自己の身体を見守るような心持、いとおしむような心持は、秋に起ることが多いようである。少し理窟を附加えれば、人生の秋に遭遇した者の経験しやすい心持なのかも知れぬ。必ずしもいい句というわけでもないが、心持の上に共通する点があるかと思うので、ついでに挙げて置くことにする。
秋たつやきのふの雨を今朝の露 従吾
句としてはむしろ陳腐であろう。古い歌の中にもこんな意味のものがあったかも知れない。ただ何となく棄てがたいような感じがするのは、この句のもとになっている爽涼の気のためであろう。
昨夜雨が降った。あるいは夜と限らずに、昨日一日降った雨でも差支ない。その雨の名残が草葉の露となっている。こういうありふれた光景も、「秋立つ」という自然の推移の上に立って見ると、今までと違った感じを与える。雨の名残の露というものにさえ、秋立つ前と後とでは感じの相違があるのである。この句を
それが
八日の朝
星達の契 のすゑや木々の露 白良
という句になると、句の内容に大差はなくても、作者の心持は大分違って来る。木々の葉にしとどに置く露を、
星合や蚊屋一張に五人寝ル 里倫
即事を句にしたものであろう。年に一度星の契るという七夕の夜を、一張の蚊帳の中に五人一緒に寝た、というのである。芭蕉も『嵯峨日記』の中に、一張の蚊帳に五人で寝たら、どうしても眠れないので、夜半過から皆起出して話したことを記し、「
七夕の夜の即事という以外、格別七夕に関連したところはないが、こうして一句になったのを見ると、七夕なるが故にまた一種の味を生ずる。単に五人一張の蚊帳に寝るという事実も、七夕に配されることによって、別様の趣が発揮されるかと思う。表面離れたようで、内面に通うものがある。俳諧得意のところであろう。
こういう心持は古今を通じて変りはあるまい。
迎火の消えて人来るけはひかな 子規
風が吹く仏来給ふけはひあり 虚子
子規居士のは必ずしも仏でなしに、迎火の消えた闇の門を、向うから人の来るけはいがする、という意味かも知れぬ。しかしそういう普通の人の来るけはいさえ、この場合は或幽遠な世界に触れるのである。『鳴雪俳句集』などには出ていないが、鳴雪翁にも「迎火に魂や来る道の鴫飛んで」という句があるよしを、何かで見たおぼえがある。桃妖の句は技巧的にいえば、この中で一番劣るであろう。ただどこか
初秋や居所かゆるかたつぶり 史興
蝸牛の存在は梅雨頃を全盛期として、
「居所かゆる」というのは、今まで
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」という。見えざる秋の現れは、ひとり風の音のみには限らない。殻を負うた漂泊者蝸牛先生も、何者かをその身に感じて居を移す。そこに目をとめたのがこの句の眼目であり、俳諧らしい興味でもある。
きり/″\す扇をあけてたゝむ音 和丈
このきりぎりすは
草刈のまだ夜はふかき月夜かな 長之
草刈という季題は、近頃は夏に定められたかと思うが、必ずしもそう限定する必要はない。この句は秋の草刈である。
まだ夜の明けぬうちに草刈に出る。天地は
「まだ夜は明けぬ」というのと「まだ夜はふかき」というのと、実際の時間からいえば大差ないかも知れぬが、受取る感じには非常な相違がある。「まだ夜はふかき」の一語によって、はじめて闃寂たる空気に触れ得るような気がする。
名月や壁に酒のむ影法師 半綾
読んで字の如し。月を
散文に書き直せば、鬼灯が草の間にふと赤く見えた、という意味である。草むらの中に赤く色づいていた鬼灯がふと目に入った。今までは青いために目につかなかったのだ、と解釈しなくてもいい。何かに隠れていた鬼灯が、ひょっと目に入ったのだ、という風に説明する必要もないかも知れぬ。草の間にたまたま赤い鬼灯を見た、という瞬間の印象を「ふと赤し」の一語に
あはれさや日の照山にしかのこゑ 万乎
鹿の声というものは、とかく夜の連想を伴いやすい。それは山野に棲息する彼らの行動が、どうしても夜間を便宜とするからであろう。奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声なるものは、現在のわれわれには縁の遠いものであるが、ただ鹿の声を詠じた句を見ると、自然夜の趣が心に浮んで来る。
この句は白日の下の鹿の声を捉えた。前山に秋の日がかんかん当っていて、そこから鹿の声が聞えて来るとすれば、最もわかりいいわけだけれども、必ずしもそう限定する必要はない。作者自身も山中にあって、明るい秋の日の下を歩きつつある。そういう場合にどこかで鹿の鳴く声を聞いた、と解してもよさそうである。
夜鳴く鹿のあわれさは古来幾多の人がこれを捉えている。万乎は日の照る山に鳴く鹿を聞き、そこに別箇のあわれさを認めたのである。
だき起す雨の薄 のみだれかな 苔蘇
庭中の薄であろうかと思う。降り続く雨に穂先が乱れて
