寛文五年の秋のある日、徳川
光圀の水戸の
館へ、貧しげなひとりの浪人ものが、仕官をたのむためにおとずれた。衣服も
袴もつぎはぎのあたった木綿ものであったが、よく洗って折目がついていた、としは三十二三であろうか、頬のあたりに辛労のかげがみえるけれど、まぎれのない眉つきがひと眼をひいた、
月代もきれいに
剃っていた、執事の鈴木
主税がかれに会った。
「旧主の名は申上げかねます」かれは作法ただしく云った、「わたくしはもと奥州のさる藩につかえておりました
五百旗五郎兵衛と申す者でございます、さきごろ主家が御改易となり、わたくしもただいまは浪々の身の上でございます、それにつきまして、わたくしは御当家こそさむらいの御奉公つかまつるべき御家と、かねて心におたのみ申しておりましたので、かないまするなら御家中のお末になりとお召抱えねがいたいと存じ、ぶしつけながら押してお願いにまかり出たしだいでございます」御前までよろしく御披露をたのむと云って、かれは
膝へ手を置いたまま低頭した。主税はなかばうわのそらで聴いていた。光圀が水戸家をついだのは寛文元年のことであるが、若いじぶんからそのすぐれた風格は世に知れわたっていたので、いよいよ水戸二代の宰相をついだとなると、風を慕って随身をたのむさむらいたちがひきもきらず、その応接のいとまにくるしむありさまであった。ただそればかりならよいが、なかには仕官をたのむのは口実で、本当はいくばくかの合力にあずかろうという浪人ものもいた。近頃ではむしろそういう者のほうが多いくらいだったので、筋のわからぬ者はたいてい
些少の銀を与えてかえすことになっていた。
「また幸いわたくしには
伜がございます」浪人は少し間をおいて云った、「当年まだ八歳の幼少ではございますが、性質もよろしくからだもごく壮健でございますから、やがてはお役の端にもあいたつべきかと存じます、
憚りながらこれも御前までおとりつぎをおたのみ申します」うわのそらで聴いていた主税は、この言葉でちょっと眼をみはった。これまで随身をたのみに来た者は誰でもおのれの芸能を申立てはした、戦場における功名とか武芸の才とか、学問の能力とか、そういうことは申立てたが、自分に子供があると自慢をした者はなかった。――いったいこの男は本気かしらん。主税は少しばかりあきれて見返した。浪人はもちろんまじめだった。すこし不安そうではあるが、端座した姿勢は毅然たるものだった。しばらく待てといって主税は奥へあがった。
光圀は小姓のものと碁をかこんでいた、そのとき三十八歳の壮年でまだ後年の円熟さには欠けていたが、そして名宰相としての世評にあやまりはなかったけれど、生れながらに水戸家の公達であったから、明敏
英邁である反面に
我儘で
峻烈なところも多かった。……主税の言葉を聞き終ると、光圀はじっと碁盤のおもてを見おろしたまま、いつもほど銀をやってかえすがよいと云った。主税はそのまま御前をさがり、かね包をつくって待たせてある室へもどった。……浪人はむざんなほど落胆した。額のあたりを
蒼くし、ため息をついてしばらくはものを云うちからもないようすだった。「あいにく役どころに然るべき空きもなく、折角ながらおのぞみに
副えずまことにお気の毒に思います、どこぞよき縁あって一日もはやく御出世をなさるよう、これは主人より申付かったものです、些少ながらお納め下さい」主税はそう云ってかね包をさしだした。
「わたくしが御奉公つかまつりたいのは」と五百旗五郎兵衛は云った、「御当家みとさまを
措いてほかにはございません、御当家に仕官がかないませんければ、もはや此の世にのぞみのないからだでございます、御厚志はまことにかたじけのうございますが、この銀子はご辞退をつかまつります」
「しかし主人のこころざしでもあり御遠慮は無用と思いますが」
