おかよ

山本周五郎





 ――ああこんどこそ。
 おかよは縁台から立った。からだじゅうの血がかっと頭へのぼるようで、足がぶるぶるとひどくふるえた。跫音あしおとはまっすぐに近づいて来た。そして、すこし葭簾よしずのはねてある入口からしずかにはいって来たのは、やっぱり待っていた弥次郎であった。おかよは全身が燃えるように感じ、舌がこわばって、すぐにはものも云えなかった。弥次郎も黙っていた。……そとは星空で、まだ宵明りものこっていたが、葭簾で囲った小屋のなかは暗かった。
「よう来てくださいました」
 おかよがやっとそう云った。弥次郎はちょっと身うごきをし、いつもの気弱そうな、ぶっきらぼうな調子で口ごもった。
「すぐお屋敷へ帰らなければ……」
「ええわかってます」おろおろとおかよはうなずいた。
「御用が多いものだから」
「わかってますわ、それだからあたし」おかよは男の言葉をさえぎって、手早くたもとから小さな包み物をとりだした、「あたし、これを、これを持って来ましたの」
「……なんです」
「お札、お札なんです、戦場へいらしったらお肌へ着けて頂きたいと思って」
「……いや、わたしは多分、……わたしは、行かないで済むかも……」
 弥次郎はひどく狼狽ろうばいしたように、手を振りながら口ごもった。それはちょうど子供が怖いものから逃げようとする身振りに似ていた、おかよにはそういう男の気持がよくわかった。
 男は戦場へゆくのを恐れている。男は足軽だった、父の代から細川家の足軽で、十四の年に母を、その翌年に父をうしなった、もともと気の弱い、ひっこみ思案の性質だったのが、孤児になってから一層ひどくなり、仲間もなく、いつも独りで蔭のほうに縮まっていた。おかよもやっぱり孤児だった。それではやくから伯母のやっている茶店で働いていた、茶店は木挽こびき町の采女うねめの馬場の傍にあり、すぐ前が細川越中守の中屋敷になっていた。……細川家の重臣たちはよく馬場へ馬をせめに来る、その供をしてくる足軽たちのなかに弥次郎もいた。
 彼はいつも仲間から離れたところで、ひっそり腕組みをしては馬場を眺めていた。そのようすがあまり淋しそうなので、ある日おかよが茶を持っていってすすめた。彼は赤くなって断りを云った。それはまるで継子ままこが思いもかけず菓子でも貰うときのような感じだった。それがきっかけで二人は少しずつ知り合うようになった。馬場のほうへおかよが茶を持ってゆくこともあり、弥次郎もときたま茶店へたち寄った。どちらもあまり口数はきかなかったけれども、「みなしご」ということがお互いの気持をかたくむすびつけた。
 ――あの方の気のお弱いのは、いつも独り法師だからだ、お心はあのとおりまっすぐだし、ご容子ようすだって平の足軽とはみえないおりっぱさだし、お顔だちもりりしいし、おかよはよくそう思った。――運さえまわって来れば、きっと槍ひと筋のご出世をなさるに違いない。
 そこへ島原の乱がおこった、まず、板倉内膳正重昌を大将とし、石谷十蔵貞清をその副として討伐せしめたが、賊徒が思いのほか頑強でなかなか落城せぬため、追っかけ松平伊豆守信綱と戸田左門氏鉄をつかわし、さらに年を越えて寛永十五年正月には、細川越中守忠利、有馬玄蕃頭、立花飛騨守ひだのかみ、小笠原、鍋島、黒田等々、ほとんど全九州の諸侯をあげて、島原攻めに参加せしめた。
 ――あの方の御武運がめぐってきた。
 おかよはわが事のようによろこんだ、しかし弥次郎は迷惑そうだった。迷惑というより恐怖である。できることなら戦場へゆきたくないという気持がありありとみえた。いまも今「わたしは行かずに済むかも知れぬ」と云うようすには、それがあからさまに表われている。
「いいえ、いいえあなたは御出陣なさいます、だって」とおかよは烈しくかぶりを振った、「いまこそ御出世の時が来たのですもの、あっぱれ功名お手柄をなすって、どのようにも御立身あそばす時ですもの」
