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図書カード:No.52336

作品名: 随筆 藪柑子
作品名読み: ずいひつ やぶこうじ
副題: 01 序
副題読み: 01 じょ
作品集名:
作品集名読み:
著者名: 土井 晩翠

作品データ

分類: NDC 914
作品について: 底本には、以下の諸篇がおさめられています。(青空文庫)  「01 序」旧字旧仮名 土井晩翠  「02 随筆 藪柑子」(旧字旧仮名) 土井八枝  「03 跋」(旧字旧仮名) 小川正子 なお、「02 随筆 藪柑子」には底本どおり「01 序」「02 随筆 藪柑子」「03 跋」を納めています。 ※公開に至っていない場合は、リンクが機能しません。
文字遣い種別: 旧字旧仮名
備考:

作家データ

分類:著者
作家名: 土井 晩翠
作家名読み:どい ばんすい
ローマ字表記:Doi, Bansui
生年:1871-12-05
没年:1952-10-19
人物について: 詩人、英文学者。「荒城の月」の作詞者である(作曲は滝廉太郎)。「オヂュツセーア」「イーリアス」の翻訳者としても有名である。生い立ちについては、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある自伝を引用する。 『父は七郎兵衞(初名は林七――號は擧芳)母は愛、略三百年仙臺に定住して來た家で、明治四年(公元一八七一)十月二十三日(太陰暦)同市北鍛治町に生れ、八歳の時、『培根小學校』(今の木町通小學校)へ入學、十一歳の九月、擧家一同大町に移つたので近所の佐久間(晴嶽)塾に數ヶ月入塾、轉じて立町小學校に入り、十四歳で卒業したが、それから十八歳までは獨學、只一年内外齋藤秀三郎先生が當時創設された仙臺英語塾に通學、十八歳の九月に二年前新設の第二高等學校の補充科第二年に入り、豫科三年本科二年を卒へ、續いて當時唯一の(東京)帝國大學に入り英文學を修め、明治三十年卒業、三十二年母校に奉職、三十四年六月出發、外遊して英佛、獨、伊を廻り、三十七年末日露戰役の最中に歸朝、翌年また母校に奉職して爾來二十餘年――今なほ續いて怪しげな英語教員である。初めて公刊したのはカーライル英雄論の譯(明治三十一年、春陽堂)その序の中に『著者の心と讀者の心と調を一にせぬなら讀書の效用が無い、私は今日の才子者流に對して本譯の誦讀を望まない』など穉氣笑ふに耐へぬ言を吐いたが、しかし大體に於ては今でも斯く信じてゐる。次に刊行したのは處女作『天地有情』(明治三十二年四月七日發行)――甚だ幼いものだが、多大に世間から愛讀されたのは豫想外の僥倖であつた。續いて『曉鐘』『東海遊子吟』『曙光』『天馬の道に』を刊行した。序ながら(曰はでもの事であるが)詩に於ては屈原、李白、杜甫‥‥ゲーテ、ユーゴー、シエレイ‥‥を多年に亙つて尊敬してゐる。東西の聖經中の純正高尚なものに對しては只たゞ、崇拜と曰ふより外はない。』 また、「土井」の読み方については、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある以下の附言に従い、「どい」としている。(門田裕志) 附言(一)私の姓を在來つちゐ[#「つちゐ」に傍点]と發音し來たが選擧人名簿には「ド」の部にある。いろ/\の理由でこれからどゐ[#「どゐ」に傍点]に改音[#「改音」に白丸傍点]することにした。特に知己諸君に之を言上する。 wikipediaアイコン土井晩翠

底本データ

底本:隨筆 藪柑子
出版社:長崎書店
初版発行日:1940(昭和15)年12月30日
入力に使用:1941(昭和16)年2月20日3刷
校正に使用:1941(昭和16)年2月20日3刷

工作員データ

入力者: 岡山勝美
校正者: Juki

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