昭和二十年の五月だと思うが、ある人を介して堀口九萬一さんからお招きをうけた。私の愚にもつかない
ものを読んでおられて、そこで会いたいといわれるのである。酒が不自由だろうから来れば飲ませてやる、という付帯条件もあった。お断わりをすると(中に立った人の口車かもしれないが)しからばこっちからゆくといわれるそうで、それでは恐縮でもあり敬老精神にも反するので、防空服装でもって恐る恐る、小石川の高台にあるお
邸へ参上した。翁はたしかもう九十歳にちかいお年だったと思う。がっしりした体に古びたような畝織のガウンをひっかけて、
めがねの奥で眼を光らせながら、私の愚にもつかない
ものについて、たいへん熱心におしかりなされた。書だなにぎっしりフランスのロマン派の全
蒐集だと聞いたように思う本の詰っている古風な書斎であった。私は付帯条件のほうのメドックを頂戴しながら、約二時間ほど翁のおしかりを楽しく拝聴し、まるでアメ玉のようにまるめられてしまった。おまえには多少みどころがあるからしっかりやれ、などといわれたものだから、私は抵抗ができなかった。長い外交官生活の身についた翁の親しさと無関心とのうまく混りあった話しぶりは、極めて印象の深いものであったし、私にはあらゆる意味を含めて忘れがたい。近ごろでもひと仕事したあとには、翁が生きておられたら読んでもらえるのだが、と思うことがしばしばある。それと同時に、翁が
めがねの奥のこわい眼を光らせて「おまえにはもうみどころがない、やめてしまえ」とおしかりになるだろうとも想像されるが。
「朝日新聞」(昭和二十七年十月)