「でもおかよさん」
「あなたはまた、そんな勇士ではないとおっしゃるのでしょう、それはあたりまえです、誰だってはじめから勇士豪傑だという方はございません、初陣ういじんには、どなたでも気後きおくれがするものだとうかがいました、……印東さま、この中にあるお札は鎌倉八幡宮の御守りで、何人ものお方が戦場へ着けておいでになり、矢にも弾丸にも当らず、りっぱなお手柄をたてたものでございます、このお札さえお肌に着けておいでになれば決しておからだにけがはございません、どうぞ勇ましく御出陣のうえ、存分のおはたらきをあそばしてくださいまし」
「……わかりました、ではありがたく貰います」
「鎌倉八幡宮のお札でございますよ」
 おかよの眼はあやしいまでに燃えていた、その言葉つきにも、火のような情熱がこもっていた。それは十八の娘のものではなかった、姉となって弟を励まし母となって子をふるい起たせるひそやかな愛情であった。弥次郎はなにも云えなかった。――己はかずに済むだろう。そう思いながらけれどもおかよの手から御守りの包を受取った。事実その時、細川越中守は島原出陣の幕命ばくめいを辞退していたのである、将軍家光からの直命であったのにかかわらず「その任に堪えず」と云って固く謝絶していたのである。
「きっとお手柄をあそばしますように」おかよは祈るように云った。「あなたは千人にぬきんでたお方です、おかよにはそれがよくわかっていました、どうかこのお札を着けていることをお忘れなさいますな、わたくしもお札といっしょにお護り申しております」
 そう云いながら、つきあげてくる情熱を抑え兼ねたのであろう、おかよはよろめくようにすり寄った。あまくむせっぽい娘の匂が、弥次郎を息苦しくさせた。
「お待ち申しておりますよ」
 身も心もうちこんだひたむきな愛情が、そのとき弥次郎の胸に、どのような印象を彫りつけたであろうか。
 越中守忠利は重ねての幕命をうけてついに出陣の決心をした。そして正月十二日、軍勢をそろえて江戸を発した。(本軍はもちろん熊本に在った)その出陣の前日、準備で忙しいなかを弥次郎はおかよに会おうとして駈けまわった。茶店はしまったあとで、新銭座の裏に家があるというのをたよりに、そのあたりを及ぶ限りたずねあるいた。――ひと眼だけ会いたい、一言だけ礼を云ってゆきたい。みんな親類縁者たちに行のさかんを祝って貰うなかで、弥次郎を祝ってれるのはおかよひとりだった、武運長久を祈る守り札を呉れたのもおかよだけだった、生きて還るつもりのない彼はどうかしてひとめ会い、ひと言わかれの言葉を交わしたかったのである。だがついに会うことはできなかった。そのときおかよは、采女ヶ原のあたりで同じように、弥次郎の姿を求めあるいていたのであった。


 午前三時、天地はまだ暗かった。
 弥次郎は空を仰いだ、満天の星だった。しずかな東南の風が枯草をわたり、明けがたの寒気が小具足の隙間から身にしみとおった。どこか遠くで馬のいななくこえがしたあとは、げきとしてなんの物音もしない。
「もう合図がありそうなものだ」
 横のほうで誰かが云った。
 ――七兵衛どのだな。
 そう思いながら、弥次郎は無意識に槍を持ちなおした、心はすっかり落ちついていた。
 島原攻略の合戦は、いま最後の段階に直面していた、伊豆守信綱はあらゆる戦法を用いて攻めた。(城中へ矢文を送って賊徒の士気をくじき、また、和蘭オランダ船をして背面より砲撃せしめ、糧道を断ち人質を以て脅迫する等々)しかし、賊徒の闘志は少しもゆるまず、かえってしばしば反撃して来た。地下に道を掘って鍋島軍の陣へ火を放ったりした。その奇襲ぶりは巧妙をきわめ、寄手はそのたびに相当な損害をだした。ことに二月二十一日夜の逆襲はすさまじいもので、味方の陣はところどころに火を発し、戦死者もおびただしい数にのぼった。……かくて二月二十四日、総督伊豆守信綱は総攻撃の令を発し、全軍は原城へと無二無三に取詰めた。細川越中守は敵城に最も近く、北岡浜から西南二百歩のところに陣を布き二城、三城へと攻撃の火蓋を切ったが、敵は堅固な要害にって頑強に防ぎ、殊に二城の大手にある角櫓すみやぐらは、攻撃路を眼下にして銃撃の絶好位置に当り、その飽くことなき斉射をあびて、細川軍は手も足も出なかった。