「いや是ばかりはかたくお断り申します、その代りと申していかがと存じますが、お庭うちを拝借させて頂けましょうか」
「庭うちでどうなさる」
五郎兵衛という浪人は、会釈をして脇玄関へ出ていった。なんだと眉をひそめながら、主税が残されたかね包を持って奥へはいろうとしたとき、門番たちのけたたましいさけび声が聞えてきた。主税のあたまに或る出来事が直覚された、かれは声のするほうへとびだして行った。裏門の脇のところで、五百旗五郎兵衛となのる浪人ものが、作法ただしくむこう向きに
俯伏していた。主税はがんと頭を衝かれたように思い、
惘然とそこに立ち
竦んだ。
「なに腹を切った」
光圀はいぶかしそうにふりかえった。そして主税の蒼くひきつったような顔をみると、つまんでいた碁石をはたと取り落した。
「御当家のほかに奉公すべきおいえはない、と申しました、御当家に仕官の儀がかないませんければ、もはや此の世にのぞみはないと申しました、まことにその一事を思いつめてまいったものと存ぜられます」
「それほどつきつめた覚悟がそのほうには見えなかったのか」
「まことに面目なきことでございました」主税は心から
慚じて眼を伏せた、「なりかたちがあまりにむさくるしく、貧に窮しておるものと心得ましたし、子供のことを云いたてるようすが、まさしく合力を乞うもののように考えられましたので」
「子供のことを云いたてたとはなんだ」
「ふつうなればおのれの芸能を云いたてるべきところで、幸い八歳になる男の子があり、性質もよく身躰も壮健なれば、成長のうえはお役の端にもあいたつべくと申しました」
きっと光圀の眉がゆがみ
眸子が曇った。人間が良心のただなかを刺されたときのはげしい
苦悶の表情である、ゆがんだ眉は額にふかく
皺を刻み、心の
呵責を表白するように唇がふるえた。
「そうか、さいわい子供があると申したか」光圀は
寧ろおのれを責めるような口調で云った、「自分の才能は云わず子供のあることを云いたてたのは、このおれに子まで
呉れるという気持だったのであろう。……それほどのもののふに、おれはわずかな銭をもって酬いた」
「ひらに、ひらに、
悉く主税めのふつつかでござりました」鏡のようにみがきあげた床板の上へ、面形をつけるかと思うほど主税はひれ伏した。
「人間はあさはかなものだ」さらに光圀は云った、「それほどの心をみわけることができぬとは、これまでいくらかは世のさまも識り、人の心の表裏をも視てきたと思ったが、これしきのみわけがつかぬとはあさましいことだ」
囲碁の相手をしていた小姓の若侍も、いつか面をふかく垂れていた。光圀はしばらく眼をつむっていたが、やがて、つと手をあげて眼がしらを押えた。
「その者は姓名をなんと申した」
「はっ、いおき……なにがしとやら、恐れながら判然と記憶がございません」
「子があると申すからはまだ城下に家族がおるであろう、
仔細を
貼りだしてたずねるがよい、町奉行へもそう申付けるのだ」
主税はすぐにさがっていった。
五郎兵衛の死躰は
鄭重に屋敷の一部へ移された。高札場へは時を移さず五百旗の家族になのって出るよう貼り紙をだし、また町奉行では城下町の隅々まで捜索の手をまわした。しかしそれと思える者はなのっても出ず、またどう捜してもみあたらなかった。三日めに五郎兵衛の死躰は
荼毘にして埋葬され、光圀のてもとから供養料が寄進された。――男子があると云ったのだ、遺族はかならず付近にいるにちがいない。かたくそう信じた光圀はそれからもながいこと捜索をやめさせなかった、やがて江戸へ出府するときにも、そのことを繰り返し申付けていった。
五百旗五郎兵衛が自害した日の暮れがたのことだった。城下の西南に千波ヶ原という
叢林と荒れ地のひらけた原がある。その原の一隅に、まわりを