「だき起す」という言葉は人に対するもののようであるが、この場合少しも厭味を伴わず、かえって薄に対する或親しみが現れている。のみならず「だき起す」という動作によって、その一叢の薄の様子から、雨を帯びた重みまでが身に感ぜられる。薄の句としては特色あるものたるを失わぬ。
露ぬれて鳴子 の縄や一たぐり 陽和
朝早く鳴子の縄を引くと、夜の間に置いた露のためにしとどに濡れている。そういう鳴子を一手繰り引いた、というだけのことである。
鳴子という題を頭に置いて考えると、秋天の下に
この句の眼目は「露ぬれて」の一語にある。これあるによって現在鳴子の縄を手にする場合の実感が、
朝顔や箒 立たる枳殻垣 釣壺
この「立たる」という言葉は、立てかけるという意味であろう。朝の庭を掃いた箒を、そのまま
花が朝顔であるために、時間は自ら明瞭になるが、今その辺を掃いた箒でなしに、昨日あたり使った箒がそのまま枳殻垣に立てかけてあるものとしても差支ない。俳句のような短詩形にあっては、そういう時間の関係は現すことも困難であるし、またそれほど拘泥すべき問題とも思われぬ。
名月や肌は落著くひとへ衣 助然
中秋名月は年によって遅速がある。従って昼のほてりのまださめやらぬような陽気の年もあれば、
名月の光、その夜の風物というようなものよりも、季節の感じが主になっている。月をのみ追駈ける者は、往々にしてその影を失する。月を離れたところにこういう世界を見出すのは、俳人得意のところであろう。
新暦が歳時記を支配するようになってから、人事としての
この句は勿論七夕の夜の天の川である。「今宵の」の一語は「月今宵」などの「今宵」と同じく、
年に一度の七夕の夜を描きながら、むしろ離れた趣を持出している。「今宵の」ということが、この場合離れたものを繋ぐ役に立っているような気もする。
露深し今一重つゝむ握り飯 蘆文
「旅行」という前書がある。
露の深さ、草の深さに行きなずむというようなことは、句中にしばしば見る趣であるが、ただ
又さけるいばら薔薇も後の月 荊口
返り花という季題は冬の部になっている。小春の温暖な気候に時ならぬ花を咲かせることを指すのであるが、実際の返り花は小春を
秋もやや深くなった十三夜の頃に、茨、薔薇の枝頭にまた花の咲いているのを発見した、その驚きに似たものを描いたのであろう。地上の花の漸く少からむとする時分になって思いがけず月下に匂う花を見たというのは、ちょっと変った趣である。茨、薔薇の返り花が珍しいだけではない、後の月の句としても
衣うつ所へ旅のもどりかな 旦藁
この旅から戻る人物は、どういう種類の者かわからぬ。突然戻って来たのか、あるいは帰るべき日に帰って来たのか、それもわからぬ。わかるのは女房が砧盤を出して衣を
子規居士の「百中十首」の中に「七年の旅より帰るわが宿に妹が声して衣打つなり」という歌がある。この句から脱化したものかどうかわからぬが、境地は全く同じである。ただ旦藁は衣を持つ者の側より見、子規居士は旅より帰る者の側より見ているだけの相違に過ぎぬ。「七年の」の歌は固より想像の産物であるが、旦藁の句は一概にそう断ずることも出来ない。極めて手軽く叙し去っているところに、かえって実感らしいものが含まれている。
たばこ切隣合せやくつはむし 素覧
煙草を
茶ちりめん借て著て見る夜寒かな 秋之坊
泊客などであろうか、やや夜寒を感ずるというままに、主人の著物でも出して著せる。その著物が茶縮緬なのである。一句の表だけ見ると、茶縮緬の著物を所望して借りたようであるが、そうではあるまい。夜寒を
「借具足我になじまぬ寒さかな」という蕪村の句は、趣向としても奇抜であり、調子もこの句より引緊っている。秋之坊の句はさのみすぐれたものではなく、元禄の句としては多少の
笹葉たくあとやいろりの蛩 夕兆
この「蛩」は勿論今のコオロギである。例の「きり/″\すなくや霜夜のさむしろに」の歌が
秋とすれば大分末の方、冬とすればまだ浅い頃である。囲炉裏に笹の葉を焚いて、あたりが暖くなったためか、
笹の葉を焚くというような趣向は、実際でなければ思いつくものではない。「もの焚きしあとや」とでも置替えて見れば、容易に自然の妙を感ずることが出来る。
すか/\と西瓜切也龝 のかぜ 陽和
西瓜というものは季題の上では秋になっている。瓜が夏で西瓜が秋というのは、藤が春で
西瓜の青い肌に
「すか/\」という言葉は、その
この句は明に「龝の風」と断っているから、新涼の度が
畑々や豆葉のちゞむ秋日和 卓袋
柳田国男氏の『豆の葉と太陽』という本を近刊予告で見た時、どういう意味の標題か、見当がつかなかったが、その内容を一読するに及んで、奥州の大豆畠における日光の美しさを説いた文章が、巻頭に置かれてあるための名であることがわかった。今日の風景鑑賞家なるものが、妙に農作物の色調に無関心であることは、柳田氏の説の通りであろう。もしこの間の消息を解する者があるとすれば、それは俳人の畠でなければならぬと思ったら、果してこういう句のあるのに気がついた。