 ――あの角櫓を沈黙させなければならぬ。軍議はその一点に集り、二十五日の夜、敢死隊が募られた、ひと組十五人ずつ三組である、そして印東弥次郎はその三隊に参加を申し出た。かくて二十七日暁天ぎょうてんを期して決行ときまり、三隊四十五人は夜半すぎに陣地を出で、いま丘の蔭に伏して合図を待っているのだった。
「おい印東、印東いるか」
 右のほうから低く呼ぶこえがした。
「はっ此処ここにおります」彼はそう答えて立った。
「そうか、……いたか」
 植村七兵衛という男のこえである。そして誰かぼそぼそと、耳こすりをしながら笑った。それはまるで、「臆病者がまだ逃げずにいたよ」そう云っているようだった。弥次郎はきゅうと唇を結んだ……足軽で敢死隊に参加したのは彼一人だった。寛永も十五年になると武士の階級も確然と分って足軽などはひと口に「小者」と呼ばれるようになり、武士からはいちだん低い位置にすえられていた。弥次郎は父の代からの足軽であったから、江戸にいるあいだは自分がその低い位置に生れたことを不運に思うだけで、不平も不満も感じなかった。しかし島原へ出陣してきて、はじめて矢弾丸の下に立ったとき、彼はおかよの言葉をまざまざと思いだした。――あなたは、千人にぬきんでた方です。そしてそう云ったときの、娘の燃えるような眼を思いかえした。その場かぎりの励ましや世辞ではない、心からそう信じている者の眼だった。
 ――そうだ、少くともおかよだけは、このおれが千人にぬきんでた男だと信じている。おれは一番首一番槍の手柄はできぬかも知れぬが、武士として身命をなげうつはたらきはしてみせる。
 大将であろうと小者であろうと、身命を抛つ時と場所を見はぐらなければよいのだ、身分の高下が武士の面目を決定するのではない、死所を誤りさえしなければ恥ずることはないのだ。弥次郎が敢死隊へ参加を申し出たとき、――足軽などが、と一言の下にこばまれた。しかし彼は飽かず願ってついに許されたのである。隊士たちは白眼で彼を見た。「なに一時のから元気さ」「いざとなれば逃げだすだろう」誰の眼もそういう意味を語っていた。けれども弥次郎は決してそれに反撥はしなかった、「なんとでも考えろ、おれは自分にできることをするだけだ」そう思っていたのである、それはかなり辛抱を要することだったけれど……。
 さっと枯草がそよぎ立った、風が強くなってきたのだ、その風といっしょに誰かこちらへ走ってくる者があった、「山」「川」合い言葉を呼び交わしながら。植村七兵衛たちはすわと起ち上った。暁闇ぎょうあんのなかを走って来た相手は、息をはずませながら云った。
「一隊二隊は出ました、三隊後詰めをねがいます」
「心得た、ご苦労」
 七兵衛は、いざと手を振った。十五人の者は槍を伏せ、袖の合印を直し、黙々と縦列になって丘をくだった、右からのびているがけのかげをゆくこと十町、やがて暗い暁空のかなたに二城大手の城壁が見えだした。その時である、先行した二隊が敵に発見されたのであろう、例の角櫓からばらばらと火がとびだして来た。それは松明たいまつであった、幾十百本となく無数の松明が、生き物のようにとびだして来て地に落ち、それが炎々とほのおをあげた。今にすれば、探照燈か照明弾であろう、落ち散った松明の光は、いまや敢死隊の姿をあからさまに照しだした。
「かかれ」