竹藪でかこまれたひと棟のあばら屋が建っていたが、その家のなかで母子ふたりの者がひっそりとして遠い暮六つの鐘を聴いていた。母親は二十六七であろうか、眉つきの
凛とした顔だちで、きわめて貧しいみなりにも拘らず、身構えのどこやら、いぶしをかけたような落着いた気品がにじみでている。その前にいる少年は八歳あまりの、まだ育ちざかりではあるが、日にやけた健康そうな手足をもっていた。眉のあたりの母親によく似ているのが年よりはおとなびてみえ、ひきむすんだ
唇許は意志のつよさと気質のはげしさを示していた。
遠くから響いてくる鐘の音は、ながく余韻をひいて六つをうち終ると、かすかに野分の
蕭々たるかなたへ消えていった。その余韻の消えつくすまで、身をかたくしてじっと聴いていた母親はやがてしずかに、「小次郎お支度をなおしましょう、こちらへおいで」そう云って立ちあがった。おそらくは野守りでも住んでいたものであろう、屋根も朽ち壁も崩れている家の、ひと間きりしかない落漠たる部屋のかた隅で、母親はつつましくその子に着替えをさせた。木綿ではあるが紋付だった。
袴をつけ脇差をささせた。それが済むと、かたちばかりの仏壇に燈明をあげ、
瓶子と土器をととのえ、自分も衣紋をただしてわが子と共に仏前へ坐った。
「小次郎、あなたはいまから五百旗のあるじです、いまから水戸中納言さまの御家来ですよ」母親は感動を抑えたこわねでしずかに云った。そして我が子の幼い手に土器をわたし、瓶子をとってそれに注いだ、水であった。「恐れおおいことですけれど、その
盃を中納言さまの下されたものと思って頂戴なさい、そして、あっぱれお役にたつべきさむらいになるのです、わかりましたか」
はいと云って少年は母親を見あげ土器の水を戴いて
啜った。野のはてからしきりに秋風がわたっていた。草原がそよぎ、林が鳴った。この家をとりまいて
竹簇が潮騒のようにゆれ立った。すでに家のなかは暗かった。そして崩れた壁の隙間からわずかに残照がさしこみ、それが母親の頬にしるされた涙の
条をうつしていた。
「やっぱりついて来る」
「どこだ、ああお荷駄のうしろから来るあの男か」
「きっとまた水戸までついて来るぞ」
常陸へかえる光圀の行列が千住の大橋を渡ると間もなく、供尻にいる者たちがそんなことを
囁きあい、ときどきそっとうしろへふりかえった、……編笠の前をふかくさげた旅装のさむらいが一人、荷駄のうしろについてあるいて来るのがみえた、笠があるので相貌はわからないが、骨太のからだつきでまだ若そうな男だった。光圀が江戸へゆくときにも、国へ帰るときにも、かれはみえ隠れに行列の後について来た。いつ頃からのことかわからないが、供の者が気づいてからでもこれで五回めになる。なんのためについて来るのかまったくわからなかった、捕えて糾明しようとしたが、そのたびにすばやく身を隠してしまう、
道次がながいのでなんども試みたけれど、そのすばやさには手が届かなかった。――ふしぎな男だ。――いったい何者だろう。そういう
噂は次ぎ次ぎに伝わって、このまえの出府のときには光圀の耳にも達した。光圀にもふしんな話だったが、べつに害意がありそうにも思えないのでただ捨ておけと云って済ませてきた。
こんどの帰国は久方ぶりだった。去年
(延宝八)将軍家綱が
逝去して綱吉が五代を継ぎ、七月には将軍
宣下のことなどがあって、
参覲のいとまが延びていたのである。こんど帰るに当って、光圀は水戸の館のいまわりに、梅園を造る計画をたてていた。これは数年まえからの考えだったが、計画をたてるたびについ大掛りなものになるので、いつも中途でやめていた。それで、こんどは規模結構はぬきにして、ただ無ぞうさなままに梅樹を集めてみようと考えたのであった。みずから