この句は柳田氏が説かれたように、豆の葉の美しさを明瞭に描いてはいない。ただこれを読むと、一面の豆畠に強い秋の日が照っている、明るい光景が展開する。豆の葉はもう黄ばんでちぢんでいる。その色調を現さぬのは、俳人がそういう感覚に無頓著なのではなくて、「ちゞむ」の語に豆の葉の已に黄ばんでいることを含ませたものと見るべきであろう。
豆の葉などというものは、平安朝以来の伝統に立つ歌よみの顧るべき材料ではない。殊にそれが少し黄ばんで、ちぢれ気味になりながら、秋天の下に
朝顔の
芥川龍之介氏の「閑庭」と題した歌に「秋ふくる昼ほのぼのと朝顔は花ひらきたりなよ竹のうらに」というのがあった。これは末方になった朝顔が昼まで咲いている景色で、趣はいささか異るけれども、朝顔が細い竹にからんで行って、高いところに花をつけている様子はよく現れている。手入などをあまりせぬ、蔓の
稲妻や壁に書きたる大坊主 羽笠
稲妻がぱっと壁を照すと、その壁に画いた大坊主の顔が浮んで見える、と思う間にまたもとの闇に
この句を読むと、一茶の「秋風や壁のヘマムシヨ入道」を思い出す。ヘマムショ入道はヘヘノノモヘジのことである。似たようで違い、違ったようで似ているところに、この両句の独立性はあるのであろう。
残る蚊に袷 著てよる夜さむかな 雪芝
残る蚊と、秋の袷と、夜寒と三つの材料から成立っている。しかしそのために五目飯や
漸く夜寒を感ずる頃である。何かの集りがあって、来た人が皆袷を著ている。が、その座には秋の蚊が
「袷著てよる」の「よる」という言葉は、見方によっていろいろに解されるが、しばらく右のように解して置いた。人の集りといったところで、そう大勢の会合ではあるまい。ただ袷を著ているというだけでなしに、「よる」の一語があるため、一句をちょっと複雑なものにしている。平淡なようで手の込んだ句である。
うら道の露の深さや猫の腹 夕兆
この裏道は草などの
眼前の光景を現したような「うら道の露の深さや」という言葉が、想像の上に立っているところに、この句の特色がある。猫の毛は一体に他の獣に比して水をはじく力が乏しいから、露の草むらなどを歩けばぐっしょり濡れてしまう。裏道の露の深さは、この猫の腹の濡れ工合によって想像されるのである。「露の深さ」と猫の腹との間に、想像的意味が含まれているものと見れば、必ずしも無理な表現とも思われぬ。
軒端に瓢箪がぶらりと下っている、やや傾いた秋の
「日あし」という言葉に限定された時間はないわけだから、こういっただけでは傾いた日脚かどうかわからぬようなものの、軒に下った瓢箪にさす日脚とすれば、外の時間では工合が悪い。西へ廻った秋の日脚で、明るい中に漸く日の詰ったことを思わせる光線が眼に浮んで来る。当然そう解して差支ないように思われる。
外屋敷や野分 に残る柿の蔕 野童
「外屋敷」はトヤシキと読むのかと思うが、よくわからない。「野分に残る」という言葉から考えると、野分の直後のようだけれども、実際はもう少し時間の距離があるので、野分に吹落された柿の蔕が
篠深く梢は柿の蔕さびし 野水
三線からむ不破の関人 重五
という
子供の時分、父が柿の木を二本買って植えたことがあった。一本の
俳諧の要諦はこの「嵐」の呼吸にある、といっただけでは、未だ意を悉さぬ嫌があるかも知れぬが、この嵐の如きものがあって、
はつ秋や小袖 だんすの銀の鎰 巴水
「鎰」というのはカギのことである。普通の鍵とどう違うかわからぬが、その辺は専門家に一任してよかろうと思う。第一この句では鍵がどうなっているのか、それからして明瞭でない。
「小袖だんす」というものを句の中に持出した以上、腰にぶら下げたりしているのでないことは慥だけれども、今少し立入って、この場合鍵がどうなっているかという段になると、さっぱり見当がつかぬのである。
この句の生命は「銀」の一字にある。もしこの句から銀の字を除いたならば、卒然として価値の半を失うに相違ない。鍵は銀光を放つことによって初秋と調和し、それが一句の中心をなしているように思う。仮にこの句から鍵の音を連想する人があるにしても、その音は銀光の範囲に属するものでなければならぬ。
蚊屋しまふ夜や銀屏 のさびのよき 酔竹
蚊帳を釣らぬようになって、何となくぱっとした灯影が座辺を照す。そこに立てた
支考は芭蕉の「金屏の松のふるびや冬籠」の句について、「金屏は暖かに銀屏は涼し」といい、「六月の炎天に金屏をたてんに、人の顔かゞやきてよからず、さる坐敷は道具知らぬ人に落ちぬべし、されば金銀屏の涼暖を今の人の見付けたるにはあらず、そも天地より成せる本情なり」と論じた。それほど面倒なことをいわなくてもいいが、前の句といい、この句といい、初秋の季節に銀色を配したのは頗る感覚的である。銀の鍵は