 という絶叫がきこえ、第二隊が隘路あいろへとびこんだ。同時に角櫓からすさまじい一斉射撃がおこった。それは的確をきわめた狙撃だった、とびこんだ第二隊は見るまにその半数をうしない、残った者は転げるように退却した。……そこへ第三隊が追いついた。
「待て待て、これではせいてもだめだ」植村七兵衛が制して云った、「あの火があっては此方の体がまる見えだ、いくら突っこんでも狙い射ちにされてしまう、まずあの火を消すか、燃えつきるのを待つよりほかはない」
「だが待っているうちに夜が明けるぞ」
「消すとしても、しかしあの数では……」
 云い合っているとき、第三隊の中から一人ぱっととびだした者がある、印東弥次郎であった。彼は槍を伏せ、身をかがめて、飛礫つぶてのように隘路へ突進して行った。
「あっ印東が……」「ばか者、どうするんだ」人々はあきれて眼をみはった。……弥次郎は駈けた、敵の櫓からは銃火が走った。十間、二十間、その弾雨のなかを身をかがめたまま、非常なはやさで弥次郎は駈けて行った。しかし、城壁まであと二十間あまりというところまでゆくと、彼は突きとばされたようにのめり、だっとはげしく顛倒てんとうした。「やられた」見ていた人々は、思わず声をあげた。……隘路のまん中に倒れた弥次郎は、いちどよろよろと起きあがったが、すぐにまたどっと倒れ伏した。そしてそのまま動かなくなった。
「ばかなまねをする奴だ」植村七兵衛は吐きだすようにそう云った。それに答えるごとく、角櫓から「わあっ」とはやしどよめく声がきこえた。しかし、それから間もなく、第三隊の中でとつぜん妙な声が起った。
「おい待て、よく見ろ」
「……なんだ」みんなその男の指さすほうを見た。
「あの死体が動いているぞ」
「なに死体がどうしたと」
「印東の死体をよく見ろ、さっきの場所よりずっと前へ出ている」
 みんなぎょっとした。みんなの眼が弥次郎の上に集った、……動いている、はっきりわかるほどではないが、弥次郎の死体は地面に俯伏うつぶせになったまま、ほんの少しずつ、しだいに城壁のほうへとい進んでいた。
「おお、印東は生きているんだ」みんな息をのんだ。
 さよう弥次郎は生きていた、彼は射たれさえもしなかったのだ、敵の弾丸が集中するのは、城壁の十間から此方だ、その距離を突破すれば弾雨を避けられる。彼はその距離だけ敵の眼をくらまそうとしたのだ。――これは鎌倉八幡宮のお札です。おかよの言葉が、ありありと耳によみがえった。――これをお肌に着けていれば、決して矢弾丸には当りません。どうかそれをお忘れにならないで下さい。彼はその札を肌に着けていた。矢弾丸に当らぬという神護をたのんだのではない、それにこもっているおかよの真心を離さぬためであった。彼は角櫓の正面にある矢狭間やざまふさごうと思っていた、それを塞ぎさえすれば死んでもよい、しかし塞ぐまでは矢弾丸に当ってはならぬと思った。「なむ弓矢八幡」はじめて弥次郎は神に念じた、念じながら、じりじりと這い進んだ。五間、十間、いいようのない困難をもってついに目的の距離を突破した彼は、「よし」とみるなり臥破がばとはね起き、脱兎だっとの如く城壁へせつけた。……矢狭間から射ちだす弾丸は飛霰のように彼の上へ襲いかかった、しかし彼はすでに城壁へとりつき、ましらのようにそれをじ登っていた、そのとき隘路へは敢死隊の人数が「今をはずすな」と突っこんで来た、それで城兵の射撃は、そっちへ集中された。弥次郎はしゃに無二登って、正面矢狭間へと片手をかけた。
「あっ、敵だ」という叫びとともに、中から賊徒の一人が身を乗りだした。弥次郎は片手で刀を抜き、その男の胸を力まかせに刺した。そして相手の胸倉をつかむとそれを手繰たぐるようにして矢狭間のかまちへ自分の身をのしあげた。だあん! という銃火が目前で火花をとばした。弥次郎は烈しい衝撃を胸に感じたが、それには屈せずいま刺した敵の体を抱え、おのれの身とともにぴったりと矢狭間を塞いだ。
「やった、おれは正面矢狭間を塞いだぞ」