杖をひいて田園をさぐり、野にある梅のつくろわぬものを集めるということは、思うだけでも五十四歳の初老の心をたのしませた。……日を重ねて、行列は水戸領へはいった、そして今日はいよいよ城下へ着くというとき、供尻のほうでなにか騒ぎがおこった。光圀は馬を駆っていたが、ふりかえってみると、行列のうしろがわらわらと崩れたって、供の人数がなにかを追いつめているようすだった。
「なにごとだ、誰ぞみてまいれ」そう云って光圀は馬を進めた。
供尻ではあのふしぎな男を捕えようとしたのであった。若い者たちが相談して、相手に気付かれないようにひと組がうしろへまわり、よき折をみて
挾みうちにしようとしたのである。そこは宿あいで人家もなく、左がわに松のある丘がのび、右がわがうちわたす冬の田だった。そのさむらいは気をゆるしているようすで荷駄のうしろ四五十歩のところをあるいていた。あとから
跟けて来た四人の供は、よしとみて合図の叫びをあげながら追い迫った。同時に供尻からも五六人の者がひっ返し、前後からひっしと挾んだのである。
そのさむらいは不意をつかれ、ちょっと
狼狽したようだったが、挾まれたとみたとたんに、非常なすばやさで左がわの丘へとびあがった、うしろから追い詰めたひとりが、つぶてのようにその背へとびかかったけれど、
掴んだ編笠が手に残っただけだった、とても人間わざとは思えない
敏捷さである。丘の上へとびあがった男は、そこでちょっと振返った。浅黒い顔で凛とした眉つきをしていた。涼しい大きな眼だった。かれはなにか云いたげだった、しかし供の者がつづいて丘へ駆け登ろうとするのをみると、そのまま松林のなかへ走り去った。
かれは丘を左へ越えると、畑地や森かげをつたって足ばやにあるきだし、日のとぼとぼ暮れに千波ヶ原へとやって来た。……十六年の春秋がながれ去って、千波ヶ原のようすはずいぶん変った。見わたすかぎり荒れ地だったのが、ところどころ開墾され伐りはらわれた叢林のあちらこちらに、農家の
炊ぎの煙がたちのぼっている。……かれはいそぎ足に原へはいり、かつて竹藪にかこまれていたあのあばら屋のほうへと近寄っていった。そこもすっかり変っていた。建物はおなじものだけれど、よく手入れをしたとみえて見違えるほどがっしりしているし、納屋、物置、
厩などが出来ている。家のまわりもとりひろげられ、背戸には、梅、柿、栗などの果樹が育っていた。そしてこの構えをとりかこんで、水田と畑とがみごとにうちひらけてみえた。
光圀の行列についていた若者は、やがてこの家のかどにあらわれた、あのとき八歳だった小次郎がいまはこのように成長した。名も父のを継いで五百旗五郎兵衛という、「母上ただいま戻りました」そう云いながら、かれが土間へはいろうとすると、中から出て来たひとりの若い娘が、大きく眼をみはりながらあっと叫んだ。
「ああお梶どのか」北どなりに住んでいる農夫熊七の娘だった。さして美しくはないが、すんなりと伸びた柔らかそうなからだつきで、十八とは思えぬほどうぶうぶしい顔だちである。五郎兵衛に呼びかけられると、お梶はさっと頬のあたりを蒼くした。その
怯えたような表情をみて、かれはなにか変事のあったことを直覚した。「どうしたのだお梶どの、なにかあったのか」
「おばさまが」娘はふるえながら云った、「おばさまが、河田のお代官所へ、お
曳かれなすって……」
「代官所へ、母が」五郎兵衛はぎょっとした、しかしすぐに自分を抑えた。母もかれも正しく生きて来た、かえりみて
疾しいところは少しもない、それがかれを落着かせた。「洗足をして来ます、それから
精しい話をうかがいましょう、あがって待っていて下さい」
五郎兵衛は裏へいって足を洗い、身を清めてから家へはいった、着替えを済ますと仏壇に燈明をあげた。お梶は
行燈に火をいれて待っていた。「さあ聞きましょう、話して下さい」五郎兵衛の落着いたようすを見て娘も気が鎮まったらしく、たどたどしくはあるがしずかに語りだした。