秋の心を捉えている。「銀の鎰」の方は時間を明にせぬが、やはり夜の燈下がふさわしいような気がする。つくろわぬ庭などの様であろう。朝顔の花が咲いているほとりに桃の木があって、已に色づいた下葉をはらはらと落す、という光景である。朝顔と桃とは近くにあるというだけで、格別深い交渉があるわけではない。季題は勿論朝顔にあるけれども、朝顔の咲く時に当って桃の下葉が散りはじめるという、交錯した事実を描いたために、子規居士のいわゆる二箇中心の句のような趣になっている。
「あさましき桃の落葉よ菊畠」という蕪村の句は、菊畠に溜る桃の落葉を
雲高き野分 の跡の入日かな 空能
野分がやみ方になって、一しきり赤い夕日が西の空を染める。その赤い入日の空を、野分の名残の風に乗って、
「野分の跡の入日」だけでは格別のこともないが、「雲高き」の一語を点じたため、濶然たる秋の夕空が直に眼に浮んで来るような気がする。
一疋の狐が何者かに化けるつもりで、先刻からいろいろ工夫しているが、未熟なせいか、あまり風が強過ぎるせいか、とうとううまく化けられないで、野分の中を向うへ飛んで行った、というようなところであろうか。句には現れていないが、夕方らしい情景である。
日本の文学にはしばしば未熟の狐とか、
狐は蕪村に至って大に独得の趣味が発揮された観があるが、この句はその
はれきるや光に曇る月の影 旦藁
晴れ渡った、
秋の夜の月の
めいげつや客をむかひに里離れ 探志
あまり月がいいので、急に人を呼んで酒でも飲もうと思い立って、ぶらぶら月下の道を里離れたあたりまで歩いて行った、という風にも解せられる。
名月のことだから、かねて人を会する約があったが、漫然家にあって待つに
客の性質や客との関係は、そう
何かの合図に貝を吹くということは、現代のわれわれには殆ど没交渉である。
この句の貝は時刻を報ずるものらしく思われる。食事の合図かどうかわからぬが、午になって貝を吹き鳴らす。その音が遠く
三井の秋は日本画の題材になりそうな舞台である。しかし湖を画き、雲を画き、寺を画き得ても、そこに「午の貝おくる木玉」を添えることは、
轡虫は秋鳴く虫の中でも最も景気のいい、哀感に乏しいもののような気がするが、この句は妙にうら寂しい情景を持出した。
神前か、仏前か、今まで上げてあった御明がふっと消えて、あたりは暗くなった。と同時に
御明が消えて、俄に夜寒を感ずる、という風に限定して解釈しないでも、寂然たる夜寒の屋内に、今までついていた一点の灯が消えた、と見てもいいのであるが、この句の表現には或動きがあるので、その動きに基いて前のように説いたのである。いずれにしても句の世界に大した変りがあるわけではない。
轡虫の声も最初のうちは四隣を悩ますだけの威力を具えているが、秋が深くなるにつれて、かすれたような声に変って来る。この轡虫もいささか声の衰えた場合、従って夜寒も身に
「友待顔」という言葉から考えると、この雁は一羽のように見える。首を捻上げるようにして友を待つという以上、これは飛んでいる雁ではない。水の上か、
詩歌に取入れられた雁の多くは空を飛んでいるか、あるいは雁声を耳にするかで、雁そのものの姿に及んだものはあまり見当らない。俳諧には往々雁の姿を捉えたものがあるが、それにしても捻上げた雁の首などは、異色あるものたるを失わぬ。「月の出や皆首立てゝ小田の雁」という子規居士の句は、この句に比べると絵画的であり、趣向も複雑になっている。諷竹の句の興味は雁の形だけを描いた、単純な点にあるかと思う。
秋ふかし人切り土堤の草の花 風国
「人切り土堤」は地名というよりも、むしろ俗称の部類であろう。「人切り土堤」と称する以上、かつてそこで人が斬られたとか、よく人の斬られることがあるとか、何かそういう由来があるに相違ない。現在は何事もないにしても、そんな名があるだけに、何となく寂しい感を与える。もう秋も深くなった「人切り土堤」に草の花が咲いている、というのがこの句の見つけどころである。
鳴雪翁の自叙伝に、今の芝公園と
二階からたばこの煙秋のくれ 除風
ただ眼前の景である。煙草を吹かしている以上、そこに人間のいることはいうまでもないが、どんな人間かわからず、またどんな人間であってもいいわけである。作者は秋の暮の中に一軒の二階家を認め、その二階に吹かす煙草の煙を描いただけで、他の消息を伝えていない。「煙草ふかす二階の人や秋のくれ」とでもいえば、人間の姿が句の上に現れるが、そういう点に一向重きを置かず、煙だけで用を済してしまった。
煙につきものの「立昇る」という言葉も、「なびく」という言葉も、この場合に用いるものとしては強きに失する。ふわりと宙に浮ぶような煙の状態は、「二階からたばこの煙」という
夜寒哉煮売 の鍋の火のきほひ 含粘
煮売屋の鍋の下を焚き立てる火が、