 そう思ったのがさいごだった。だんだん! と耳をつんざくような銃声を聞き、またしても胸を殴られたように感じながら、弥次郎の意識は朦朧もうろうと薄れていった。


「すばらしい奇智だ、味方の我々でさえてっきり弾丸にやられたと思ったもの、敵があざむかれたのはむりもないさ」「それもそうだが、矢狭間を自分の体で塞ぐというのは戦記にもないだろう」「あれが勝ち目だった」「そうだ、あれで後詰めが突っこめたんだから」
 弥次郎は、うとうとしながら聞いていた。――ああ勝ったのだな。そう思ったが、すぐにまた意識が薄れてわからなくなった。そして彼が本当に元気をとりもどしたのは、島原が落ちてから十日めのことであった。
「よろこべ印東、二百石をもって士分におとりたてだ」
 彼が、はじめて聞いた言葉はそれだった。しかし弥次郎は、べつによろこぶようすもなく、それから後の戦況を聞きたがった。……彼が正面矢狭間を塞いだので、敢死隊は一挙に櫓へとりつき、その人数の大部分を失ったけれども、ついに敵を沈黙させた。細川軍はその機をはずさず突っこみなんなく二城を乗りつぶして三城まで押し破った。それが勝機だった、つづいて水野軍が内城を侵し、全軍なだれをうって城中へ斬って入り、ついに翌二月二十八日うまの刻をもって原城はまったく落城したのである。「お上、越中守さまにおいては其許そこもとの手柄をご賞美あそばされ、即日二百石おとりたてのお沙汰が出た、そして傷所たいせつにせよと特にねんごろなお言葉があったぞ」そう云う植村七兵衛の態度は、人が違ったかと思うほど嬉しそうな鄭重ていちょうなものだった。「しかしそれにしても幸運だな、五発も弾丸が当って、肉へ徹ったのは一発だけ、あとはみんな皮をそいだだけだぞ、その代り……御守り札が割れていたがな」
「お札、御守り札が割れていましたか」弥次郎は、ぎょっとして眼をみはった。
「傷の手当をするのでっておいた、枕もとにあるから見るがよい」
 弥次郎は首をあげた、それは枕の脇に胴巻のまま丸めて置いてあった。手に取ってみると弾丸のあとがあり、はたして、中の御札は二つに割れていた。弥次郎は腹巻に作った布の中へ手を入れ、しずかに御守り札をとりだした。しかし、とりだしたのはお札ではなかった、小さな白木の板を二枚合せたもので、その間からばたりと落ちたものがある。なんだ、そう思ってとりあげてみた彼は、顔色の変るほどびっくりした。それは「ほぞの」だった、おかよの生年月日を記した彼女の「ほぞの緒」だったのである。
 弥次郎はあっと胸をつかれた。――おかよ、おまえは八幡宮のお札だと云った、何人もの人が戦場へ着けて出て、矢弾丸に当らず大功をたてたと云った……。しかしそういう物を彼女が持っているはずはない。手にいれることができたら、どんなにしても、霊験あらたかな御守りを贈りたかったにちがいない。おかよは孤児だし茶店の娘である。暇もなかった、手づるもなかった。――それでおまえは、自分のほぞの緒を入れたんだ、自分の身で己を護ろうとしたんだな。
 葭簾がこいの小屋の中で、自分にとりすがったときのおかよの手の温かさが、ひたむきな愛情に燃える眼が、ふるえていたその声が、いま弥次郎のまえにはっきりと思いだされた。――お待ち申していますよ。そう云った声の祈るような響きが、そこにおかよを見るほど、まざまざしく記憶によみがえってきた。弥次郎の眼からはらはらと涙がこぼれおちた。
「……おかよ」と彼は空を見あげながらつぶやいた、「待っているんだぞ、己は……八幡宮のお札が無くとも、りっぱに戦った、矢弾丸を避けるのは神護ではない、戦う心だ、死所を誤らぬ覚悟が矢弾丸に勝ったんだ、おまえがそれを教えて呉れた、待っているんだぞ、もうすぐ会える、帰ったら己は、おまえを……おまえを……」
     ×  ×  ×  ×
「それで、そのかたは本当に二百石のご出世をなすったの」