小次郎母子は十六年まえ
此処にいつくことにきまると、亡き五郎兵衛が武士のたしなみとして貯えておいた銀子で、千波ヶ原の一部を開墾しはじめた。そこは土地の豪農
くるまや六造という者の所有だったが、荒れるにまかせた土地なので七年は作り取りにきまった。母子はちかくの農夫を三人ほど雇い、自分たちも土にまみれて働いた。はじめはみんな
嗤っていた、千波ヶ原は不毛の地ときまっていたので、そこから作物がとれようとは誰も信じなかった。雇われている農夫たちも賃銀がめあてであった。然し母子は愚鈍のような熱心さで土にかじりついた。字にかけば簡単であるが、そういう仕事がどれほどの困難と苦労をともなうものか、おそらく経験のない者にはわからないであろう。母子は心でたたかった、肉躰と同時に、いや肉躰よりも多くその心でたたかった。四年めに一町歩の田と五反の畑から収穫があった。それが付近の農夫たちをおどろかした。千波ヶ原は不毛ではなかったのである。それでまずお梶の父熊七が移って来た。一年ごとに
鍬を入れる者が
殖えた、そして今では千波ヶ原に七軒の農家ができ、ほとんど大半が耕地になっていた。
五百旗母子は七年作り取りで、そのあとの年貢もきわめて安いきめで借りた。むろん不毛の地として誰も手をださない所だったから、
くるまやにしては問題にしていなかったのだ。それがしだいに開墾され、作物の出来も悪くないようになったので、これはと思いついたのであろう、二三年まえから年貢をあげたいと云いはじめた。農夫たちはしかしきびしくそれを拒んだ、――五郎兵衛さま母子のおかげでこの千波ヶ原は生きたので、そうでなければまだ荒れ地のまま捨てられてあったに違いない、だから年貢は初めにきめられたとおりが当然で、今になってあげる理由はない筈だ。かれらはそう云った、そのときはそれで済んだ。しかし六造は
諦めなかった、こんど五郎兵衛が江戸へいっている留守に、また農夫たちを呼びつけて年貢増しを云いわたした。
「そのとき
くるまやのご老人が」とお梶は話をつづけた、「あまり無礼なことを申しましたのでおばさまはたいそうお怒りになり、五郎兵衛は中納言さまの御家来でりっぱな武士です、そのようなさもしい心はもっておりませぬと、それはきついお声で仰しゃいました」「あの母が」高い声では笑ったこともない母に、そのような烈しいところもあったのかと、五郎兵衛はかなり意外に思った。
「そのときは話もきまらず、そのまま帰って来たのですが、それから三日め、ちょうど一昨日でございます、河田の代官所からお役人がみえまして、
訊ねたいことがあるからと、おばさまをおつれ申してしまいました」「どういう仔細か申しましたか」「いいえ、千波ヶ原の者がいっしょになんどもお下げ渡しを願いに出たのですけれど、仔細も聞かせずかえしても下さいません、……今日もみんなで代官所へまいっておりますの、もうとうに帰る時刻でございますが……」
「そうか、それであらましわかった」おそらくは
くるまや六造があらぬことを訴訟したのであろう。それなら、母をとりもどすのといっしょに、年貢のこともはっきり
定まりをつけなければならぬ、五郎兵衛はそう思った。
代官所へいった六人の者はすっかり暮れてから帰って来た。かれらは代官所でなかなか要領を得ないので、帰りに
くるまやへ寄って来たのだと云った。五郎兵衛はみんなを炉端へまねいて話を聴いた。「代官所ではどういう挨拶なのです」「それがどうもはっきり致しませんので、いくら嘆願しましても、ただおとりしらべの筋があると仰せられるばかりでして」「それで
くるまやへ寄ってみたのでございますが、あちらではまた妙なことを申しておりました」熊七がそう云って、同意を求めるようにみんなの顔を見まわした。「妙なこととはなんです」「こなたさまと早く係わりを切ってしまえと申すのです、こなたさまに係わっていると、いまに大変なお