「夜寒哉」という風な言葉を上五字に置く句法は、俳句において非常に珍しいというほどでもないが、下五字に置いたのよりは遥に例が少い。それだけ用いにくいということにもなるが、詠歎的な気持は下五字を「かな」で結ぶよりも強く現れるような気がする。この句は「火のきほひ」の一語によって、上の「夜寒哉」を引緊めているようである。
朝顔や皆実 になして引たぐる 玄梅
これと同様なことは、人生の各方面において認められる。教育方針などということも、
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水鳥のかたまりかぬる時雨 かな 良長
時雨の降る中に浮んだ水鳥が、一団となりそうに見えながら、かたまりきらずにいる。かたまるべくしてかたまらぬ様子を「かたまりかぬる」といったのであろう。時間は必ずしも限定するには当らぬが、何となく寂しい夕方の景色を想像せしめる。
水鳥は時として岸の上などに群れていることもある。この句は岸の上としても解釈出来ぬことはないけれども、「かたまりかぬる」という語勢から考えると、やはり水上に浮びながら、かたまりあえぬもののような気がする。
霜しろく荷 ひつれけり肴 ふご 鶴声
肴売が荷う
鳴雪翁の句に「初霜をいたゞきつれて
鶴声の句は「霜しろく」で意味を切って、霜白き朝を肴売が畚を荷いつれて行く、という風に解することもあるいは可能であろう。即ち「霜しろし荷ひつれたる肴畚」の意に取るのであるが、これには多少の無理がある。「霜しろく荷ひつれけり」と続く以上、霜白き畚を荷いつれた意に解する方が、先ず妥当であろうと思う。
水風呂というのはもと蒸風呂に対した言葉だ、という説を聞いたことがある。橋本
風呂に入っている場合、戸尻が透いていて、寒い風が吹込んで来る。そこから冬の月の
石竹の一花咲 る冬野かな 桃里
かつて定家の『拾遺愚草』を点検して「霜冴ゆるあしたの原のふゆがれに一花さけるやまとなでしこ」の一首を発見した時、尚白の句と比較すると、数歩を譲らなければなるまいと老えたことがあった。今にして思えば、尚白の句はむしろ独立して考えらるべきで、それよりはこの桃里の句の方が、よほど定家の歌に似ている。桃里は定家の歌によって、この趣向を立てたものではないかも知れぬ。ただ定家の歌以上の働きを、この句に認め難いのを遺憾とする。
大きなる雪折々の霙 かな 旭芳
霙が降るのを見ていると、時々大きな雪片がまじっている、といったのである。平凡な事柄のようで、一概にそういい去ることの出来ぬものがある。
由来霙などという句は、配合物を主にしたものが多く、霙そのものを見詰めたものは少い。この句はその少い一例である。折々まじる大きな雪片は、
火燵を
この句は火燵における無性の一断片を現したものである。火燵は第一に人の起居の動作を
火燵からおもへば遠し硯紙 沙明
という句なども、やはり同じような心持を現している。作者は火燵にあって何か書くべき硯や紙の必要を感じながら、取りに行くのが懶いために、その「硯紙」の距離を遠く感ずるのである。句としては特に見るに足らぬが、無性箱の消息を伝えたものとして、前句と併看の価値はあるかも知れない。
炭竈を守るためであろう、ぼうぼう髭を
「両膝抱て」という中七字は、その男の様子を描き得て妙である。「
前髪に雪降かゝる鷹野かな 吏明
鷹野の趣は、猟銃以後に生れたわれわれには十分にわからない。同じ狩であっても、飛道具に鷹を用いるとなると、雅致と余裕と並び生ずるような感じがする。一度呑ませたあとで吐かせる
御小姓などであろう、鷹野の御供をする若衆の前髪に、
餅搗の場合に湯をこぼす。その湯が白い湯気を立てながら、薄氷の方へ流れて行く、というだけのことであろう。薄氷のミシミシと音して解ける様、一面に立つ湯気の白さまで、眼に浮んで来るように思われる。
元禄時代のこういう句を見る毎に、われわれはいつも真実の力を痛感する。写生といっても、実感といっても畢竟同じことである。如何に句を作る技術上の練磨が発達したところが、それだけでこういう句を得ることは不可能であろう。
麦まきの藪 をへだつる西日かな 吾仲
現在麦を
麦蒔に夕日を配した句は、この外にもなお「麦蒔のうしろ淋しき入日かな 支庸」「麦蒔の影法師長き夕日かな 蕪村」の如きものがある。冬の日の暮れやすいことも
時雨るゝや古き軒端 の唐辛 炉柴
草家の軒などに真赤な唐辛子が
「古き軒端の」という言葉は、百人一首を連想せしめそうなものであるが、この場合、そんな事を顧慮する必要はない。古ぼけた軒端に吊した唐辛子だけが、ただ赤々と著しく眼に入る。その色が赤ければ赤いだけ、
冬旅や足あたゝむる馬の首
々
々馬上旅行というものは、未だかつて経験したことがないが、冬日風に向って馬を
この句は馬上の旅を続けている人が、足のつめたさに堪えず、馬の首に触れてあたためる、ということらしい。
炉びらきや障子 の穴の日のこぼれ 東耕