「江戸へ凱陣がいじんなすってから三百石にご加増されたのですって、三百石になるとお槍を立てて歩けるんですってね」
「たいそうなご立身だこと」
 目黒あたりは、その頃はまだ人煙もまれなと云ってよいほど辺鄙へんぴだったが、それでも不動尊のあたりは、町家もあり参詣人さんけいにんのために茶店なども出ていた。……島原の乱が鎮まった年の秋のある日、その茶店のなかの一軒で、店の女がふたり、客のないひるさがりの一刻を、さっきからしずかに話しふけっていた。
「それにしても」と年嵩としかさの女のほうが眼をあげて、「その娘はどうしたの、話の順から云えばそのお侍と夫婦にならなければならない、ねえ、そうなったんでしょう」
「……いいえ」若いほうの女はそっと頭を振った、「そのかたが江戸へお帰りになるとすぐ、娘はゆきがた知れずになりましたわ」
「どうしてさ」
「娘は掛け茶屋の女でしょう、その方はもう三百石のお武家さまですもの、身分がちがいます」
「身分が違うっておかよさん、そうなるまでの事を思えば違うもへちまもないじゃないか、それにお互いに好き合って、ほぞの緒まで着けてやるほどでいて、それじゃ相手のかたが出世したってなんにもならないじゃないの」
「そんなことないわ、その娘はそれで満足していたんですもの」
「わからない、あたしにゃわからないよ」
「……女というものは」と若いほうが呟くような声でいった、「自分の一生をささげた人のためにいちどだけでも本当に役立つことができれば、それで満足できるものだとあたしは思います、……その娘は、自分が三百石の奥さまになれないことを知っていたんです、そうしてはそれから先その方の邪魔になると考えたんです、あたしにはその娘の気持がよくわかります、そうするのが本当だと思いますわ」
「ははははは」年嵩の女はけらけらと笑った、「まるであんたは自分のことのように云っているよ、本当のところ、その娘というのはおかよさんじゃないのかえ」
「まあ……いやなお松さん」若い女は頬を染めながらうち消した、「あたしがその娘なら、ええお松さんの云うように、その方の奥さまになっていたかもしれませんよ」
「あたしはそれが本当だと思うね」年嵩の女はそう云って、そばに置いてあった三味線をひき寄せて、爪弾つまびきで調子を合せながら歎息するように云った、「でも、そのお侍さまは、いま頃きっとその娘を捜しておいでになるわ、そうとも、それだけの娘の心意気が忘れられるものかね」
「そうかしら、捜しているかしら」
「あたしはそう思うわね、そして、いまにきっと二人はめぐり会って……」
 若い娘はふと往来のほうへ眼をやった。そのまなざしはどこかに人の来るのを待っているような色があった。
※(歌記号、1-3-28)……花は咲けども
 年嵩の女が、こんな場所には惜しいほど、さびのある澄んだ声でうたいだした。それは、もうすっかりすたっている隆達節であった。
※(歌記号、1-3-28)……花は咲けども、様は来もせず
  様なくてなじょの春ぞも
   おおやれ、様なくてなじょの春ぞも





底本:「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」新潮社
   1983(昭和58)年10月25日発行
初出:「講談雑誌」博文館
   1942(昭和17)年5月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「花さく日」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:北川松生
2025年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:北川松生
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