咎めをうけると申すのです」「ほう、それで、そのわけも云いましたか」「わけは申しませんでした、
訊きましても笑うばかりで、ただ早く縁を切れとだけ繰り返しておりました」
五郎兵衛は考えさせられた。
くるまやの口ぶりで、母の災厄はかれの訴訟によるのだということはたしかになった。しかし、どうやら思ったほど単純ではないようだ。代官所で理由を説明しないのもなにか普通でない事情があるからではないか、「それにつきまして、帰る途中みんなで相談を致したのですが、ここは
くるまやの云うとおり年貢増しを承知することにしてはどうか、そうすれば面倒が早くかたつくのではないか、そう話しあってまいったのでございます」
「まあお待ちなさい」五郎兵衛はさえぎって云った、「みなさんのご心配はかたじけないが、年貢の定めは子孫の代までのことだから、この場をきりぬけさえすればよいというような考えかたはいけない、そこをよく相談するとしよう」
「それはすっかりお任せ申します、この千波ヶ原はこなたさまのおちからで田地になったのですから、どのようにも、お指図どおりに致したいと存じます」熊七の言葉につれて、みんな同意を表した。
六人はその明くる日また五郎兵衛の家へ集った。
くるまやの求める増し年貢は不当にすぎるので、こちらで負担に耐える限度をきめ、もしそれで承知しなかったら、その事情を述べてこちらから代官所へ訴え出よう、そのほうが公明でよいと五郎兵衛は心をきめていた、それで六人それぞれの条件を持ち寄らせたのである。その相談は三日ほどかかった、そして出来あがったものを持って、五郎兵衛が
くるまやを訪れた。けれど六造は会おうとはしなかった、――土地はこちらのもの作物はそちらのものだ、こちらの求める年貢が納められないのなら、土地を返して
貰うだけのはなしで、このうえかけあいをする必要はない。そういう無道な返辞を召使の者をとおして云うだけだった。――それではしかたがないから、こちらは代官所へ訴えて正邪の裁きを願う。そう押し返して云ったが、六造はどうなり自由にしろと平気だった。それで五郎兵衛はその足で河田へむかった。
代官所へついて願いの趣意をのべると、下役の者がとりついだうえ奥へ案内した。訴訟を聴くのに奥へとおすのはちょっと意外なので、どうしたわけかと思っているとやがて代官井野甚四郎が書き役をつれてあらわれた。五郎兵衛はまず鄭重に母の安否をたずねた。「さよう、五百旗
やすという婦人はおしらべの筋があって留めてある、そのもとは
やす女とはいかなるゆかりの者か」「
やすはわたくしの母でございます」そう答える五郎兵衛の言葉が終らぬうち、部屋の前後から十四五人の役人たちがあらわれ、かれのまわりをとりかこんだ。
「なにをなさる」五郎兵衛は片膝を立てた。代官は声をあげて叫んだ、「そのほうには御不審の筋がある、神妙にしろ」
少し陽気ちがいに暖かい日だった。光圀は従者をふたりつれて、千波沼の西岸をあるいていた。まるで村夫子然としたみなりの、しのび姿であった。野に梅をさがすためはじめて城を出たのである。
午まえに、二本ほどみつけていた、ひとつはまだ若木だったが、ひとつはみごとな老木で、うまく城中へひくことさえできたら、それだけでも来年の春はたのしめると思えるものだった。ひるは河田の代官所で
行厨をひらくつもりだった。みつけた二本の梅をたのむ用事もあったから。……もちろん前触れなしのことで、とつぜんおとずれた光圀をみると、役人たちは気の毒なほど狼狽し、むしろ途方にくれた感じだった。