炉開の畳の上に――畳でなくても構わぬが、先ず畳と解するのが妥当であろう――障子の穴から日がさしている。ぽつりと落ちたような日影を「こぼれ」といったのである。いささか巧を弄した言葉のようでもあるが、最も簡潔にその感じを現したものと見ることが出来る。
畳にさす小さな日影に目をとめる。そこに炉開頃にふさわしい、落著いた気分が窺われる。
筆や氷る文のかすりのなつかしき 機石
人から来た手紙を読んでいると、ところどころ筆のあとのかすれたところがある。寒い夜半などに筆を執って、穂先が氷ったためにかすれたのであろうか、と想いやった句である。「文のかすり」といっただけで、手紙の字がかすれていることを現し、その手紙を書く場合の寒さを想いやるあたり、いうべからざる情味を含んでいる。
蕪村の「歯
もの買に折敷 をかぶる霰 かな 燕流
折敷という言葉は地方によっては使われているかも知れぬが、現在のわれわれにはやや耳遠い。『言海』には「飯器を載する具。
木導の句に「鍋屋からかぶって戻る
朝霜に摺餌 摺なり歩長屋 梨月
「歩長屋」は「カチナガヤ」と読むのであろう。「カチ」は
霜の白く置いた朝、そういう歩長屋で小鳥にやるべき摺餌を摺っている。小鳥は朝起だから、無論早旦に相違ない。ゴロゴロ摺る摺餌の音と、朝霜との間には感じの上の調和があるが、朝早く鳥の摺餌なんぞを摺っているところに、武家生活の或断面が現れているような気がする。但それは眼前の小景を捉えたまでで、そう面倒な知識を要するほどのものではない。
木深更の趣である。橋の上には已に白く霜の置いているのが見える。そこを通りかかった時、
店月橋霜は詩歌の題材として古来いい古された観があるが、この句をして力あらしむるものは、深夜の水に響く舟人の咳である。この咳一声あるがために、霜夜の天地の
火のきえておもたうなりぬ石火桶 蘭仙
理窟屋に聞かせたら、火の有無は重量に関係はない、というかも知れぬ。そこは感じの問題である。炭のおこっている時はさほどに思わぬのが、火が消えて冷たくなったら、ひどく重く感ずる。石火桶であれば、その冷たさも、重さも、二つながら普通の火鉢以上であろう。
底寒く時雨かねたる曇りかな 猿雖
「底寒く」ということは「底冷え」などという言葉と同じく、しんしんと底から寒いような場合をいうのであろう。空が曇って時雨でも来そうになったが、遂に降らず、依然としてどんより曇っている。そうして底寒い。何となく凝結したような状態である。
時雨は関東の地に絶無というわけでもあるまいが、山に遠い関東平野の中にいるわれわれは、さっと来て直に去る初冬の時雨なるものに縁がない。その代り京都の冬を談ずる者の必ず口にする「底冷え」なるものからも免れている。時雨は底冷えのする土地の産物だといったら、あるいは語弊があるかも知れぬが、いずれも山近い土地の現象であるだけに、相互関係を否定出来まい。この句は時雨の降りかねた場合の寒さを、的確に現し得ている。
煤掃が一わたり済んで昼飯になる。まだ片づききらぬ家の中で飯を食う。がらんとした室内に冬の日光がさし込んで、こまかい埃の浮動するのが見える、という意味であろう。「埃に日のさす」という言葉から見ると、一隅に掃寄せられたごみに日が当るという意味に解せられぬこともないが、それでは趣が少い。飯時分になってやや落著いた室内に、さし入る日光をしみじみと見る。その中に浮動する埃にも或美しさを感ずる、ということでなければならぬと思う。
「食時分」は「メシジブン」とよむのである。
特に煤掃の時という記憶はないが、日光に浮動する埃の美しさを感じたことは、われわれも子供の時分にある。美に対する子供の感じは存外早く発達するのである。あの中に無数の
冬枯や物にまぎるゝ鳶 の色 吏明
冬になって天地が
作者は冬枯の中に鳶を点じ去っただけで、鳶そのものの状態については何も説明していない。飛んでいるか、とまっているかということも、句の表には現していないが、冬枯を背景とし、その色彩に紛るるとある以上、これはとまっている鳶と見るを至当とする。「物にまぎるゝ」という七字が簡単にこれを
麦まきや風にまけたる鳶烏 吏明
寒い畑に出て麦を
「風にまけたる」という言葉は上乗のものではないかも知れない。ただ現在風に吹かれつつある――吹き悩まされつつある状態だけでなしに、今し方まで飛んでいたのが、いつか見えなくなったという時間的経過を現し、その上に風の強い意味まで含ませるとすれば、やはりこういう意味の言葉を使わなければおさまらぬのであろう。この種の言葉も元禄期の一特徴である。
初雪や桐の丸葉の片さがり 路健
雪に対して桐の葉を持出したところに特色がある。桐一葉は秋の到るを現すのに
俳句は或伝統の上に立つ詩である。季題趣味というものも、伝統の上に立たなければ解し得ぬ点がいくらもある。しかしそれがために、桐の葉は秋に落ちるものだから、雪に配するのは
この栴檀は二葉より
寒の雨の降る中を、
こほる夜や焼火に向ふ人の顔 岱水
