図書カード:No.24379
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作品データ
分類: | NDC 913 |
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作品について: | 「死者の書」とは、本来古代エジプトにおいて、死者を葬る際、冥福を祈って棺に一緒に収められた巻物のことである。 釋迢空は、その事を十分踏まえ、日本における「死者の書」を小説というスタイルで書こうとした。それがこの「死者の書」である。 奈良時代、藤原南家の姫が当麻寺に籠り写経したという中将姫伝説をヒント(中将姫伝説をもとに「神の嫁」を書く)に大津皇子の悲劇を背景として時空を超えた一大叙事詩を描こうとしたものである。 一番最初は、1939(昭和14)年に「日本評論」第14巻第1号―3号に掲載された。 それは文学的というより、論述的だったという。文学に昇華させるために、釋迢空は推敲に推敲をかさねた。 大幅に改訂され、現在の形になったのは、1943年青磁社より刊行された「死者の書」からである。 黒い色カバーに古代エジプトのミイラの棺が金色で空押しされている。 見返しには紺地に金泥の写経が印刷されており、白表紙にも古代エジプトのミイラの棺が印刷されている。 本文中には「山越の阿弥陀像」の図版5枚が挿入されている。 今回の底本である1947年角川書店より「死者の書」刊行。 「死者の書」の解説書というべき、「山越の彌陀」とで1冊になっている。 白い色のカバーの表紙にエジプトの「死者の書」の中から紋様を持ってきて空押ししている。 白い表紙には、青磁社版のような古代エジプトのミイラの棺の版画はなく、釋の手によるのだろうと思われる書体で「死者の書」と書かれている。 1955年中央公論社より『折口信夫全集』刊行。「死者の書」は24巻に収まる。 以後刊行された、中公文庫版、中央公論社発刊、新『折口信夫全集』による「死者の書」は、これを親本とする。(まれびとプロジェクト) 「死者の書」 「死者の書」は以下のような版が刊行されている。(門) 1939(昭和14)年1月~3月 「日本評論」第14巻第1号~3号に連載(「死者の書 ――初稿版――」) 1943(昭和18)年 青磁社より「死者の書」刊行 1947(昭和22)年 角川書店より「死者の書」刊行(「死者の書」) 1954(昭和29)年6月5日 「折口信夫全集 第廿四巻」収録 1967(昭和42)年10月25日 「折口信夫全集 第廿四巻」収録(「死者の書」) 1989(平成元)年4月1日 「昭和文学全集第4巻」収録(「死者の書」) 1997(平成9)年5月 「折口信夫全集27」収録 1999(平成11)年6月18日 「死者の書・身毒丸」刊行(「死者の書」) 2004(平成16)年6月18日 「初稿・死者の書」刊行(「死者の書 ――初稿版――」) |
文字遣い種別: | 旧字旧仮名 |
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作家データ
分類: | 著者 |
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作家名: | 釈 迢空 |
作家名読み: | しゃく ちょうくう |
ローマ字表記: | Shaku, Choku |
生年: | 1887-02-11 |
没年: | 1953-09-03 |
人物について: | 本名 折口信夫 大阪生まれ。柳田国男と双璧をなす民俗学者。歌人としても、一時、「アララギ」に属し、釋迢空として名をなす。 1921(大正10)年にアララギを去った後、国學院大学の学生たちと『鳥船社』を結成し、自ら学生たちに教示する。 後に釋が慶応大学へも教えにいくことになった関係で、池田弥三郎、戸板康二らが『鳥船社』に加わる。 歌、詩、小説など創作にかかわるものは、釋迢空の署名がなされており、創作と民俗学の論文と名前をはっきり使い分けていた。 歌集として「海やまのあひだ」が有名。(まれびとプロジェクト) 「折口信夫」 |
分類: | 著者 |
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作家名: | 折口 信夫 |
作家名読み: | おりくち しのぶ |
ローマ字表記: | Orikuchi, Shinobu |
生年: | 1887-02-11 |
没年: | 1953-09-03 |
人物について: | 創作では釋迢空を使用。大阪の医師の家に生れるが、父親の放蕩により家計が傾く。苦労の末、東京の国學院大學へ進学し卒業後教鞭をとる。 民俗学者柳田国男に「沖縄行き」を勧められて、当地に残る古の「型」「もの」に感動し、なかなか東京へ帰らなかった。そこで得たことが民俗学者折口信夫の基礎となる。天性の文学的才能が加味し、折口は大胆にも「まれびと」「貴種流離譚」など、独自の言葉を駆使しその論文を発表。 最初、そうした言葉を心よく思わなかったのは、師の柳田国男である。しかし折口は柳田を生涯にわたり尊敬し続けた。 折口の興味は、民俗学に留まらず、国文学の発生にまで及んでいる。それらのほとんど「口術筆記」の形をとっていた。書き手(聞き手)は、折口の頭の回転の速さと独特の言い回しでついていくことに閉口したという。 生活能力に乏しい折口が公私共に信頼をおいていた弟子の藤井春洋を養子としたが、それは春洋本人は知らぬことであった。柳田国男が保証人であるその養子縁組を知ることなく、春洋は硫黄島へ出征してしまっていた。 間もなく折口の下へ春洋の訃報が届いた。今、折口は、遺言通り、春洋の故郷である能登の羽咋で春洋の隣に半分だけ眠っている。もう半分は、大阪の折口家代々の墓で眠っている。(まれびとプロジェクト) 「折口信夫」 |
底本データ
底本: | 死者の書 |
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出版社: | 角川書店 |
初版発行日: | 1947(昭和22)年7月1日 |
入力に使用: | 1947(昭和22)年7月1日 |
工作員データ
入力者: | 門田裕志 |
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校正者: | 多羅尾伴内 |
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