弁当をつかい終ると、光圀は井野甚四郎に梅のことを申付けたうえ、民治の近況をたずねた。甚四郎は記録をとりよせて、精しく近年の治績を申述べた、そして更に、いま現に審問をはじめたばかりの事件のあることを告げた。「もともとは強欲な地主の訴え出ましたものにて、めずらしからぬ訴訟ではございますが、ただ不審なことには、その農夫どものなかに御藩士なりと申す者がおります。そのため捨ておきがたく、ただいま厳しくとり
糺しております」「その地主の訴えとはどのようなものか」そう訊かれて甚四郎は、千波ヶ原の紛争のいきさつをかいつまんで説明した。「なるほど六造と申す者は無道だな」光圀は不快そうに眉をひそめた、「さような無道者は
屹度申付けねばなるまい、それにしても、その水戸家臣と称する者は、なんのためにそのようなことを申していたのか」「ただいまなお取調べちゅうでございますが」「余も聴こう、しらべてみい」甚四郎はかしこまってすぐにその用意をした。
ひきだされたのはいうまでもなく五郎兵衛であったが、繩はつけられていなかった。左右を下役人が戒めて縁下のむしろに坐ったかれは、凛とした眉をあげ、すこしもまぎれのない態度で代官を見あげていた。甚四郎がしらべに当った。
「姓は五百旗、名を五郎兵衛と申します」訊問にしたがってかれは歯切れよく、はっきりと答えた。「生国は奥州でございますが、御当地へは十六年まえにまいり、以来ずっと千波ヶ原にて農作をつかまつっております」「家族はなんにんあるか」「母がございます」「父親はなんとした」五郎兵衛はちょっと答えられなかった。悲しげに眼を伏せ、唇がふるえるようにみえた。しかしすぐに気をとりなおしたようすで、「十六年以前に死去つかまつりました」「寺はいずれか」「…………」「どこへ埋葬したかと申すのだ」
この問いにはついに答えられなかった。甚四郎は押して訊かず、次ぎに移って水戸藩士と称した事実のしらべにかかった。
この審問を
屏風のかげで聴いていた光圀は、すこしまえからしきりになにか思案していた、心の奥ふかくに、えたいの知れない一種の感情がうごきだした、それがはっきりと意識にのぼらない、妙に不安な感じなのだ。――この落着かぬ気持はなんだろう。自分の心を自分でふりかえっていると、さっきから脇に控えていた従者のひとりが、すっとすり寄って、
囁くように云った。
「申上げます、わたくしあの若者には見覚えがございます」
「……どういう者だ」
「御参覲のお供のうしろへ、いつも
跟いてまいる素性の知れぬ男がございました、このたびお国入りのおりわたくし共あい計り、前後から追い詰めて捕えようと存じましたが、かの者はやはりすばやく逃げ去りました、しかしそのとき編笠がぬげ、はじめて面躰をあらわしましたので、わたくし
篤と人相を見覚えております、たしかにかの男に相違ございません」
そのときのことは光圀もまだ忘れてはいなかった、それであらためて五郎兵衛の顔を見なおした。心の底にかくれている記憶が、意識のおもてへあらわれる機縁は無数である。さっきから光圀を落着かせなかったものが、いまあらためて五郎兵衛を見なおしたとき、思いがけぬあざやかさで十六年まえの或る日の記憶をよみがえらせた。――そうだ。光圀は思い当ると堪えられなくなり、甚四郎をまねいて自分が訊問しようと云った。
「お上おじきでございますか」甚四郎はひじょうに当惑したが、光圀はかまわず出ていって席についた。縁下にいた五郎兵衛はそれがたれびとであるかわかったとみえ、秀でた額のあたりをさっと蒼くした。
「さきほどからの始終は蔭で聴いていた」光圀はずばずばと云った、「答のうちに水戸家臣なりと申した理由がはっきりせぬ、うろんな答弁はあいならんぞ、余は光圀だ、仔細まぎれなく申してみよ」