「焼火」は「タキビ」とよむのであろう。寒夜火を焚いて

はつ雪の降出す比 や昼時分 傘下
読んで字の如しである。何も解釈する必要はない。こんなことがどこが面白いかという人があれば、それは面白いということに捉われているのである。芭蕉の口真似をするわけではないが、「たゞ眼前なるは」とでもいうより仕方があるまい。
音もなく夜の間に降出して、朝戸をあけると真白になっているということもあれば、朝から曇っている空が
をし船の沙 にきしるや冬の月 素覧
「をし船」という言葉はよくわからぬが、句の意味から考えて、浅瀬か何かで船を押すことではあるまいかと思う。
えいえいと押す船の底が、沙に
門々や子供呼込 雪のくれ 野童
雪が降って元気がよくなるのは、子供に犬と相場がきまっている。寒さにめげず、外へ出て遊んでいるうちに、いつか夕暮近くなって来た。もう御飯になるから御帰りとか、寒いから内へ御入りとかいって子供を呼ぶ声が、
平凡な句のようでもある。しかし一概にそういい去るわけにも行かぬのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思われぬ。
鳶尾の葉はみなぬれにけり初しぐれ 鼠弾
「鳶尾」はシャガと読むのであろう。あやめに似て小さい花をつける、
シャガの葉は冬を
買切と馬にのり出すしぐれかな 雪芝
「馬市」という前書がついている。馬の値がきまって自分の所有に帰するが早いか、直にその背に
かつて「馬かりてかはる/″\に霞みけり」という
一日吹きまくった木枯が、夕方になって漸く衰えたような場合かと思われる。大分
北原白秋氏の『雀の卵』に「この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風
冬籠の徒然に任せて摺粉木の細工を思い立った。無論自家用か何かの手軽なものであろう。素人の手に合うものだけに、わけもないつもりで著手したが、なかなか出来上らない。今日も削り、明日も削り、摺粉木一本が容易に完成せぬ状態を詠んだものと思われる。
普通の内職などでは面白くない。冬籠中にふと思いついた摺粉木細工で、それが思ったほど
虫の音も枯て麦ほる烏かな 沙明
野に鳴く虫の声というものは、夏の末から冬の初にわたる。夜は全く声がしなくなってからでも、日当りのいいところでは、生残りの虫が
虫の声さえ枯れ果てて、というようなことは歌の方にもありそうな気がする。ただ冬枯の畑に烏が下りて麦を掘るというよりも、虫の声も全く聞えなくなったという事実のある方が、時間的な推移を窺い得る効果がある。すぐれた句というわけではないけれども、蕭条たる冬野の空気を描き得た点において、やはり棄てがたいように思う。
天井に取付 蠅や冬籠 紫道
生残りの蠅が天井にとまって動かぬ。それを「取付」という言葉で現したのである。其角が憎まれてながらえる人に擬した通り、冬の蠅は已に活力を失っているが、暖を求めてどこかに姿を現す。天井に見出すのは多くは夜のようである。天井を離れまいとして、じっと取付いている冬の蠅は、憎むというよりは憐むべきものであろう。
天井の蠅もじっとしている。下にいる主人も――恐らくはじっとしているに相違ない。そういう冬籠の一角を捉えたのがこの句の眼目である。
胸に手を置て寝覚るしぐれかな 水颯
胸に手を置くというのは、熟考の際にも用いられるが、この句のはそうではない。胸の上に手を置いて寝ると、苦しい夢を見てうなされるから、手を載せないようにしろ、と子供の時分よくいわれた。意識して手を置くはずもないが、寝ている間に自然とそういう姿勢になるのであろう。子供がうなされた時に注意して見ると、やはり胸に手を載せていることが多いようである。
この句の中には夢のことはいってない。しかし胸に手を置いて寝た結果、苦しくなって目が覚めたことは
たゝひろき庭も払はずむら時雨 舎羅
「何がしの院にまかりて」という前書がついている。上五字は「たゞひろき」と読むのか、今の俗語で「だだッ広い」というに当るのか、いずれにしても相当広い庭と思われる。その庭が掃除も行届いておらず、落葉なども払わずにある。というのであろうか。「払はず」という言葉はなお他の意にも解せられるが、この場合きちんと片づいていないことだけは
一塵もとどめず掃き清められた広庭に、時雨が降るというのも一の趣である。片づかぬ庭に時雨が降るというのもまた一の趣である。両者共に自然であって、その間に時雨と撞著するところはない。強いて時雨趣味を限定して、統一を図るなどは無用の沙汰である。
餅つきや臼も柱も松臭し 諷竹
ちょっと変った句である。臼も柱も新しいのであろう、餅を
新しい木の香というものは爽快に相違ないが、いい現し方によっては少しく俗になる。作者が鼻に感じた通り、「松臭し」といってのけたのは、かえってよく趣を発揮している。「臼も柱も」の一語で、家も臼も新しいことを現したのも、巧な叙法というべきであろう。
麦まきの寒さや宿はねぶか汁 鼠弾
蕭条たる冬枯の野に出て麦蒔をする。
この句はそういう麦蒔の人の寒さと、その人たちがやがて帰る家で、葱汁を
初しぐれ爰 もゆみその匂ひかな 素覧
「爰も」というのはやや漠然たる言葉であるが、こういうことだけは想像し得る。
初時雨の降っている時、町なら町を歩いている。今しがたどこかで柚味噌を焼く匂を
柚味噌というものは、昔にしても一般的な食物とは思われぬ。しかし時雨の趣を解するような人が、初時雨を
煤の湯を流しかけたり雪の上 里東
「としのくれに」という前書がついている。煤掃をしたあとの湯を雪の上にこぼす。「流しかけたり」というので、ざぶりとこぼさずに
昔の煤掃は今の大掃除と違うから、天気都合で延すなどということはなかったかも知れず、また北国のように雪に降りこめられるところだったら、晴天を待つわけにも行かぬであろう。そういう雪の中でも、年中行事の一として、家の内の煤だけは払う。この作者は
煤はきや手鑓 たてたる雪の上 不玉
になると、作者が東北の人だけに、そう解しても差支ない理由がある。「手鑓」は短槍ともいう。槍の細く短いものの称である。何でそんな槍を雪の上に突立てたか、まさか雪の深さを測る意味でもあるまい。暫時の置場として雪の上に立てたものであろうか。手槍を立て得ることによって、その雪の深さもわかり、現在雪の降りつつある場合でないことも想像出来る。
煤掃に雪などという趣向は、大掃除に慣れたわれわれにはちょっと思いもよらない。同じく「雪の上」を捉えた元禄の句が、全然異った世界を見出しているのは面白い。
寒夜や棚にこたゆる臼の音 探志
「寒夜」は「サムキヨ」と読むのであろう。隣が
はじめて人を訪れた夜など、近く通る汽車の響を地震かと思い誤ることがある。住慣れた人は平気で談笑を続けていても、はじめての者には汽車か地震かの判別がつかぬのである。この臼の音ははじめての驚きではない。棚の物が
一面に降積った雪の上に、鳩が飛んで来て何かあさっている。彼らの食物も雪のために蔽われているので、手許にある炒豆でも雪の上に投げてやろう、そうして鳩を自分に
同じ雪の降積った場合にしても、その上に米を
炉びらきや鏝 でつきわる灰の石 孟遠
久しぶりに炉を開いて見ると、
「灰の石」という言葉は、作者の造語らしく思われる。説明的にいえば「石のような灰」であるが、それでは文字が多過ぎる。「石の灰」では石灰と混同せぬまでも、石が焼けて灰になったように取られやすい。あるいは不十分かも知れぬが、この場合「灰の石」以上に適切な言葉は見当らぬのである。
『末若葉』に「炉びらきやまた形ある雹灰 夜錦」という句がある。「雹」は多分「アラレ」とでも読むのであろう。霰のように小粒に固まった灰の形容らしい。炉を開くに当って灰に目を留めるのは、格別不思議もないが、灰の固まったのを「灰の石」といい「雹灰」というのには若干の工夫を要する。精緻な観察は古人に縁がないように思う人は、これらの句を玩味しなければなるまい。
一間にあって裁物をする。
この句にあって一間を狭しと感ずるのは、必ずしも裁物をする人自身ではない。作者は裁物の人と同じ一間にあって、傍から観察しているものの如く感ぜられる。即ち裁物のために一間が狭くなることは共通であっても、自ら裁物をひろげつつある人の感じとは若干の距離がある。この場合衣を裁つ者は当然女であろうから、作者はその外に求めなければならぬのである。
冬籠る一間は広きを要せず、狭くとも暖きを条件とする。居間の狭くなることを
湯のぬるき居風呂 釜を脚婆かな 還珠
この句は冬の季にはなっているが、何の季題に分類すべきかということになると、ちょっと判断に苦しまざるを得ぬ。第一下五字はどう読んだらいいのか、よくわからない。俳句の振仮名はこういう場合に最も必要なのだけれども、かえってそれがついていないのである。
そういう問題はしばらく
俳諧では湯婆と書いてタンポと読んでいる。この上に更に一字を添えた「湯たんぽ」という言葉が一般に通用しているのは、幸田露伴博士が考証したチギ箱の例のように、一つ言葉を補わなければわかりにくいためかも知れぬ。湯婆と風呂とは目的を異にするが、湯で身体を温める点に変りはない。湯婆の如く釜で脚を温めるという意味から、脚婆という語を造り出したのではあるまいか。湯の字と婆の字とが一句の中にあり、かつ脚を温める作用をも取入れているので、強いて分類すれば湯婆の範囲にでも入るべきかと思う。但これは臆測である。正解があれば
鉄砲の水田になりて里の冬 蘆文
稲を刈った跡の田が刈田で、それが冬に入れば冬田になるというのが、季題の上の常識になっている。ここにある「水田」は普通にいうスイデンの意味もあるかも知れぬが、同時に稲を刈った跡の田が暫く水を
そういう水田に雁鴨その他の鳥が何か