「恐れながら」五郎兵衛は平伏して答えた、「恐れながらお側まで言上つかまつります、わたくしは十六年このかた御当地に住みつき、御領分にたつきを立てております、たとえ御家臣帳にはのぼらずとも、御領内におればお上と申上げるはおひとかた、おのれの覚悟として御藩士なりと心得ておったしだいでございます」
「おろかなことを申すな、領内におればとて仕官もせずに藩士と云う法があるか」
「それは、……それは……」
「五郎兵衛と申したな」光圀はきっとねめつけながら、「さようにまぎらわしい答弁を致すと、そのほうだけにはかぎらぬ、当所にとどめある母をも共に屹度申付けるが、よいか」
「恐れながら……」
「申せ、まことの仔細を申せ」
五郎兵衛はしずかに面をあげた。両の頬が濡れていた。かれはじっと光圀をふり仰いでいたが、やがてぬきさしならずと悟ったのであろう、
「申上げます」と
呻くように云った、「母の命にはかえられません、なにもかも言上つかまつります。……わたくしの父は、奥州のさる藩士でございました、主家ご改易にて浪人となり、すぐ御当地へまいりましたが、それは……水戸お館さまこそ子々孫々まで御奉公つかまつるべきおん方と、かたく、かたくお頼み申したゆえでございました」
はたしてそうだった、あのとき出来るかぎりの力をつくして捜したが、ついにみつけだすことのできなかったあの浪人の遺族だった、光圀はそう思ってわれ知らず膝をすすめた。
「御当地にはゆかりびともなく」と五郎兵衛はつづけた、「せんかたなく父は案内なしにお館へ伺候つかまつりました、十六年まえの秋のことでございます、家を出ますときに母とわたくしを呼んで、父はかように申しました、……自分はこれからお館へ伺候をする、めでたく仕官がかなえばよし、かなわぬ時にはお庭の内を拝借して自害する覚悟だ、暮六つの鐘が鳴っても帰宅しなかったらお庭の土になったと思うがよい、しかし、そのときは、暮六つを合図にそのほうが父に代って水戸さま御家臣になるのだ、お館の土には父の血がしみこんでおる、この土が五百旗家の代々御奉公つかまつるべきところだ、忘れるな……この君をおいてほかに御しゅくんはないぞ」言葉のすえは
嗚咽にかすれた、甚四郎は手で面を覆った。役人たちもみな深く頭を垂れた。「父はたち戻りませんでした」五郎兵衛は涙を押えてつづけた、「母はわたくしに着替えをさせ、仏壇の前にて、瓶子かわらけをとり揃え、お館さまよりの盃と思えと申しまして、恐れながら主従かための、かげの盃をつかまつりました、下賤の身をもって、御家臣なりと申しました仔細はかようでございます、まことに恐れ入り奉りまする」
光圀は胸いっぱいの感動にうたれていた。人間の心がこれほどひとすじにつき詰められるものだろうか、この君こそと思いきわめ、まずおのれの命を
抛って子孫の生きる道を示す。戦場ならかくべつだが、泰平の世にこれだけの覚悟をつけるのはたやすいことではない。――かえすがえすも惜しい者を殺した。まざまざと十六年まえの後悔を思いうかべながら、光圀はしずかにうなずいた。
「それでよく仔細がわかった、数年前より参覲の上り下りに、供をしてまいったのもそのほうであろうな」
「恐れ入り奉ります」彼は面を伏せた。
「そのほうの父を死なせたのは余の不明であった、ゆるせ……」ゆるせと云いながら、はじめて光圀の眼から涙があふれ落ちた。五郎兵衛は平伏し、これも背になみをうたせて、ひっしに嗚咽をこらえていた。
城へ帰るみち、光圀の心にはかつて覚えたことのない明るく力づよい感動が去来した。今日みいだした野の梅は二本だったが、ほかにたぐいまれな名木をたずね当てたのである、もし時を違えたら、五百旗五郎兵衛の存在はわからずにしまったかもしれない。――あの老木のみちびきだったかも知れぬ。――千波沼の岸の叢林のなかに、神仙のように年
古りていた梅の老木のすがたが、霊あるものの如く思いかえされた。午すぎから霞のかかった空に、高く鳴きわたる雁のこえが聞えた。